はぐれミーシャ純情派 第十二話 愛で自転車が曲げられますか?

グーリャがタシケントへ行ってしまった今、僕がするべきことはただ一つ。
一刻も早くタシケントへ行くことだ。
そのためにしなければならないことは山ほどあるはずなのだが、グーリャのところへ行くためなら、僕は何でもしよう、何にでもなろう。

空港から戻った僕は、早速手紙を書き始めた。
タシケントではインターネットを使うこともままならない。
タシケントではグーリャは家族がみんな帰ってくるまで叔母さんのうちに住むことになっている。
当然、そこにインターネットはない。
手紙と電話しか、彼女とつながる方法はないのだ。

僕は昨日、つまりグーリャが旅立つ前日にすでに一通目の手紙を送っていた。
ウズベキスタンに手紙が届くのがいつになるか、全く予想がつかなかったので、早めに出しておいたのだ。
手紙が届かないうちは彼女も寂しがるだろうから。

東京中央郵便局に電話してみる。
手紙がウズベキスタンまでどのくらいで届くのかを知るためだ。
非常に丁寧な応対だったのだが、その答えは曖昧なもの。
郵便局員「ロシアに限らず、旧ソ連圏への郵便物はまずモスクワに送られます」
聞けば、日本に近いウラジオストックやハバロフスクへの郵便物もとりあえずモスクワに行くらしい。
郵便局員「モスクワまではだいたい○日ぐらいかかります」
僕「じゃあ、そこからウズベキスタンまではどのくらいかかるんですか?」
郵便局員「わかりません」
えーっ! そんなー!
モスクワから先は向こうの郵便局員が担当することなのでわからないのだそうだ。
こりゃあ、困った。

その日の夜は私のアルバイト先、世田谷パブリックシアターでのアルバイト。
僕の仕事は楽屋事務所での受付。
つまり、楽屋の入口に座って、入館者をチェックしたり、楽屋の管理、全員が退館した後の鍵閉めなど、重要な雑用なのだ。
しかし、基本的には座っているのが仕事。
劇場職員の方に何か雑用を頼まれたときは別だが、普通は座っているだけなのだ。

手紙を書いていると、仕事を終えた技術部の人たちが事務所に戻ってくる。
ある日、私が一度も話したことのない照明係の人が「おっ、古○くん、勉強かい?」と声を掛けてくれた。
僕は「いいえ、彼女に手紙を書いてるんです」というと、「ロシア語でかい? いいねえ」とニコニコ。
何かすごくうれしい。

僕は劇場に座っている間、グーリャへの手紙を書いていた。
僕は毎日、手紙を書き続けた。
多いときは一日に二通書いた。
近所の郵便局や劇場近くの郵便局から送るのだが、「ウズベキスタンまで速達でお願いします」と言うと、大抵の郵便局員は「ウズベキスタン?・・・えーっと、それはどの辺りの地域でしょうか?」
まあ、無理もない。
僕だって、最初はいったいウズベキスタンがどこにあるのか知らなかったのだから。
ほとんど毎日「ウズベキスタンまでお願いします」と言い続けていたら、郵便局員に顔を覚えられてしまった。

手紙の中には毎回、自分でロシア語に翻訳した日本の現代詩を入れた。
グーリャはいつも「ウズベキスタンは日本と違って、面白いものが何にもないね。すごく退屈すると思うね」と言っていたので、少しでも退屈しないようにと思ってのことだ。
日本語からロシア語に訳すのは非常に難しいことだ。
普段なら、そんな大変なことはしようとも思わないだろう。
しかし、その頃の私はとり憑かれたように辞書をめくっていた。

