はぐれミーシャ純情派 第十三話 僕たちの約束の場所

2000年6月25日の朝、僕はタシケントに向けて旅立った。

グーリャと出会ったのは1月4日のこと。
知り合って半年ちょっとしか経っていないのに、僕はすでにタシケントへ向かっている。
我ながら早いと思うが、それまでもロシア語圏で日本語を教えようと思っていたわけだし。
たまたま予定が早まっただけで、たまたま行き先がウズベキスタンになっただけのこと。
この旅立ちが人生の重要なターニングポイントになることなど微塵も感じない。
むしろグーリャとの生活、見知らぬウズベキスタンの文化のことを考えるとワクワクする。

飛行機はあっという間にソウルに到着。
ここで8時間ほど待たないといけない。
僕は何もすることがなく、グーリャのことを考えて、空港のソファーにずっと座っていた。

次のタシケント行きの飛行機に乗ろうとしたとき、ちょっとしたトラブルが。
僕のスーツケースがまだ飛行機に乗っておらず、どこにあるかわからないと言う。
アシアナ航空の職員はロシア語がわからないので片言の英語で抗議。
「何とかスーツケースを見つけて、次のタシケント行きの便で送るから」と言ってくるのだが、こっちはそれじゃ困る。
しばらくすると、空港職員の所に無線で連絡があり、「スーツケースは無事に発見されて、飛行機に乗せたそうです」
本当なのか!?
これじゃあ、タシケントでスーツケースを見るまで安心はできんな。

飛行機の中に乗り込むと、みんな待ちかねた様子。
グーリャのお父さんが向こうから「大丈夫か?」と声を掛けてくれる。
やっとタシケントへ出発!

飛行機の中は結構日本人もいる。
隣に座ったのも日本人のおばさん。
何でも、息子さんがウズベキスタンで活動しているNGOかなんかで働いているらしく、会いに行くのだそうだ。
感じのいい人で、最初はよかったのだが、いつまでも終わらない息子の自慢話にちょっと閉口。
黙るのがいけないとでも思っているようで、ゆっくり穏やかな口調ながらも止まることなく話し続ける。
まいったなあ。

晩ご飯の時間。
おばさんと話しながらの夕食。
そして、照明が暗くなり、就寝の時間。
おばさんも寝てる。

僕は全く寝られない。
この一ヵ月半、この瞬間ばかりを待っていた。
グーリャ、僕を見たら、どんな顔するかな。
グーリャは僕がタシケントに行くと言っても信じてくれず、「タシケントの空港であなたを見るまでは信じられない」と言っていた。
僕が「本当に僕のことを信じてないの?」と聞くと、「そうじゃないね。ただすごく来て欲しいね」
もうすぐだよ。
もうすぐで僕たちはまた出会えるんだよ。

1時間半ほど経つと、電気がつけられて「朝食の時間です」
さっき晩ご飯食べたばっかりだろ!
そんなにしょっちゅう食えるか!
でも、出されたものは食べないとね。

タシケントの空港に無事に着陸。
途中、結構揺れたから、怖かった。
着陸した瞬間、乗客から拍手が起こる。

夜中の2時過ぎ。
外は真っ暗。
空港の建物以外は何も見えないほど。
でも、ここって国際空港だよね?
もうちょっと明るいもんじゃないの?

地上に降り立ち、すぐにバスへ。
バスはかなり古い。

空港の建物に着くと、パスポートコントロールがあって、それから税関審査。
税関申告書を書かないといけないらしいんだけど、僕は何のことやら全くわからない。
そうこうしているうちに、荷物がベルトコンベアーに乗って現れる。
僕のスーツケースも出てきた。
あー、よかった。
スーツケースの他に段ボール箱3個。

税関のところへ行くと、申告書も何も見ず、あっさり通されてしまった。
いいんだろうか?

