はぐれミーシャ純情派 タシケントな時間⑥ 7月31日

7月31日(月)

明日、タシケントを出る。朝8時15分の飛行機で。もう腹は決まっている。迷いはない。昨日あった一つの出来事も作用しているのだが、それを書く元気は今のところない。

今日は忙しい。まず、彼女の家に送ってもらった荷物を取りにいかなければならない。1ヶ月前に両親が送ったものだ。宛名は彼女のところになっている。とはいっても、彼女のところに荷物があるわけではなく、郵便局に留め置きになっており、その引換証を彼女のところに取りに行くのだ。それ以外にも、彼女の家に置きっぱなしになっていた俺のビデオテープも持って行かなければならない。郵便局では俺本人じゃないと受け取れないだろうからということで、ラリサ叔母さんと一緒に俺も行くことになってしまった。はっきり言って行きたくない。急ぐために家からタクシーで彼女の家に向かう。結構遠いので多めにお金を払うことになるだろう。

久しぶりに彼女の家まで来る。会いたくないから俺は車のそばで待機。ラリサ叔母さんが下に降りてくるまでだいぶ待った。15分ぐらい待っただろうか。車の中で説明を聞く。ビデオテープは三本。しかし、俺がどうしても取り戻したかった「宇多田ヒカル」のビデオクリップがない。ラリサ叔母さんがそのことを聞くと、彼女のお父さんが「そんなものはない」と言って突っぱねたのだそうだ。あったまきた。いいよ。くれてやるよ。そんなに欲しけりゃなんでも俺のところから持って行け。悔しい。ビデオそのものが惜しいのも確かだが、それ以上に何故だか悔しい。

そのまま、郵便局に向かう。その郵便局を探すまでがたいへんだった。やっとのことで見つけたのだが、郵便局で荷物の引取りを拒否されてしまった。受取人の名前が彼女の名前になっていたから、その本人でないと受け取れないのだそうだ。それにしても郵便局のおばちゃんの応対はむかつく。ラリサ叔母さんは何とかしておれが働く町に送ってくれると約束してくれた。

家の近くのいつも行っているバザールのそばでタクシーを降りる。今日はタシケントでの最後の日。知り合いになった人達を呼んでご馳走することにしたのだ。当然、料理するのは俺。そのために材料を買わなくちゃ。まず、生クリームを買いに行く。バザールとは別に、乳製品だけを売っているスペースがある。そこでは自分の家で取った牛乳や生クリーム、ヨーグルトなどを売っている。

数日前にそこで生クリームを買った。ウズベク人の美人姉妹が売っていた。叶姉妹というよりはこまどり姉妹のほうに近い。生クリームはものすごく味が濃くてうまかった。近くにいたおばちゃん達も愛想が良かった。タシケントでは「日本から来た」というと、とたんに愛想が良くなったりすることがあるのだ。

今日もあの美人姉妹は同じ場所にいた。すぐに俺に気づいて「こっちにいらっしゃい」という。俺も行こうと思ったのだが、ラリサ叔母さんが違う人のところに行ってしまったので、仕方なくそちらに行く。味見をさせてもらったが、あまりおいしくない。その間中、美人姉妹の姉のほうがものすごい笑顔でずっと手招きしてる。やっぱり美人姉妹のところのほうがおいしいので、そっちに行く。

「また来てくれてうれしいわ」だって。お姉さんは顔がかわいいわりにハスキーな声だ。妹は黙ってにこにこしている。よくみたら隣りにいるおばちゃんたちも前回と同じ顔ぶれだ。みんなにこにこしてる。おいしいのはわかっていたがもう一度味見。「私のところのほうがおいしいでしょ?」その通り。半リットル買う。50円。日本では考えられない安さ。お姉さんはニコニコ顔で「またいらっしゃい」だって。また行きたいんだけどね。

その他の買い物のことはどうでもいい。滞りなく買い物を済ませた。

家に帰って料理開始。鶏肉の団子を作るために鶏肉を骨と肉に分けなければならない。ここで鶏肉といったら当然、骨付きなのだ。骨なしは一度も見たことがない。これがまた面倒な作業。はずした骨のほうでだしを取る。肉は徹底的に叩く。とても時間がかかった。今日の3時にはロシアのビザを取りにサイラム・ツーリズムに行かなければならない。その後は寮に行かなきゃなんないから、急いで料理しないと。

