はぐれミーシャ純情派 タシケントな時間④ 7月28日

7月28日(金)

今日こそはなんとかパスポートを手に入れなければならない。12時に電話をする約束になっていたが、電話では埒があかない。直接行ってみることにした。

12時ちょっと前に行くと、そこにフサンの姿はなく、そこにいたのは秘書のおばちゃんだけだった。パスポートはまだないと言う。預けてある機関に電話をしたのだが、責任者がいないから3時に来い、と言われたのだそうだ。仕方がない。

そして、ビザのお金は払えないことを告げた。その理由は、飛行機の切符が高いということ。高いのは事実だが、払う事は十分に出来る。全くの嘘。するとおばちゃんは「誰がビザのお金を払えって言ったの?」と聞いてきた。そんなのフサンに決まっている。でも、おばちゃんは知らないようだ。おばちゃんは同情しているような目つきで「払わなくてもいいわ」と言ってきた。おっ、こんなにうまくいくとは思わなかった。俺の演技もなかなかのものだ。

おばちゃんは3時すぎにもう一度パスポートを取りに行くという。5時ごろだったらフサンは絶対にここにいるし、おばちゃんも帰ってくるから、5時にもう一度来てくれとのこと。今日は絶対に逃がさないぞ。5時前に来てやる。

なぜか最近食欲がある。大学の帰り道、カフェ・ホシロットに寄る。目いっぱい食べておなかパンパン。

ちょっと休もうと思ったが、今日は電話局に行って国際電話の料金を支払わなければならない。ここ最近毎日のように電話していたからいくらになるか不安であった。予想は二万スムぐらい。三千円ちょっとである。でも、実際は四万六千スム。ちょっと痛い。もうドルを換金しないでいこうと思っていたのだが、この電話代で残りのスムを一気に吐き出してしまった。最初に持っていたお金では足りなかったので、家に戻ってもう一度電話局へ。へとへと。でも、何で俺が全部払わなきゃなんないんだ? 俺がかけたのじゃないのも含まれてたんだぞ!

電話局から帰ったらすぐに大学へ。今日は一日中歩きっぱなしである。大学には4時50分ぐらいについた。フサンは何食わぬ顔で俺を迎えた。そこでは二人の学生がパソコンをいじっていた。フサンは彼等と話していて、俺のことはほったらかし。10分ほどしてようやく俺の前の椅子に座った。おばちゃんはまだ帰ってきていないから、パスポートはまだここにない、と言う。

帰りの飛行機の話などをした後、俺はビザの話を切り出した。すると、フサンは「話しは聞いている。ビザのお金は払わなくてもいい。でも、レギストラーツィアのお金は払ってくれ。20ドルだ」とのこと。20ドルもかかるはずがない。しかもドルで払う理由がない。でも、50ドルよりはましである。迷惑もかけたから仕方がないと思って、その額で同意した。

さあ、ここがこの話しのクライマックス。俺が財布を出そうと思ってポケットの中に手を入れると、フサンは自分の手帳をめくり出した。俺が20ドルを出そうとすると、フサンは手帳の間から俺のパスポートを出してきたのだ!!!・・・やられた!!! 俺の演技はうまくいっていたと思っていたのに。絶句。つまり、お金をおれから引っ張り出すためにパスポートを隠し持っていたのだ。

フサンは何食わぬ顔をしてにこにこしている。20ドルを受け取ると彼は自分の財布にしまった。おそらくその20ドルはフサンのおこづかいになるのだろう。大学の副学長までが嘘をつくなんて! 俺が甘いんだろうか? こんな町には1秒だって居たくはない。フサンは俺にプレゼントだ、と言って、ウズベクの帽子を渡してきた。「また戻ってきてくれ」だってさ。誰が戻ってくるか! 

