はぐれミーシャ純情派 第七話 一秒の決断

鎌倉から東京へ帰る電車の中、告白のようなものをした僕はグーリャと付き合うことになった。
うれしい反面、とまどいも多い。
だって、日本人の女の子相手でも長続きしたことがないのに、外国人の彼女って。
今まで僕が付き合った最高記録が半年。
最高に短いのが三日。
付き合ったのかどうか、微妙な日数だ。

まあ、いいだろう。
もっとグーリャと一緒にいたいという気持ちに素直に従ったまでだ。

鎌倉へ行った次の日はアルバイト。
それはチェンバロという古典楽器の運搬という非常に珍しいアルバイト。
どんな楽器でも運ぶというわけじゃありません。
チェンバロだけです。
チェンバロというのはピアノの前身のようなもの(←厳密に言うと、全然違うんですが、この説明のほうがわかりやすいので)。
結構、大きいものもあるし、木でできているので、かなりデリケート。
運ぶのも気を使います。

その日の仕事はW先生というチェンバリストのうちから、一般の家庭にチェンバロを移動するというもの。
コンサートホールへのチェンバロの貸し出しだと、そのまま無料でコンサートを聞かせてもらったりできるんですけど、一般家庭の場合はそんな特典はなし。
それに狭い階段やエレベーターを使った移動なので、かなりテクニックが必要。
私はもうかなり長くこのアルバイトをやっているので、一般家庭のときは調律師のSさんから御指名がかかる。

W先生、気難しくて、厳しいことをズケズケ言うというので有名なのだが、話してみると結構やさしい。
いろいろ話しながらも頭の中はグーリャのことでいっぱい。
顔がニヤニヤしないように努力しながらの仕事。

早くグーリャに電話しなきゃ。
彼女は携帯もないし、それに夕方になると両親が帰ってきて、自宅には電話しづらくなる。
でも、仕事中は電話もできない。

新宿区から調布市(?)へチェンバロを運搬する。
今、昼の2時半。
こりゃあ、時間がかかりそうだなあ。

チェンバロを無事に搬入すると、お茶タイム。
私はただのアルバイトなので、話すことなし。
ニコニコしながら座っている。
すると、一緒についてきたW先生の娘さんが「お腹すいた」と言い出した。
W先生は「じゃあ、このお兄ちゃんと一緒にコンビニに行っておいで」。
私の承諾など得ようとする気配すらないまま、コンビニ行きが決定。
まあ、することも話すこともないので、外に出れるのはうれしい。

外に出て、ふと思い出した。
これこそ、グーリャに電話をするチャンス!
そこは高台の斜面に集合住宅が立ち並ぶところで、コンビニまでは遠い。
女の子をちょっと急がせながら、コンビニへ。

女の子が買い物をしている隙に、僕は入口の脇の公衆電話からグーリャのうちに電話をかける。
現在、5時半。
グーリャに電話できるギリギリの時間。
彼女が電話に出てくれることを祈りつつ・・・

グーリャ「もしもし? ああ、あなたね。電話来ないかと思ったね」
僕「電話、待ってた?」
グーリャ「もちろんね」
待っててもらえなかったら、悲しいよ。

グーリャ「今何してるの?」
僕「アルバイトだよ。昨日話したよね?」
グーリャ「ううん。覚えてない」

そこで簡単に事情を説明。
グーリャ「えっ!? 女の子と一緒なの?」
僕「うん。一緒に買い物行ってくれって頼まれたからね」
グーリャ「ふーん・・・」
僕「何、その『ふーん』って?」
グーリャ「楽しそうね」
僕「楽しくないよ。全然」
グーリャ「その女の子、かわいい?」
僕「そんなにかわいくはないけど」
グーリャ「へえ、いいねえ」
全然、会話になっていない。
明らかに嫉妬している。

僕「女の子って言っても、まだ13歳だよ!」
グーリャ「13歳でも女は女ね」
うーん、そんなものかなあ・・・

僕「明日会おうか?」
グーリャ「いいね」
僕「じゃあ、いつものバス停で14時にね」
グーリャ「わかった。じゃあ、また明日。女の子と楽しく、ね」
結局、彼女は最後までプリプリ怒ったまま。
外国人の子のほうがさっぱりしているのかと思ったら、普通に嫉妬するんだなあ。