3時すぎにサイラム・ツーリズムに行く。エレーナがお待ちかね。さっそくロシアのビザを受け取る。これでロシアに行ける、タシケントでの全てが終わる。そう思っていた。しかし、ことはそう簡単には運ばない・・・

エレーナにロシアのビザのことやレギストラーツィアのことを一通り質問した。すると、エレーナが妙な質問をしてきた。「あなたにとって普通の給料ってどれぐらいなの?」どうゆうこと? 「タシケントで働くとしたらどれくらい給料が欲しいの?」なんで? 話が見えない。「一月200ドルだったら、タシケントで生活できますか?」と聞くと、「十分生活できるわ」だって。いったいこれって何の話し? 「私が話すよりも社長と話してもらったほうがいいわ。あなたの話しを聞いてから思いついたことがあったのよ」何の話ししたっけ? 大学の給料が安いとか、これからミンスクで仕事探しだ、とかは言ったけど・・・。まあ、ここまで来ると俺にも察しがついてきた。

社長室に通される。社長は前歯が欠けている。まず名刺を出された。丁寧な応対。「うちでガイドとして働いてくれないか」・・・。突然すぎる。しかも明日出発だっていうのに。会社の説明を聞く。日本からの観光客は年間4000人ほど。この会社は「地球の歩き方」のシルクロード編を作るときも手伝ったらしい。「世界の車窓から」のシルクロード編もこの会社がコーディネイトした。日本の旅行の組合のようなものにも入っている。社長自身、年に数回日本に行っている。今現在、日本語を話せる人が二人いるが、二人ともウズベキスタンの人。日本語ネイティブの人間が欲しいのだそうだ。

そして、条件面の話し。「仮に」という言葉付きだが、給料は200ドルというのを前提に話しが進められた。200ドル! 大学での給料は10ドルだから20倍だぜ。タシケントでの平均給料が20ドルだからその10倍。なんかリアリティーに欠ける話しだ。その時点で完全に舞い上がってしまった。その給料の他にガイド料が一日15ドル出る。これだけで大学の給料を超えてるじゃん。当然、ホテルの宿泊費と食事代・交通費は別である。

その他に大学で日本語を教える口を紹介するという。まずは東洋学大学。社長はそこの学長と知り合いだから、すぐにでも教えられるという。そこでは日本人が二人教えている。その二人とも社長は仲がいい。そして、俺が教えるはずだった世界言語大学。そこの学長とも知り合い。そして、世界経済外交大学。明日、彼女が受験する大学・・・。そこは学長と知り合いだが、職を得られるかはわからない。三つの大学で同時に教える可能性がある。全部を合わせたら、タシケントで生活するには十分な給料が得られるはず。

社長は終始ニコニコ顔。歯の欠けた人がリアリティーの欠けた話をしている。まあ、サイラム・ツーリズムは中央アジアでは最大手の旅行会社。信用するに足る。それにしても、自分の力を評価してもらえたようでうれしい。社長曰く、「ガイドの仕事は君のロシア語力を高めるのにも役に立つはずだよ」とのこと。確かにそのとおりである。すぐには決められない。

その理由を事細かに説明する。何故自分がタシケントに来たのか説明したとき、社長が「君の言っている日本で知り合った人ってウスマーノフさんのことかい?」と聞いてきた。社長が日本に行ったとき知り合ったのだ。最近、彼女のお姉さんがやってきてサイラム・ツーリズムに就職しようとしたらしい。その返事を社長はまだしていなかった。絶対、いっしょには働きたくない。その話しが出て動揺してしまった。なぜタシケントを去るのかを、彼女との別れに至るまで事細かに説明してしまった。社長の顔がちょっと曇る。俺のこと面倒な人間だと思っちゃったかも。まあ、いいや。

とりあえずモスクワとミンスクには予定通り行くことにして、8月の末に返事をすることにした。いつでもいいから戻ってきてほしいとのことだ。エレーナはにこにこして「いい返事を待っているわ」だって。

正直言ってどうしていいかわからない。こんなの初めてだから。こうゆうのをアメリカンドリームって言うのかな(国が違うって!)。日本円にしたら2万だけど、この国では大金。だって普通の人の給料が2千円なんだから。また、心のなかで綱引きが始まる。シルクロード自体に興味はないが、仕事としてはとっても興味深い。確かにこの仕事を経験すれば、俺のキャリアとしては十分すぎる。頭の中がぐちゃぐちゃ。仕事のことだけを純粋に考えたらこれ以上いい仕事はない。ロシア、旧ソ連諸国のどこに行っても200ドルの給料はもらえないだろう。そして、おれはタシケントを好きになりだしている。でも・・・

