はぐれミーシャ純情派 第十一話 束の間の別れ

グーリャが日本を離れる日まで2週間を切った。
僕たちを待っているのは一ヵ月半の別れ。
遠距離かどうかなんて関係ない。
会えないのなら、遠くても近くても同じことだ。
「心が一つなら・・・」などという綺麗事を言う余裕は僕たちには全くなかった。
心も体も一つになっても、まだ何かが足りない。
その「何か」がないことが、僕たちを不安にさせた。

ある日、うちの母親が「東京へ行く」と言い出した。
「ウズベキスタンでお世話になるんだから、一度会ってご挨拶しないといけないだろう」というもっともな理由。

グーリャにそのことを話すと、「それはちょっと怖いね」。
僕「何が怖いの?」
グーリャ「だって、お母さんでしょ」
僕「うちのお母さんは怖くないよ」
グーリャ「そういう問題じゃないね。あなただって、私のお母さんと初めて会ったとき、緊張したでしょ?」
まあ、そうだな。
グーリャ「それに、あなただって、私のお父さんと会うの、怖がってるじゃない」
それは君が散々プレッシャーをかけてるからだよ。
グーリャは「私はあなたのお母さんと会って、あなたは私のお父さんと会う。これでおあいこね」と言って笑ってる。

自慢じゃないが、うちの母親は東京は一人で歩けない。
なので、新幹線のホームまで迎えに行く。
母親はグーリャの家族に会うためだけにやってくる。
だから、次の日は山形へ帰ってしまう。
その日の昼は一緒に東京の街を歩き回った。

夕方、グーリャと待ち合わせをしている目黒駅へ。
改札口のそばに立っていたグーリャ、かなり緊張している様子。
いつもだと「こんにちは~」と気が抜けたような声で言うのだが、今日は「~」がない。
グーリャ「はじめまして」
母「はじめまして」
僕「ま、とりあえず行こうか」
いつもだと二人で時間を稼ぎまくりながら、グーリャのうちに行くのだが、今日はバスで。

うちに着くと、グーリャ一家が待ち構えている。
全員が勢ぞろいしているのを見るのは初めてだ。
というか、グーリャパパとは初対面。
グーリャは「うちのお父さん、厳しい人ね」と散々言われていたから、びびりまくり。
でも、今日は僕は母親と一緒だから怒ったりはしないだろう。

正直、何を話したかは憶えていない。
みんなで食事して、いろいろ話した。
話したと言っても、うちの母親に通訳してあげないといけないから、自分ではあまり話さなかったなあ。
グーリャとお姉さんのアーニャは日本語が話せるけど、グーリャの両親は日本語が全く話せないから。
ウズベキスタンの写真を見せてもらったりしてリラックスムード。

最後にうちの母親が「うちの息子をよろしくお願いします」と言った時、僕は通訳した後、グーリャパパに「僕、本当にお宅に住んでいいんですか?」と聞いてみる。
グーリャパパ「当たり前じゃないか! だって、君はうちの娘の友達なんだから」
「友達」という言葉に引っかかりを感じながらも、グーリャパパが本当に僕を受け入れてくれていることが感じられて、素直にうれしい。
グーリャはお父さんのことを「怖い」って言ってたけど、全然普通のお父さん。
全然怖くないじゃん。
今日の夕食の最中も、終始ニコニコ。
僕が母親同伴だからというわけではなさそうだ。

結局、グーリャ家を出たのは夜の23時半。
電車の時間がかなり危ない。
急いで目黒駅に行き、そこから山手線で渋谷まで。
そこから、東急東横線で三軒茶屋へ行き、そこで東急世田谷線で世田谷まで。
そして、ブラブラと歩きながら二人でうちへ帰った。

・・・・・・・・・・・・・・

グーリャがタシケントへ行ってしまう日が近づいている。
少しでも一緒にいたい。
僕たちはほとんど毎日会った。
1時間でも30分でも時間がなくても、僕たちは二人の時間を作った。
場所は関係なかった。
視線を絡めるだけで喫茶店は僕たちの部屋になり、指を絡めるだけでテーブルはベッドになった。