出口のほうに行くと、グーリャが手を振って待っている。
僕はそこへ駆けていく。
僕はグーリャを抱きしめる。
でも、家族の前だから控えめに。
グーリャ「久しぶり~」
僕「どう? これで信じた?」
グーリャ「そうね。やっと信じたね」
もうちょっとドラマティックな出会いになるかと思ったんだけどなあ。

グーリャに迎えに来た親戚一同を紹介されるが、誰が誰か全くわからず。
長旅の疲れもあるのだろう。
話しが耳に入ってこない。
ただグーリャの顔を見つめる。
彼女も僕を見つめる。
言葉は要らない。
彼女の笑顔が全てを物語っている。

僕たちは真っ暗な駐車場へ向かう。
親戚の男たちが荷物を運んでくれる。
夜の闇にまぎれて、僕とグーリャはちょっと手をつないでみる。
触れた手の熱が心の奥にまで伝導していく。

荷物を車に載せ始めて、何かがおかしいことに気づく。
なんか身軽だなあ。
と思ったら、スーツケースがない!
親戚の男たち、みんな走り出す。
僕も男たちの後に走り出す。
グーリャはケラケラ笑ってる。

空港の建物の前に、飛行機で一緒だったウズベキスタンの外交官が僕のスーツケースを前に途方にくれている。
外交官「いやあ、どうしたものかと思ってね」
ありがとう!
みんなの話では、これはかなりラッキーなこと。
スーツケースがなくなっても文句は言えないところだったそうだ。
まあ、空港みたいに人の出入りが多いところで、スーツケースを置いてどこかに行くなんて、自殺行為だろうからな。

後から聞いた話しによると、このとき、グーリャの親戚たちはみんな「あの日本人はいい奴だ」と思ったそうだ。
どうしてかというと、「着いていきなりスーツケースを忘れるようなおっちょこちょいに悪い奴はいない」
喜んでいいのか悪いのか・・・

どこに行くのかわからないまま、車に揺られること約20分。
ついたのは住宅街のマンション。
僕の荷物だけを降ろしている。
何でだろう?と思って、聞いてみると、そこはグーリャの叔母さんのうち。
グーリャには叔母さんが二人いる。
今いるのはミーラ叔母さんのうちの前で、グーリャが住んでいるのはラリサ叔母さんのところ。
グーリャパパに聞くと、「ラリサの所は部屋が足りないから、お前はここに一週間住め」
えーっ! 何、それ!!!

というのも、グーリャ一家のマンションは4年もほったらかしだったから、とても住める状態じゃないらしく、簡単なリフォームが済むまでは他のところで我慢しないといけないのだ。
でも、グーリャと一緒じゃなかったら、全く意味がないじゃないか!
着いて2時間も経ってないのに、また別々になるのは絶対に嫌だ。

僕は必死に抵抗する。
グーリャもパパを説得する。
グーリャパパ「ラリサの所は狭いけどいいのか?」
僕「もちろん!」
ただ単に狭いから、日本から来たお客さんを住ませるのは悪いと思ったらしい。
親戚側がみんな折れてくれて、僕とグーリャは一つ屋根の下に暮らすことに!!!

でも、よく考えたら、すごい迷惑な話だよなあ。
だって、居候の分際で「ここには住みたくない」なんて言うんだから。
我がままだとは知りつつも、ここは折れるわけにはいかない。
グーリャと一緒にいるためにタシケントまで来たのだから。

またみんなで窮屈な車に乗って、ラリサ叔母さんのうちへ。
そこは4階にある、ごく普通のマンション。
中に入ると、歓迎のパーティーでもするのだろうか、テーブルがセッティングされている。
僕は疲れでボーっとしている。
まだパーティーの料理が出来上がっていないらしく、1時間ほど待つことに。

パーティーが始まったのは朝の4時半。
みんなかなり眠そうな顔をしているんだけど、それでも歓迎の宴ははずせないらしい。
メインの料理はテーブルの真ん中にドーンと鎮座しているプロフ。
プロフというのはまあ、言ってみればピラフ。
でも、味付けは香辛料がきいていて美味。
そして、お酒はウオッカ。
フィンランディアという高級ウオッカ。
僕は疲れているのもあって、ほとんど飲めない。
まあ、疲れていなくても、ウオッカなんて飲めないのだが。