ここには彼女が住んでいる。狭い町だからずっと顔を合わせないわけにはいかないだろう。もし、彼女の他の男が出来て、それを俺が見かけたとして・・・。そんな苦しさを耐える力は今の俺にはない。そして、彼女の家族ともつきあう派目になるかもしれない。そして、ラリサ叔母さんの家とも。もう全てにうんざりしているから、タシケントを去るのだ。タシケントでの人間関係を全てかなぐり捨てて行こうとしているときに、何で? もしも、まだ俺が彼女と付き合っているときにこんな話しが来たとしたら、状況はもう少し変わっていたかもしれない。いや、それでも結果は同じことか。いや、どうだろう。もっと早く言ってくれれば、俺も考える時間を持てたのに。モスクワに出発するまであと16時間しかないんだぜ。

何故だか笑顔になってしまう。やっぱり自分の力を評価されるのはうれしいもんだ。

急がなきゃ。料理をしなきゃいけないんだけど、まだやる事がある。寮に行ってかぎを返してこなきゃいけない。でも、一つ問題が。最後にフサンに会ったとき、「出発する日取りが決まったら絶対連絡してくれ」とくどいほど念をおされたのだ。フサンは自宅の電話番号まで渡してきた。でも、これにはなんか狙いがあるに違いない。俺が日本に帰るといったのを信じていないのだろうか。単に見送りたいだけとは思えない。

パスポートは返してもらったとはいえ、俺の運命を左右する力が彼にはまだ残っている。それは俺がレギストラーツィアした寮に住んでいないということ。つまり、俺は法律に違反した状態のまま生活しているのだ。この国でその手の法律に違反することがどんなに恐ろしいことか、今の俺は肌で感じてわかっている。もし、フサンが俺のモスクワ行きを知ったら、どんな手を打ってくるかわからない。警察を使ってくる可能性もある。彼は「国立大学」の人間なのだ。国とのつながりがあるということは、警察などの組織とつながりがあっても不思議ではない。これは誇張でもなんでもない。この国ではそんな冗談のようなことが起こりうるのだ。「そんな大げさな」と思われそうだけど、これが事実。おれが過剰に反応しているのではない。現地の人間がそう言っているのだ。

とりあえず駅から寮まで行くのに、タクシーを拾う。ウズベク人のおじいちゃんが運転しているワゴン車だ。後ろのほうではカーブのたびにたくさんのスイカがゴロゴロと転がってはものすごい音を立てる。こんなのどかな雰囲気を味わうのも今日限りか。タシケントでは苦しいことが多かったが、こんなのんびりした雰囲気は愛しく思う。

寮に到着。2階にある自分の部屋に向かう。他の人と会うのは面倒だ。隣りの韓国人の夫婦はいい人だが、英語しか話せないしな。出来ることなら会わずに済ましたい。と思っていたが、その願いは届かなかった(誰に?)。隣りの部屋のドアが開けっぱなしだ。俺が自分の部屋の前まで行くと旦那のほうが出てきた。俺がこの部屋を出ることを告げると「部屋が汚いからねえ」だって。その通り。人間の住むところじゃないよ。この夫婦も寝泊りするのはホームステイしているウズベク人の家なのだそうな。適当に、そしてにこやかに別れの挨拶をして自分の部屋に入る。

するとそこには一枚の紙切れが。「あなたのことを探しています」と書いてあって、最後には彼女と彼女のお姉さんの名前が。俺が彼女の家を飛び出した日の翌日の日付けになっている。彼女のお姉さんの名前が先に書いてあることに、俺は何故だか強烈に憤った。彼女はお姉さん抜きでは行動できない。やるせない。そして、悲しい。

この部屋には荷物なんてない。誰かが俺の所在を調べに来たときのために、新聞を机の上に広げておいたり、飲み物を置いたりしているだけだ。何にもない部屋をガサ入れされたら一巻の終わりだからねえ。簡単に片付けて部屋を出る。