グーリャに電話できたのは2日後のことだった。
ウズベキスタンまでは最初に韓国のソウルへ行って、そこで飛行機を乗り換えてから行くので、かなり時間がかかるのだ。

電話をかけると、受話器をとったのはグーリャの叔母さん。
僕がロシア語で「すみませんが、グーリャはいますか?」と聞くと、おばさんは最初は戸惑ったような声で「あ、はい、グーリャね。今呼ぶから」
電話に出たグーリャ、「こんにちは~。元気~?」と相変わらず緊張感ゼロの声。
声も近くて、東京とタシケントで離れている感じは全くしない。
僕「そっちはどう?」
グーリャ「暑くて、死にそうね」
まだ5月なんだけどなあ。
会話そのものは全くたわいのない雑談。
でも、電話を通して聞こえてくるグーリャの声は僕たちの生命線だった。

僕は毎日グーリャに電話をした。
最初は5分程度のものだったのだが、その時間は次第に長くなり、長いときで1時間半にも及んだ。
電話でケンカをしたこともある。
国際電話でケンカをするなんて、非常に贅沢。

そこで心配になるのは電話料金。
最初は近くの公衆電話からかけた。
うちからかける方法を知らなかったし、硬貨を使ったほうが自分がどれだけお金を使っているのかわかるから、無駄遣いしなくていいと思ったからだ。
でも、さすがに国際電話だから、10円玉なんかでやると、一枚5、6秒の速さで落ちていく。
100円玉だと、多少は持つがそれでもスピードは速い。

日本とウズベキスタンの時差は4時間。
昼間はグーリャも受験勉強などで忙しいだろうから、タシケントの夜の8時や9時に電話をするのだが、東京の時間は夜中の0時や1時。
一番近い公衆電話までは自転車で7、8分のところ。
僕は自転車をかっ飛ばして、公衆電話へ急ぐ。
ポケットに大量の硬貨を入れて。

僕はよく自転車で転んだ。
転ぶのはグーリャと電話で話す前よりも、話した後のほうが多かった。
おそらく、かなりボーっとしていたのだろう。
グーリャと話せた喜びで、僕の頭の中はバラ色だった。
傍から見たら、夜中に思いっきりニヤニヤしながら、自転車をかっ飛ばす男はかなり危険人物に見えたことだろう。

ある日、僕はグーリャに電話をかけてから、うちに自転車で帰る途中、ものすごい勢いで転んだ。
奇跡的にもちょっとした擦り傷で済んだのだが、自転車のほうはどこかの部品が曲がってしまったらしく、まっすぐ進むことが出来ない。
翌日、自転車屋に持っていってみると、ハンドルがついている一番太い軸の部品がひん曲がっているらしく、自転車屋のおじさんに「どんな転び方をしたら、こんな部品がこんな風に曲がるのか見てみたいよ」と言われた。
自分でも見てみたいよ。

僕はタシケントに行く準備を着々と進めていた。
タシケントでの仕事はすでに決定。
ウズベキスタン世界言語大学というところで日本語を教えることに。
給料は一ヶ月50ドル。
恐ろしく安いが、タシケントでは十分生活できる金額なのだと言う。
でも、一番大事なのはグーリャ。
正直、どこで仕事をするのかはそれほど大事ではなかった。

そして、問題なのが飛行機のチケット。
どの旅行会社に電話をしても、いいチケットが見つからない。
グーリャと同じ、ソウル経由で行こうと思ったのだが、かなり人気のある路線らしく、なかなか取れない。
6月中で一番早い時期のチケットという条件で探していたのだが、全く見つからず。

ある旅行会社に電話したときのこと。
「タシケントまでですか? はい、大丈夫ですよ」と言ったので、一瞬喜んだ私。
日にちもかなり早いもの。
僕「それって、ソウル経由ですよね?」
旅行会社「うーん、それは難しいかもしれませんが、がんばってみます」
何か会話がかみ合わない。
ソウル経由なのかと何度聞いても、違うとは言わない。
なのに、向こうは「じゃあ、タシケントまで6月○日のチケット、予約するということでよろしいですか?」
なかなか経由地を言わない相手に、しびれを切らした僕は「どこ経由のチケットなのか言ってくれないと、予約はできません!」と怒り声で反撃。
実はそのチケットはクアラルンプール経由。
しかも、クアラルンプールでホテルに二泊しなければならないというもの。
これじゃダメだということでお断り。
東南アジアの国を経由するのって、何かちょっと怖い感じがして・・・
他にもイスタンブール経由やパキスタン経由などを勧められたが、まあ、クアラルンプールと似たり寄ったりなのでパス。