まあ、いろいろあったがパスポートは戻ってきた。一安心。家に帰って改めてパスポートを見ると、レギストラーツィアはずっと前に終わっていた。ということは、フサンがずっと隠し持っていたことになる。つまりはあのおばちゃんもぐるだったということ。あったまくる! パスポートがない間、どんなに不安だったか。こんな国でパスポートなしで歩くなんて自殺行為だ。フサンに対する怒りとパスポートが戻ってきたうれしさがないまぜになっていた。

ラリサ叔母さんは知り合いとレストランに行くのだといって、7時すぎに出かけて行った。おれはアレーシアのために晩ご飯を作ってやった。ここまでは普通の夜と何ら変わりはない。しかし、そのあと・・・。

11時をすぎてもラリサ叔母さんは帰ってこない。ラリサ叔母さんがかぎを持って出たのかわからなかったので、一応待っていようかと思ったが、今日は疲れたので先に寝ることにする。アレーシアはもう寝ている。歯を磨く。すると、ドアのチャイムが鳴った。ドアを開けるとラリサ叔母さんが立っていた。相当酔っている。

ラリサ叔母さんは「あきら、ビールのみたい?」普段だったら、二つ返事でOKだが、きょうはちょっと疲れているからなあ。でも、少しぐらいならと思って「飲みたい」と答えた。「実は連れがいるんだけど」とラリサ叔母さん。誰だよ。そこに現れたのは身体がごついはげの男。真ん中は見事につるつるで、両脇の残った髪はちぢれている。お腹が出ている。目つきが怖い。こんな役者いたな。こちらが挨拶しようと思ったのに、はげ男は無視。彼の目的は一目瞭然。ラリサ叔母さんだ。予想していなかった邪魔者(おれ)が現れたせいで機嫌が悪いらしい。

3人で食卓につく。彼らはかなり飲んだらしく、ビールはもういいという。俺が一人でバルチカを飲んでいた。その間の二人の会話がまあすごい。俺のことなんかそっちのけ。ラリサおばさんは完全に周りが見えていない。ぐちゃぐちゃわけのわかんないことを言っている。

俺のために乾杯をするといって、俺のことを褒めちぎり出した。「もしタシケント以外のところに行っても二、三年経ったら絶対戻ってきて。そのときはアレーシアをあきらのところに嫁にやるから」おいおい、俺に選ぶ権利はないのか? こんな話しが延々続く。当然、その男は無関心。

ラリサ叔母さんは俺のことを本当の家族だと言って、とうとう泣き出してしまった。ラリサ叔母さん「わたしったら、泣いちゃったりして。赤ん坊みたい」すると、はげ男「女ってやつはいつまでたっても赤ん坊さ」だとさ。黙れ! その男は何とかして二人っきりのムード(俺を無視して)を盛り上げようとする。慰める振りをして触る触る。そして、なんとか寝室に行こうとする。俺もいいかげん嫌になってきた。すぐ隣りにあるベランダではアレーシアが寝てるのに。自分の母親のこんな姿を見たら悲しいだろうな。

と思っていたら、とうとうアレーシアが起きてしまった。時はすでに夜中の12時半。まあ、これだけ騒いでいれば無理もない。アレーシアは彼らが買ってきたコンデンスミルクとパンを食べて黙っている。ラリサ叔母さんは踊りたいといってきかない。アレーシアに大声で「私の大好きなあの曲のテープを持ってきなさい」と言いつける。その男はしらけきっている。アレーシアはそのテープを探したが見つけられなかった。音楽抜きでもラリサ叔母さんは踊っている。

すると、またチャイムの音。もう1時だぜ。そこに現れたのはラリサ叔母さんの友達のナターシャとウズベク人のアリ。ナターシャはもうだいぶ酒が入っていた。ラリサ叔母さんの友達で歯が欠けたおばさんである。相変わらずうるさい。アリはにこにこしていてまあよさそうな人。でも、こんな時間に人の家に来るようなやつにいいやつがいるわけがないか。彼らはスイカとウォッカを持ってきた。こうなるともう止められない。

アレーシアは「お母さんが時々友達を連れてくるんだけど、すごくいや」という。不憫でならない。二人で彼らを無視しようとするが、そううまくはいかない。ナターシャが絡んできて「あきら、ベランダで一緒に飲みましょう」といってくる。断ったが、力づくでつれて行かれた。そこにあったのはウズベキスタン産のウォッカ。味は最悪。アルコールを直接飲んでいるようだ。なんとか振りきって逃げる。