俺が部屋を出ると、すぐに韓国人の旦那のほうが出てきた。そして、おれにメロンをプレゼントしてくれた。「あなたの幸運を祈ってます」だって。三回しか会ったことないのに。うれしくて涙が出そうになる。ビニール袋に適当にカットしたメロンが入っている。全然、予期していなかった。彼らを避けようとしたことを恥ずかしく思った。

タクシーを拾うために大きな通りに向かう。道々、メロンを食べて歩く。うまい。うますぎる。ちょうどのども乾いていたし。それにしても、歩きながらメロンを食べるなんて贅沢の極みだね。

大きな通りでタクシーを拾う。家の近くのミルゾ・ウルグベック駅まで200スムで行きたい。相場では250だろう。300では多すぎる。何度か断られたが、なんとか200で行ってくれる運転手を捕まえた。車が動き出すと運転手は「200は安すぎるよ」と言い出した。俺が「最初に約束したんだから、だめー」と言うと、運転手は黙ってしまった。悪いことしたな。確かに200は安すぎる。

運転手に話しかける。話題は「お約束」、給料の話し。彼はウズベキスタンの民族アンサンブルの歌手だった。当然、俺と話しが合う。「日本に俺達のアンサンブルを呼んでくれ」「いつか呼んでみたいねえ」「で、いつだ?」こんな軽い会話が続く。ある人にあげようと思って折っておいた折り紙、鶴とくじゃくがリュックの中に入っている。「こどもはいるのか?」「ああ、男の子と女の子だ。まだちっちゃくてかわいいぞ」俺はその折り紙をあげた。「200じゃ安いのは知っているからねえ。ちょっと悪いなと思ってたんだ。その代わりにこれを子供にプレゼントするよ」

もう、運転手はニコニコ。絶対、自分たちのアンサンブルを聞きに来いという。降りるときに彼の住所を手帳に書いてもらう。「これは俺からのプレゼントだ」と言って、小指ほどの大きさのナイフを渡された。ペーパーナイフだ。彼はニコニコ顔で握手してきた。これまで、正直言って、ウズベク人に対してはいい印象を持っていなかった。でも、彼らのなかにもいい人はいる。それは日本人にしたって同じこと。自分のなかに偏見を持つ要素があることが恥ずかしい。そして、このタシケントの人達が愛しい。

家に帰って料理を続ける。ミーラおばさんがすぐにやってきた。アレーシアとミーラおばさんに、今日の出来事を話す。「ふぅん」だって。リアクションが薄い。しばらくすると出かけていたラリサ叔母さんが外出先から電話をかけてきた。俺がサイラムでの出来事を伝えると「シューラが言った通りでしょ。あなたの未来は明るいって。もう迷うことないわ。タシケントに残りなさい」 うーん。俺も決心がぐらついてきた。

ポテトサラダは前もって作ってある。煮物は味を整えるのが大変。醤油は韓国製の激マズ醤油だし、だしを取るものがないから「ふえるわかめちゃん」で代用したら、変な味になっちゃった。でも、ベストは尽くした。カルボナーラは面倒だから中止。

みんなそろってお別れ会、ってな雰囲気になるのかと思ったが、普通のときと変わりなかった。途中でジーマ(ミーラおばさんの息子らしいが、よくわからない存在)がやってきた。サイラムの件を相談したら、「給料200あったらこれだよ」と言って、腹いっぱいという意味のジェスチャーをしてた。

暗くなってしまった。ミーラおばさんをバス乗り場までみんなで送る。「またタシケントで会いましょう」だって。そのあとジーマともお別れ。「タシケントで待ってるから」だって。モスクワ、行きづらいじゃん! いい人達。忘れたくない人達。

家に戻ると、しばらくしてアントンの友達・ヴィターリーがやってきた。すぐにアントンと二人して出ていった。ヴィターリーは「元気でな」と言って、微笑んだ。身体がでかいくせに子供っぽいやつだが、まあ悪いやつじゃない。いろんな人と出会った。

さーて、あとは明日の出発を待つばかり。と、思っていたら、またまた一波瀾。夜の10時すぎに玄関のチャイムが。誰かと思ったら、彼女のおやじ! 今日の朝はラリサ叔母さんに対してものすごく冷たい態度を取ったらしいが、ここでは一転して笑顔笑顔。おやじは俺と話しがしたいという。おいおい、俺のことを殴りに来たんじゃあないだろうな?