グーリャにとっては久しぶりのタシケント。
確か4年ぶりで、その間、一度もウズベキスタンには帰っていない。
グーリャはいつも「帰るのが怖いね」と言っていた。
僕「どうして? だって、自分の国でしょ?」
グーリャ「あなたはウズベキスタンのことを知らないからね。全然違う世界だから・・・」
彼女の言葉が正しかったということを、後に僕は思い知ることになるのだが・・・

グーリャがタシケントに帰る2日前。
僕たちは買い物に行くことにした。
今日はいつもと違って、目黒駅のホームで待ち合わせ。
現れたのはグーリャとお姉さんのアーニャ。

もう夕方。
時間がないから、急がないと。
山手線で新橋まで行く。
「なぜ新橋?」と思ったのだが、新橋の駅前にあるディスカウントショップが二人のお気に入りらしい。
駅前には仕事帰りにちょっと一杯やっていこうというお父さんたちでいっぱい。
店に入ると、二人は一階の化粧品コーナーで香水を物色。
「もっと日本っぽいお土産じゃなくていいの?」と聞くと、「こんな香水、ウズベキスタンでは売っていないから、みんな喜ぶね」
そういうものか。

その店で大量の買い物をした後、アーニャは一人でうちへ帰り、僕とグーリャは秋葉原へ向かった。
グーリャがいろいろとプレゼントを探している間、僕はMDプレーヤーを買った。
タシケントまで重いステレオ機材は持っていけない。
だから、ポータブルのMDプレーヤーがあれば便利だと思ったのだ。
グーリャは「いいね~。私も欲しいね~」

二人で食事をしようということになり、町を歩くのだが、秋葉原には適当な店があまりない。
僕たち二人でする、日本での最後の食事。
散々歩いて、歩き疲れて、結局入ったのはチェーンの居酒屋。
いかにもくたびれたサラリーマン向けで、若者が入るようなところじゃない。
でも、とにかくどこでもよかったのだ。

適当に料理を注文して、これからのプランについて話す。
僕がタシケントに行ったらどうするかなどなど、話は尽きない。

隣のテーブルからの視線が気になる。
割と若いサラリーマン三人組。
ぶつぶつ何か言ってる。
「かっこつけてるよな」「こんなかわいい子と一緒でうらやましい!」「こんな店、彼女連れで来るんじゃねーよ」「うざいな」などなど。
ケンカする気もないので、適当に流す。

僕はグーリャにひそひそ声で「隣にいる奴ら、うちらのことぐちゃぐちゃ言ってるよ」
グーリャ「ただうらやましいだけね」
僕「そうだな。彼女いなさそうな顔してるもんな。もっとうらやましがらせようか?」
グーリャ「そうね。キスでもする?」
僕たちはテーブル越しにキスをした。
そのときのサラリーマンたちの反応ときたら!
テーブルを叩き、「むかつく!」
バ~カ!

僕たちはグーリャのうちに向かう。
もうグーリャパパとも知り合いだから、堂々とうちの中へ入っていく。
グーリャは「ねえねえ、さっき買ったプレーヤー、みんなに見せてよ」。
僕が箱を開けてプレーヤーを取り出すと、グーリャはパパに「私もこういうのが欲しい!」とおねだり。
僕「一緒に住むんだからさ。貸してあげるよ」
グーリャ「それじゃダメなの!」

僕たちはタシケントに行くプランなどを話し合う。
今回、タシケントに帰るのはグーリャ一人だけ。
彼女は大学受験の勉強があるから、先に帰るのだ。
日本と違って、ウズベキスタンの大学の入試は夏。
なので、みんなと一緒に帰ったら、準備が間に合わないというわけ。

グーリャパパ「君はいつタシケントに行くつもりなんだい?」
僕「いろいろ準備があるから、6月の終わりごろになってしまうと思います」
グーリャパパ「じゃあ、私たちと一緒だな」
同じタイミングで帰るのか。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、もう11時。
僕はうちへ帰ることに。
明日は会えないから、あとは空港までの見送りだけ。
だから、僕たちは二人っきりでいる時間が欲しかったのだが、アーニャも一緒に僕をバス停まで送ると言う。