結局、ソウル経由のチケットを取ってくれたのは、銀座にオフィスがある旅行会社。
早速、料金を払いに銀座へ。
非常に気持ちのいい応対で、こちらも気分がよくなる。

タシケント行きのチケットは6月25日出発のもの。
タシケントへの到着は日付が変わって、6月26日になる。
これでやっとグーリャに会える日が決まった。
そのことをアーニャに電話をして伝えると、「そう。じゃあ、私たちも同じ飛行機にするから」
ということで、同じ飛行機でみんなでタシケントに向かうことに。

グーリャとは毎日電話。
公衆電話まで行くのが大変になり、僕は国際電話のプリペイドカードを使うようになった。
電話代は○万円・・・

手紙もグーリャのところに届くようになった。
かかった日数は二週間。
速達なのだが、その意味はほとんどないらしく、タシケントに着くまでは普通郵便と一緒。
タシケントについてから、現地の郵便局員が速達として、早めに届けるということなのだそうだ。

僕が毎日手紙を送っていたからと言って、毎日届くというわけではなく、グーリャは4日に一回、4通(または5通。一日に二回手紙を出したこともあったので)の手紙を受け取っていた。
内容はほとんど日記。
その日にあった出来事を書き連ねる。
そして、愛の言葉も。
毎回、一緒に送っていた詩もグーリャは楽しみにしていたらしい。
グーリャ「本当に面白いね。あなたのロシア語、だんだん上手になってるね」

ある日、お姉さんのアーニャから電話があり、「グーリャからの手紙を預かっているんだけど、今度会いましょう」
数日後に恵比寿の駅で待ち合わせ。
アーニャから手紙を受け取る。
手紙はノートから破り採ったものに書いたらしい。
封筒の形に折ってあって、周りがホッチキスで留めてある。
全くもって、開けにくい。

手紙の中身はロシア語と日本語のミックス。
半ページにわたって、「書きたいんだけど・・・どうしようかな・・・恥ずかしいな・・・」と書いてあり、そのあと「じゃあ、思い切って書くけど・・・好き!」
なんじゃそりゃ?
今までは好きじゃなかったのかいな!
実はそういうわけではなく、ロシア語では「あなたが好き」という言葉は日本語で言うところの「愛してる」に相当する、かなり深い感情の言葉なのだ(ということは後で知った)。

出発への準備を進める。
マンションを引き払う準備、いろんな人とのお別れ会など、やるべきことは数限りない。

でも、止まるわけにはいかない。
僕はグーリャのところへ、愛する人のところへ行くのだ。
彼女に会える瞬間はもう手の届くところまで来ている。
僕は今は会えないグーリャのことだけを考えて生きている。

会えない時間は愛を育てない。
会えないのは会えないだけで、苦しいだけだ。
会いたいから会いに行くのであり、そこがウズベキスタンだろうが、世界の果てだろうが、そんなことはどうでもいいのだ。

僕の周りにいた人たちの中には「あいつはちょっと頭が狂ったのかもしれない」と言っていた人がいるらしい。
狂えない人たちを僕はかわいそうだと思う。
むしろ狂っていた頭が正常になったような気さえする。

「好きな人のためにそんなところまで行くなんて、勇気あるよね」と言った人もいる。
これは勇気ではない。
人を愛するのに勇気なんかいらない。

僕はタシケントに向けて飛び立つ。

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