疲れていて、みんなが何を話しているのか全く理解できず。
向こうも僕に気を使うことなく、内輪話をしているから、こちらとしては好都合。
僕とグーリャは手をつなぐことはできない。
僕たちが恋人であることはみんなは知らない(ことになっている)。
僕たちはテーブルの下、足だけで会話をする。

パーティーは一時間ほどで終了。
外はすっかり明るい。
みんな疲れ切っている。
僕はラリサ叔母さんの娘、アレーシアの部屋を使わせてもらう。
グーリャはアレーシアと一緒にバルコニーで寝る。
僕は泥のように眠り込む・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次の日、起きたのは朝の10時。
僕はどんなに疲れていても、遅くまで寝ているのが苦手だ。
朝起きると、グーリャとラリサ叔母さんが町へ買い物に行くと言う。
なので、僕も一緒に行くことに。

外に出ると、暑い。
昨日、飛行機を降りたときも夜中なのに蒸し暑いなあと思ったが、やはり昼の暑さとは全く違う。
この暑さは強烈だ。
グーリャは「だいじょうぶ~?」と心配してくれるのだが、あんまり大丈夫じゃない。

最初にラリサ叔母さんがお金を両替するとかで、何かの建物に寄り道。
外に出てまだ15分しか経っていないのに、僕はKO寸前。
暑い。
とにかく暑い。

両替が終わって、僕たちはタクシーで市場へ行くことに。
市場はごちゃごちゃしていて、人でごった返している。
屋根は一応あるのだが、ほとんど露天。
日本では見たことのないような雰囲気。
売っている日用品も、見たことのないようなものばかり。
おもしろいのだが、暑くてかなわない。

うちに帰った頃には、僕は完全にKO状態。
おそらく、日射病だろう。
そんなに長い時間、外にいたわけじゃないのになあ。
その日はそのままベッドから立ち上がれなかった。

・・・・・・・・・・・・・・

次の日、僕はグーリャとアーニャに付き添ってもらって、ウズベキスタンの友好協会へ行く。
日本の友好協会がその協会と連絡を取って、僕の仕事先を探してもらったのだ。
地下鉄で10分ぐらい。
そこから歩くのだが、これがまた暑い。
アーニャが町を歩く人に道を聞きながら、何とか目指す建物に到着。

協会の事務所に入ると、協会の偉い人のところに通される。
その人はおばさんなのだが、異常に愛想が悪い。
というのも、実は僕がタシケントに到着したとき、僕を迎えに協会の人たち数人が空港内で待っていたのだそうだ。
名前を書いた紙を持って立っていたのだが、僕は全く気づかなかった。
結局、彼らは3時間近く待ち続け、その後も僕からの連絡がないので、ものすごく心配したのだそうだ。
それは悪いことをしたなあ。
でも、迎えに来てくれるなんて、一言も言ってなかったのに。

おばさんは「まあ、好きなようにすれば」と言って、完全に怒りモード。
協会を出ると、アーニャがキレまくる。
「あんな失礼な人、初めて会ったわ!」
グーリャは「やっぱり日本とは違うね」

そのあとはアーニャの知り合いに会うことに。
町の中心にあるティムール公園で男の子と待ち合わせ、近くのハンバーガー屋に入ることに。
僕は暑さでまたもやKO寸前。

ハンバーガー屋はそれほど人がいない。
それもそのはず、値段が恐ろしく高い。
正確には覚えていないが、日本のマクドナルドよりも高い値段。
しかも、冷えたハンバーガーを電子レンジで温めるから、ベチョベチョ。
グーリャが「何食べる?」と聞いてきたのだが、暑くて食欲がないところに、あんなハンバーガー食べたらヤバイだろうと思い、飲み物だけに。

僕は一言も話せない。
暑さで吐き気がする。
みんな、僕のことはそっちのけでおしゃべりしている。
グーリャが「どうして話さないの?楽しくないの?」と聞いてくるが、こんな体調で楽しいはずがない。
結局、早めにうちへ帰ることに。
何かうまくいかないなあ。
僕のせいで楽しい時間をダメにしてしまったような気が・・・

