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お経と瞑想

できない日課

一応日課として、15分間マインドフルネスをやることにしている。

しかし予定として入れてはいるのだが全然続かなくて困ったもんである。

デフォルト・モード・ネットワークの活動を抑え、脳やメンタルにとても良い、と効果も理解してはいるのだがダメである。

ど~うも続かない。


親友のお母さん

さてそんなとき、親友のお母さんが毎日、不動明王の真言を唱え始めたという。

実はこの方は乳癌を患っており、女友達から「癌封じのお札」をいただいたとのこと。

そのお札に真言が書いてあり、回復を祈って毎日朝晩の2回、短いロウソクが消える約10分ほどの間、一心に唱えるのである。

もう病になって1年以上だが、胸部の摘出手術も終えた。

現在は手術でとりきれなかった腫瘍に対して、抗癌剤と点滴で治療を続けているという。

手術前も抗癌剤を服用したが、副作用もかなりあったそうだ。

それでも手術さえ済めばと思っていたが、そう簡単には終われなかった。

人にもよるのだがこの方の場合は運悪く腫瘍が残り治療が続いているのだが、調べてみると珍しいことではないそうだ。

手術後の治療では抗癌剤が合わず、一度服薬を中断することもあった。

ちょうどこの頃、真言を唱え始めたという。

その御利益というか、抗癌剤の量を減らして治療を再開したのだが、聞くところによると今回は副作用もあまりひどくないそうだ。

食欲もあり、私も見舞いに行ったが、とても癌患者には見えず、以前より元気になり内心ホッとした。

最近では抗癌剤が終わり、病状も良い方向に向かっているとのこと。

今も毎日真言を唱えられて、まさに日課となり、やらないと気持ち悪いそうだ。


お経と瞑想

さて、最初のマインドフルネスに戻るが、その原点はもとはといえば仏教の瞑想である。

親友のお母さんの真言といえばお経である。

この瞑想とお経について調べてみると、

〈仏教のお経や題目を唱えている時に、脳がどのような働きをしているか〉 

「仏教のお経や題目」を唱えることと、瞑想との間には、関係があって、一つの宗教文化のスペクトラムの中にあるといえるでしょう。
一般に瞑想の効用として知られているのは「メタ認知」の高度化、精緻化です。
自分が感じていること、考えていること、他の人が感じていること、考えていることを「自己バイアス」なしによりクリアに見ることができる。
たとえば感情の中枢である扁桃体と、前頭葉のvmPFCなどの関係で言えば、後者が前者をモニターし、適切にコントロールする機能が増します。
お経や題目を唱えることは、上のような効用をもたらすために必要な自己バイアスからのdetachmentをうながすことになります。

茂木健一郎 オフィシャルブログ
脳なんでも相談室

やっぱりお経と瞑想は近い関係にあるのだ。


まとめ?

さて、では何が言いたいかというと、つまり親友のお母さんこそ、意識せずに瞑想を日課として続けまさにその効果を実証していると言えるのではないか。

私のように本ばかり読んで効果や原理を知るのも良いが、実践しなければ宝の持ち腐れである。

だからぜひ、そんな親友のお母さんをお手本にして、「まずは5分から努力しよう!」

               :

な~んて言っているうちは、これまでの経験からダメだ、続かない。

もっと楽にできる瞑想のネタを、生活に無意識に取り入れられるようになると一番いいんだけどなぁ......。

いや待てよ、前にそんなことを推奨する本を読んだ覚えがある―—!?

確か「ずぼら瞑想」って本だ。


なるほど、そういうことか。 

以前読んだけど、今になってその意味が理解できた。

本でも言っているが、

「瞑想は、頑張らないほど、ずぼらであるほど、うまくいきます。
裏を返せば、頑張る人ほど、瞑想はうまくいかない、ということです。」

ずぼら瞑想

とのこと。

うーむ、こりゃあ今こそ再読のチャンスだな。

なんか書いていて瞑想についての捉え方が整理できた。

こんなこともあるもんだ。。。


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