外に出る。
町を歩く。
バス停までは近すぎる。
僕は目黒駅まで歩いていくことにする。
グーリャとアーニャは山の手通りまで送ってくれることに。

僕たちは笑顔で別れる。
次に会うのはあさって、空港へ行くときだけだ。
山の手通りを渡っても、僕は手を振り続ける。
そこにあった、酒屋の軽トラックの荷台に飛び乗り、飛び跳ねて手を振る。
二人は笑っている。
僕は他に自分の悲しみを静める方法を知らなかったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして、二日後。
グーリャがタシケントへ行ってしまう日。
「僕も一ヵ月半後には行くのだから」と自分に言い聞かせても、効果は全くない。
会えなくなる。
僕たちは確実に一ヵ月半の間会えなくなる。
今日はなぜか酸素が薄い。

僕は待ち合わせ場所のロシア大使館前へ急ぐ。
朝の7時半。
周りには警備の警察官以外、誰もいない。
僕はグーリャを乗せた車を待つ。

霧の向こうには東京タワー。
初めてのデートはここだったな。
あの頃はグーリャに対して特別な感情は全く持っていなかった。
あれから3ヶ月。
僕たちは恋に落ち、僕はタシケントに行くことを決めた。

展開が早いのはわかっている。
でも、早いとか遅いとか、そんなのはどうでもいいことだ。
長く付き合ったからと言って、お互いのことを深く理解しているとは限らない。
「付き合った期間が短いからダメだ」なんていうのは、人を深く愛したことがない人間だ。
大事なのは「時間の長さ」じゃなくて、「想いの深さ」なのだから。

僕の前に黒塗りの車が止まる。
中にはグーリャ。
アーニャは前の助手席に座っている。
僕は後ろの座席、グーリャの隣に滑り込む。
こんな車を見ると、グーリャは外交官のお嬢さんなんだなあ、と改めて実感する。
大使館職員の運転手も何だかこわもての感じ。

僕たちはほとんど言葉を交わさない。
僕はグーリャとの間に脱いだ上着を置く。
上着の下からグーリャのほうに手を伸ばし、グーリャの手を捕まえる。
グーリャはニッコリ笑って「いいアイデアね」。
僕たちは表向きは「ただの友達」。
アーニャや大使館職員の前では、「友達」を演じなければならないのだ。
実は前日に「どうやったらグーリャと手をつなげるか」、ずっと考えていたのだ。

僕たちの手は空港に着くまで、ずっと一緒だった。
僕はグーリャの指の間に指を滑らし、いろんなものを零れ落ちないように掬い上げる。
一生懸命絡み合えば一つになれるかも、と僕たちの枝々。
夜に紛れ込んで、僕たちは渦を巻いて、溶けていく。

   僕たちを乗せた車は成田空港に着いてしまう。
   僕たちは零れ落ちる。
   僕たちはほどける。
   僕たちは太陽の下にさらされる。
   もう日本では君の手とは出会えない。

空港には別の車で来たグーリャパパが待っている。
僕は握手をして、ニッコリ。
ここからは家族の時間だ。
一ヵ月半離れるだけなのに、みんな寂しそうだ。
そういう自分が一番寂しそうに見えているのかもしれないが。

僕たちは「友達」として話すことしかできない。
パパとアーニャは二人で話をしていて、ちょっとだけ距離が出来る。
すると、グーリャが「リップスティック、持ってる?」
僕はポケットからリップスティックを取り出す。
グーリャはそれを受け取ると、自分の唇に塗る。
そして、それを僕の唇にも塗る。
グーリャ「キス、できないからね・・・」
僕たちはどうしてキスができないのだろう。
目の前にいる人にキスをしてはいけない理由が僕にはわからない。
グーリャ「このリップスティック、もらってもいい?」
僕「もちろん」
グーリャ「これ使うたびにあなたのことを思い出せるから、いいね」

別れのとき。
グーリャは無理に笑っていた。
でも、ものすごく悲しそうだった。
見えなくなるまで、手を振っていた。

呆然としていた僕の肩をグーリャパパが叩き、「さあ、帰ろう」。
帰りの車の中ではみんな無言だった。

僕はどうやってうちに帰ったか、全く覚えていない。
見慣れた自分の部屋がからっぽに見えた。
憎らしいくらいのいい天気。
部屋に差し込む光の眩しさは僕を現実に引き戻す。

グーリャは行ってしまった。
これからの僕はタシケントに行くための戦いを始める。
一刻も早く彼女のところへ。
僕の中の細胞という細胞が一つの目的に向かって燃え上がる。
僕はタシケントに向けて、走り出す。

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