・・・・・・・・・・・・・・

僕たちは結婚していないから、一緒に寝ることは出来ない。
ウズベキスタンではその辺のところはものすごくカタイのだそうだ。
婚前交渉は一切タブー。
それにグーリャの家族や親戚たちは僕たちの関係を知らないのだから、恋人のような振る舞いは全くできない。

でも、夜中になって、みんなが寝静まると、グーリャが僕の部屋にやってくる。
そして、二人だけの夜が始まる。
日本にいたときは、一緒に夜を過ごすことは出来なかった。
初めて過ごす二人の夜は幸せに満ちた、満ち満ちた月の夜。

朝まで一緒にいるわけにはいかない。
もし一緒に寝ているところを見つけられたら、一巻の終わり。
だから、いくら眠くても、寝入ってしまうわけにはいかない。

朝の5時。
僕たちは台所に行く。
グーリャはのどが渇いたと言って、水道の水を飲む。
僕も何か飲みたかったのだが、冷蔵庫に飲み物は全くない。

グーリャが飲んでいるのを見て、僕も水道の水を飲みたくなった。
でも、水道の水を直接飲むのは少し心配だ。
グーリャに聞くと、「全然大丈夫だよ。私だって、飲んでるじゃん」
そうか、と思い、飲んでみる。
うまい。
のどが渇いていたから、ゴクゴク飲む。

それが大きな間違いだったと気づいたのは2時間後のこと。
恐ろしくお腹が痛い。
お腹を壊したというレベルではない。
胃を雑巾絞りされるような痛み。
トイレとベッドの上の往復をするのもやっと。
立ち上がれないほどの痛み。
もちろん、何も食べられない。

とにかくのどが渇く。
ラリサ叔母さんの娘、アレーシアにジュースを買ってくるように頼む。

アレーシアが買って来たジュースは「チャンピオン」という名前のジュース。
パッケージには金メダルを首にかけたレスリング選手、アレクサンダー・カレリンの写真が。
そのまんまじゃん。
さくらんぼのジュースだったのだが、これがバカうま。
感動的。
さすが金メダリスト!

僕はベッドの上を文字通りのた打ち回る。
出てくるのはうめき声ばかり。
グーリャは心配して、僕の部屋をしょっちゅうのぞきに来る。
かっこ悪い。
せっかくタシケントまで来たのに、三日目にダウンしてるなんて情けない。
でも、尋常な痛みではない。

次の日も痛みは引かない。
夜はほとんど寝られなかった。
昨日から何も食べていない。
というか、食べられない。
トイレに行くのもやっとという始末。

夜になって、グーリャがヘンな液体を持ってきた。
確かマルガンツォフカという名前だったと思う。
紫色で、飲みたいとは誰も思わないような液体だ。
グーリャが「これ、飲んで」。
それを飲むと、吐き気がして、胃の中のものを全部吐き出せるのだそうだ。

僕は薬というものが大嫌いだ。
これは子供のときからで、3歳ぐらいのとき、食後に飲むべき風邪薬を食前に飲んでしまい、後でひどい目にあったのだ。
そのとき以来、カプセルや錠剤はかろうじて飲めるようになったものの、粉末やシロップなどは一切飲まないのだ。
そんな紫色の変な液体、飲めないよ。

何とか僕に飲ませようとするグーリャ。
「子供みたいなこと言わないで」とか、いろいろ言ってくるのだが、飲めないものは飲めない。
グーリャは「じゃあ、わかった。私が飲んでみせるから、そしたらあなたも飲んでね」と言って、それを飲もうとする。
僕はそれを必死で止める。
僕は「もうちょっと寝ていれば大丈夫だから」とグーリャを説き伏せる。

結局、僕は3日間、ベッドから起き上がることも出来ず、寝たきりの状態だった。
水道の水は飲んじゃいけない!