次の日、約束どおり、三軒茶屋のバス停にグーリャを迎えに行く。
彼女はバスから降りてきて、「こんにちは~」と言うが早いか、僕の頬にキス。
面食らった!
かなり食らった!
やっぱり外国人だった!
普段、話しているときは外国人かどうかなんてあんまり関係ないけど、こういうときはすごく感じる。
周りの人たちもびっくりしたような顔で僕たちを見ている。

自然と手をつなぐ。
3月16日。
もう春が近づいている気配を僕たちは汗ばんだ手の中に感じる。

僕の部屋の中にグーリャがいる。
特に何の感慨もない。
だって、そこに彼女がいることは極めて「普通」だからだ。
今になって思うと、全てが「必然」だと思えてくる。
全ての「偶然」を「必然」だと思い込める力は、若さだと思う。

何を話すでもなく、ただボーっとする。
でも、グーリャは何か面白いことを常に探している。
グーリャ「散歩に行こう」
僕は元々が出不精なので反対するが、彼女は行くと言って聞かない。

二人で歩き出す。
とりあえず左に行ってみる。
目的なんかない。
僕たち二人が目的であり、僕たち二人が答えなのだ。

二人で歩いて、気づいたときには経堂のスーパーの近くまで来てしまった。
僕「これからどうする?」
グーリャ「この辺にどこか面白いところ、ある?」
僕「ない」
グーリャ「じゃあ、帰ろう」

二人で僕の部屋に帰る。
部屋を出たときからつながれたままの手は、帰ってきたときもつながれたままだ。
ほどけない夕焼けの中、僕はグーリャを抱きしめた。


次の日、僕はアルバイトだったので、グーリャには会えず。
「会いたい」と思っても、心のどこかが臆病になっている。
これまで僕は長い期間、女の子と付き合ったことはなかった。
自分の性格に問題があることはわかっている。
僕は走り出すと止められないからだ。
でも、グーリャとはずっと一緒にいたい。
もしかして、好きな子と一緒にいられる時間は限られていて、その時間を全て使い果たしてしまったら別れなければならないのなら、どうしよう。
熱くなればなるほど、何かが壊れていくような気がする。

会えない代わりに電話をしてみる。
グーリャ「こんにちは~。げんき~?」
恋人同士になっても、この緊張感のかけらもない挨拶は変わらない。
グーリャ「明日、会おうか?」
僕「そうだね。会いたい?」
グーリャ「どうしてそういうこと聞くの!? 会いたいの、当たり前ね」

「どこに行こうか?」という話になったとき、グーリャが「私のうちに来る?」という驚きの提案。
グーリャ「昼はお父さんもお母さんも大使館で働いているし、お姉さんは会社で働いているから、全然問題ないね」
うーん、怖いなあ。
グーリャのお父さんはすごく厳しいって聞いているし、お母さんとも面識はないし。
でも、行くしかないなあ。


グーリャのうちはマンション。
高級マンションの部類に入るんじゃないかなあ。
僕を出迎えてくれたグーリャは普段着のジャージ。
僕は「別に普通の格好でいいよ」と言ったので、思いっきり普段着です。

今のソファーに座って、話す。
でも、今日のグーリャは何だか様子が変。
僕「どうしたの?」
グーリャ「何でもないね・・・」
「何でもある」という感じ。

すると、グーリャは「ちょっと話しがあるね」

僕はこの瞬間を恐れていた。
いつもこうなんだ。
付き合い始めて三日後ぐらいにみんな「話があるんだけど」と言ってくる。
今までろくな話はなかった。
例えば、「他に彼氏がいる」とか「私、女の人ともいけちゃうの」(←まあ、これは僕的にはそんなに問題なし)とか、一番すごいのになると「実は私、『売り』やってたの」とか。
その瞬間は決まって、三日後にやってくる。

僕は頭を抱えた。
グーリャは「どうしたの!? 私、そんなにすごいこと言った!?」
僕「これから、すごいこと、言うんでしょ?」
僕のリアクションにかなり驚いたらしい。
僕はこれまで付き合っていた彼女が「話がある」と言ったときはろくなことがなかったと説明。
グーリャは笑って、「そこまですごくはないね」

僕はグーリャに「それって、ひどい話じゃないんだよね?」と何度も確認。
グーリャは「うん・・・」と曖昧にうなづくのみ。

これは決まった。
また「彼氏がいる」とか、「他に好きな人がいる」とか、その手の話だ。
いつもこうやって壊れてしまうんだ。

僕は覚悟を決める。
この関係がダメになるかもしれない。
でも、それも必然なのかもしれない。

グーリャ「私たち、もう会わないほうがいいと思うね」
!!!
僕「どうして!? 僕のこと、嫌いになったの?」
グーリャ「ううん。すごく好きね! だから、会わないほうがいいと思うね」
???