ラリサ叔母さんはお茶でも飲みながら、と言って部屋の中に入るように勧めたが、おやじは拒否して俺を外に連れ出した。これはピンチである。殴られたらどうしよう? 殴られるだけじゃなくて、どこかに連れて行かれたりして・・・

真っ暗な夜道を歩きながらの会話。「さあ、話してくれ」「何を話すんです?」「タシケントを出てどこに行くんだ?」くそー。ラリサ叔母さん、しゃべったなー。あれだけ俺がモスクワに行くことは黙っててくれって言ったのに。以前、アントンとラリサ叔母さんと俺とでその件について話したとき、俺は「絶対ウスマーノフの人達には教えないでくれ」とお願いしたのだ。そのとき、アントンは「俺達は絶対に言ったりしないから、俺達を信じてくれ。あきらがタシケントを出たら、彼らにそのことを伝えるようにするから」と約束してくれたのだ。

受検前の彼女を動揺させたくないという気持ちもあったが、それはかっこつけのような気がする。ただ彼女を同じぐらい傷つけたかったんじゃないかな、と自己分析。明日は彼女の受検の日。そのあと、どうなるか。彼女が友達としての付き合いを求めてくることは必至である。そんなのは耐えられない。そして、彼女は大学に行って、きっと他の男を見つけるだろう。

そう、俺はモスクワに逃げるんだ。苦しいことから逃げて何が悪い。みっともないのは百も承知だ。大体、俺がいなくなったとして、彼女が悲しんでくれるかどうかもわからない。悲しんでくれたら俺のことをまだ思っている証拠だからうれしい。でも、そのとき俺はいない。彼女と会えないのだから苦しい。悲しまなかったとしたら、俺のことを愛していないのだから、苦しい。どっちにしたって苦しいのだ。まあ、タシケントに残っても、モスクワに行っても苦しいのは一緒。どっちに転んでも地獄なら、生活条件がいいところのほうがいいに決まってる。新しくやり直したい。人生にリセットボタンはない。そもそも、全てを忘れようなんて思っちゃあいない。苦いものが心の海に沈んでいくのを、ただ見つめるばかりである。

おやじとの会話は続く。おやじが言ったことを要約するとこんな感じ。「ナターシャ(彼女の母親)は心配している。お節介を焼きすぎたかもしれないが、お前を思ってのことだ。お前の母親に『面倒を見る』って約束したのだから、世話を焼くのは当然の事だ」などなど。何度同じ道を行ったり来たりしたかわからない。親父は終始ニコニコ顔。

もう隠しても仕方がないので、明日モスクワに行くことを告げた。でも、ミンスクに行くことは言わなかった。「どうするのか決めたら連絡してくれ」「残念ですが、連絡する気はありません」「ナターシャに電話して『さようなら。お世話になりました』って言ってくれないか」「できません・・・」俺はおやじが頼んできたことを全部断った。人間として当然の事が出来ないくらいに心は追いこまれている。そうするべきである事は承知の上でのことだ。ただひたすらに苦しいのだ。そして、彼女のことは全く話題にならなかった・・・

二人で家に戻る。ラリサ叔母さんはお茶を飲んでいけと強く勧めたが、おやじは断った。おやじは握手を求めてきた。手を差し出したらグッと引き寄せられて、外国人風の抱擁。ニコニコ顔で「また会おう」だって。本当に思っているのか? 

おやじが帰った後、ラリサ叔母さんに「なんでしゃべったの!?」と問いただしたが、これはおれのわがままなのだから仕方がない。おれがモスクワに去ったあとに、そのことを告げるのは気まずいのだそうな。どんなに嫌っていても親戚であることにかわりはないのだから、付き合いというものがあるんだろう。

荷物をまとめる。かなり大量な荷物なので、一度に持っていくことが出来ない。2つの箱を残していくことにした。ラリサ叔母さんには手持ちのスムを全額渡した。冬服や本を置いていくのはちょっと不安。まあ、ここまでいろいろしてあげたのだから、裏切って荷物を送らないなんてことはないと思う。ただ、郵便事情がとても悪いので、途中で盗まれたりしないかということが心配なのだ。

タシケント最後の夜はみんな無口である。明日、5時半には家を出なければならない。ラリサ叔母さんは朝まで起きているという。おれもそうしようかと思ったが、疲れがどっと出てきて眠ってしまった。

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