アレーシアに俺の部屋で寝るように勧めたが、眠くないという。まあ、こんなに騒がしくっちゃ、どこの部屋に居たって寝れないだろう。居間のソファーに座ってアレーシアと二人で全く違う話しをする。テニスの話しやモスクワの話し。そして、一緒にジャッキーチェンの映画を見た。ベランダでははげ男が切れて、「俺は帰るぜ」と言い出した。ナターシャとそりが合わなかったらしい。そのうえ、自分の本当の目的が果たせなかったこともあるのだろう。なだめたりすかしたりして、仲直りする。バカらしくって見てらんない。これが大人のすることか。自分の娘に見せて恥ずかしくないのか。

アレーシアに悪い影響がないはずがない。ラリサ叔母さんはいつもアレーシアをこき使う。ラリサ叔母さんは家事が嫌いなのだ。「私が働いて食わしてやってるんだから、家事ぐらいやりなさい」というのが口癖。俺が食器を洗おうとすると「アレーシアにやらせなさい」と言い出す。仕事がうまくいっていないときはやつあたりをする。そのやつあたりも尋常なレベルではない。もう、かわいそうで見ていられない。もしこれが日本だったら、家出するかぐれるかである。

音楽だけが彼女の逃げ道らしい。俺が持ってきたCDウォークマンで音楽を聴いているときは、ラリサ叔母さんの声も聞こえないから自分の世界に浸れるのだろう。ちなみにタシケントにはCDウォークマンは存在しない。CDプレーヤー自体、持っている人は少ないのだ。アレーシアがものすごく気に入っているのを見ていたから、プレゼントしようかな、とずっと迷っていた。

このとき、この夜、決めた。プレゼントしよう。それを告げたときのアレーシアの表情、ものすごく喜んでいて、そして驚いている。そりゃそうだ。タシケントに存在しないものだし、もしあったとしてもとても買えるような代物ではないのだ。「モスクワでCDラジカセを買おうと思っているから、CDウォークマンは使わないんだ」と嘘をついた。ラジカセが欲しいのは確かだが。「シュテフィ・グラフは試合の前に、ウォークマンで音楽を聴いて精神を集中させるんだよ」まあ、それがグラフだったか、セレシュだったかははっきりと覚えていないがこの際そんなことはどうでもいい。

もうすぐ、おれは一人でモスクワに行ってしまう。俺はいいかもしれないが、彼女はこんな生活を続けていかなければならないのだ。彼女が少しでも幸せになれるようにと思うが、俺にはこんなことにしか出来ないのか。せめて、好きな音楽を好きなだけ聴けるようにしてやりたい。その一心である。センチメンタル、と言いたければ、どうぞ。おれはこうゆう「くそセンチメンタル」な人間だから。

2時半をすぎた。宴は一向に終わる気配を見せない。ラリサ叔母さんは踊り、アレーシアにあれこれと命令をする。そして、ついにアレーシアが切れた。「こんな時間に恥ずかしくないの? あきら、向こうの部屋に行こう」二人で俺の部屋に行く。そこで、おれは「こんなことはしょっちゅうなの?」と聞いてみた。「時々」とアレーシア。時々だって嫌だろうな。その後は普通の話し。テニスの話し。「プロの選手になりたい」「日本に来たら俺が通訳するから」

4時すぎに飲み会終了。俺もアレーシアもあくびばかり。アレーシアは居間のベッドで、俺は自分の部屋で寝ることにする。ラリサ叔母さんは自分の部屋にいるらしい。玄関の靴を見ると、まだあの男が残っている。残っているということは、ラリサ叔母さんの部屋にいるとしか考えられない。もしもそこで何かそうゆうことが始まるようだったら、俺は許さない。娘がいるっていうのに、適当な男と関係を持とうなんて。しかも、居間ではその娘が寝ているのだ。

俺はトイレに行くとき、わざと大きな音を立てて歩いた。俺の部屋はラリサ叔母さんの部屋と隣り合わせだ。隣りからは何やら物音がする。まあ、別に普通の物音だが、なんか嫌なので壁をどんどん叩いた。もしもあの男がその気だったら、その気をなくさせてやろう。おれはしばらく壁をこつこつとやっていた。

次の日、アレーシアに「昨日音を立ててたのはあきらなの?」と聞かれた。「そうだ」と答えると笑っていた。

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