グーリャ「私、今年の5月にはタシケントに帰ることになっているの。私たち、付き合ってももうすぐ別れることになるでしょ? 後で別れるの、すごく辛いから、最初から付き合わないほうがいいね」
僕「でも、別れる必要、ないんじゃないの?」
グーリャ「だって、後で悲しいじゃん・・・」

僕は体の力が抜ける。
な~んだ、そんなことか。
かなりホッとする。
思わず笑ってしまう。

グーリャ「何がおかしいの!?」
僕「いやあ、だって君が真顔だったから『他に好きな人がいる』とか『私、レズなの』とか言うんだと思ったよ」
グーリャもちょっと笑顔になる。
「そんなこと、全然ないね」

僕「僕たち、お互いに好きなんだから、付き合えばいいじゃない」
グーリャ「でも、別れることを考えると悲しいね。本当は最初に会ったときから、あなたのことが好きになってたんだけど、『私はもうすぐウズベキスタンに帰るんだ』って言い聞かせて、もっと好きになったりしないように努力してたね。でも、全然ダメだったね・・・」

僕「帰るのはいつ?」
グーリャ「まだはっきりはわからないんだけど、5月ぐらい。私は大学受験があるから、先に帰って、私の家族は6月の終わりぐらいね」
確かに残された時間は少ない。

その瞬間。
僕「じゃあ、俺もタシケントに行くよ」
僕の口は、僕の頭が考えるよりも早く心の中を伝えていた。
その間、一秒もなかっただろう。

グーリャ「えっ!?」
僕「僕もタシケントに行けば、別れなくてすむよね」
グーリャ「うそでしょ!? 冗談でしょ!? あなた、ウズベキスタンがどんな国か知ってるの!? 日本とは全然違うんだから」
僕「僕は今、ロシア語圏で日本語を教えるところを探しているんだけど、ハバロフスクとか日本に近いところに行こうと思っていたんだよね。でも、正直、ロシア語が話せて、日本語教師の仕事があるところだったら、どこでもいいんだよ。タシケントだって、どこだって同じだ」

グーリャは半信半疑。
というか、「信じられない」を連発。
そして、涙を流している。
グーリャ「信じられないけど、うれしいね」
僕「信じてよ」
グーリャ「いや、タシケントの空港であなたを見るまでは信じられないね」

グーリャを抱きしめる。
彼女は喜びと驚きで混乱している。
このとき、僕の運命は決まったのだ
ウズベキスタンだ。
人生の重大な決断なんて、僕にはそんなに大事じゃない。
勇気も何も必要じゃない。
自分の気持ちに正直であること。
それを他の人たちは「勇気」と名づけているのかもしれない。

しばらくすると、グーリャのお姉さんアーニャが帰ってきた。
僕たちは急いで体を解く。
そのスピードの速さに二人、思わず笑ってしまう。
アーニャは「あら、来てたの? こんにちは」と言っていたが、ちょっと不思議な顔して、僕を見ている。
僕とグーリャは顔を見合わせながら、何事もなかったかのように、何事かあったというオーラを発散していたらしい。
アーニャはニコッと笑って、自分の部屋へ。
僕「アーニャは僕たちのこと、気づいたかな?」
グーリャ「たぶんね」
僕「別にいいんじゃない」
グーリャ「そうだね」

三人でお茶を飲んで、その日は帰ることにした。
アーニャ「また遊びに来てね」
グーリャはアーニャの後ろで、僕にニコニコと手を振っている。

僕は晴れやかな気持ちで外に出た。
ウズベキスタンか。
行ってみるか!
何があるのか楽しみでしょうがない。

僕は空を見上げるしかなかった。
そのときの僕の気持ちは缶蹴りをして、缶がポカーンと青空に舞っている光景に似ていた。

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