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登米フィールドワーク

2019年に福島にUターンしてきて孫の手トラベルで働きながらゲストハウスの開業準備をし、色々とビハインドしましたが昨年ようやく開業にこぎつけ、須賀川でもっと大きな絵を描きたいと思っていたところにタイミングよく知人からこんなプログラムを教えてもらいました。

転職して土日が休みになっていたので「これはチャンス!」と思い飛びつきました。10月1日から週1回弱のペースで授業を受けています。

昨日はプログラムの一環で宮城県登米(とめ)市にフィールドワークにでかけました。正直に言うと授業を履修するまで登米市を知りませんでした。
以下、昨日の学びと気づき。

武士文化

登米市の中でも登米(とよま)町は北上川の水運で栄えた町。北上川は大きく穏やかで、水運に向いていそう。仙台の伊達家の中でも位の高い登米伊達家が本領とした。近辺には仙台藩が開発した新田が広がり、江戸の人の3割は登米のお米を食べていたらしい(本当か?)。
一説によるとトヨマはアイヌ語に由来しているらしく、登米/とよま、遠山/とおやま、登米→とめなど、地名が結構適当。

幕末に仙台藩が負けると、伊達家の家臣はおおむね北に追いやられたが、登米伊達家の武士達は農民となって登米に残れたらしい。
なので武家の文化が残り、能が大衆芸能として続いている。平成8年には当時新進気鋭の隈研吾氏に設計を依頼し、能舞台を整備した。地元に根付く能はこの舞台で毎年秋に演じられているほか、結婚式などでも披露されるとのこと。

城の堀は埋められて道路になっているものの、江戸時代の町割りそのままに武家屋敷が残っているのがとても良き。

江戸時代のビバリーヒルズ?

明治時代に建てられた擬洋風の尋常小学校も残っている。基礎を深くまで入れてとんでもなく頑丈に作ってあるらしく、3.11を含めて130年の間の地震や災害にも耐えてきた。明治時代建築当時のガラスが大量に残っていることも良き。風合いある歪みのガラス越しに現在の小学校を見るのはかなりエモい

お分かりだろうか、左側がとても歪んでいることを。

地元の振興公社の方にこの校舎を案内してもらったんだけど、この校舎に実際に通っていた方に案内してもらえるのもさらにエモい。

「この校舎に通えたなんて羨ましいです」
「いやー、寒いだけですよ」

返しも完璧。

廃校予定校舎の見学と利活用提案WS

続いて、登米市内の津山地区に移動し、今年で廃校になるという小学校を見学。在校生がまだ50人以上もいるのに閉校を決めるなんて登米市は決断が早い。これには鱗滝さんもニッコニコ。
廃校利活用は地方で定番のテーマだけど、たまたまこの2ヶ月で山形市郡山市玉川村大熊町の廃校利用を4件も見た後なので自分の中ではやや食傷気味(笑)

学校の裏もスギ林!

この地域は川が作った狭めの沖積平野に水田が広がり、リアス式海岸とつながる山地に杉がびっしり植えられている林業の町でした。なので私のグループでは林業をさらに伸ばすための木工にまつわるクリエイティブセンターを提案。

登米市はシティプロモーションがイケているらしい

最初は登米市にピンとこなかったけど、情報が入ってくるうちに思い出しました。そういえば数年前におもしろ動画でバズった自治体じゃないですか。昨日のフィールドワークでは一切触れられなかったけど、黒歴史になってるのかな。いい動画なのに。

シティプロモーション課の人が表彰されている。

昨日も「おかえりモネ」話が続き、(おかえりモネを見てないなんて言えない、、、)という雰囲気でした。NHK+で見るか。

他にもラムサール条約登録をきっかけに減農薬に取り組んだり、石ノ森章太郎、大友克洋の出身地などおもしろポイントが色々とあったけれど長くなるので割愛。

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