・・・・・・・・・・・・・・

体調が回復した僕はグーリャとアーニャと大学へ行く。
僕が働く予定の大学。
出迎えてくれたのは副学長のフサン。
彼の部屋に入ると、扇風機が回っている。
久しぶりに見たなあ。

フサンは愛想がいいおじさん。
秘書のお姉さんも感じがよく見える。
僕にウズベク語の挨拶を教えてくれるのだが、かなり難しい。
グーリャもアーニャもウズベク語はほとんど理解できない。
グーリャパパはウズベク人だが、グーリャママはロシア人で、家族の中の会話は全てロシア語なのだ。
グーリャは「私もウズベク語、勉強しないとダメね」

フサンと条件の話をする。
大学の契約書を見せられる。
よく見ると、給料のところが「一ヶ月10ドル」になっている。
10ドル!
日本円で約1000円!
小学生のお小遣いだって、もうちょっと高いぜ。
日給の間違いかと思ったよ。

フサンに「あの~、東京では一ヶ月50ドルと聞いてきたんですけど」と聞くと、「東京の人が何を言ったかは知らないが、私は50ドルなどとは一度も言ったことはない」
うーん、これはひどい。
でも、いまさら働かないとも言えないし、ある程度の金額のお金は持ってきているから、大丈夫かと思い、契約書にサインをしてしまう。

・・・・・・・・・・・・・・・

僕とグーリャの間にいったい何が起こったのか、僕には今でもわからない。
最初、僕たちはすごくうまくいっていた。
それこそが僕たち二人が望んだ生活だった。

その歯車が少しずつずれていく。
僕たちが一緒に過ごす時間は少しずつ短くなっていく。
グーリャは大学受験のために、毎日家庭教師のところに通っている。
宿題の量も半端ではない。
僕たちが一緒にいられるのは食事のときぐらい。

アーニャと一緒の時間が多くなる。
アーニャは大学も卒業してしまっているし、タシケントに帰ってきたばかりで特に仕事もない。
だから、どこへ行くのもアーニャと一緒。
大学へ行くのも、日本大使館に行くのもアーニャと一緒。

ずっと一緒にいると、アーニャのいろんな面が見えてくる。
彼女は「私はこんなに綺麗なのに、どうして恋人がいないんだろう」と真顔で言うのだ。
最初聞いたときはかなり驚いた。
だって、普通、自分で言わないだろ!
確かにアーニャは綺麗なのだが、僕にはグーリャしかいないのだ。

性格は非常に我がままで、こちらの言うことなんか聞いちゃいない。
そして、僕に対してアピールしまくり。
「私は頭がいいのに、なんで彼氏がいないんだろう?」
だんだん、彼女のことが嫌になる。

だいぶ後になって気づいたのだが、どうやらグーリャの両親は僕をアーニャと結婚させようとしていたのではないか?
例えば、どこかに行くということになったとき、僕がグーリャに「一緒に行こうよ」と言うと、グーリャママは「アーニャと行きなさい」。
確かにグーリャは受験を控えているから仕方がないとは言え、グーリャの両親は必要以上にアーニャと僕を一緒にいさせようとする。

でも、それも仕方のないことなのかもしれない。
ウズベキスタンでは18歳になる前に結婚している人もたくさんいる。
アーニャは23歳で、ちょっと適齢期を過ぎているのだ。
両親がお姉さんのほうを先に結婚させたいと思ったのかもしれない。

ある日、僕はグーリャにたまったストレスをぶちまけた。
もうアーニャと一緒にいるのは耐えられない。
アーニャはわがままで一緒にいるのは嫌だ。
僕は君と一緒にいるために来たんだ。
これじゃあ、何のために来たのかわからない。

それに、グーリャママのやり方も気に入らなかった。
意図的に僕とグーリャを遠ざけようとしている。
それに、「グーリャは忙しい」と自分で言っておきながら、グーリャにいろんな家事をさせている。
そんなのおかしいよ。

グーリャの態度はこの出来事を境に急変する。
彼女にとって、家族というのは絶対的な存在。
その家族を批判した僕をグーリャは許せないらしい。

僕にあっても、挨拶程度。
顔には怒りが満ちている。
ここまで変われるものか。
僕はグーリャに必死で謝るが、彼女は聞く耳を持たない。

僕たちの距離はどんどん離れていく。
僕とグーリャの間に高い壁が出来ていく。
僕は立ち上がれなくなる。
僕は食事がとれなくなる。
全く食べられない。
一週間ほど、そんな状態で過ごす。

僕は居場所をなくす。
そして、僕は力尽きる・・・

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