間違いがちな「人のために」という思いや行動
「人ために何かをしてあげる」、「自分は横において人のために」というのは、とても美徳のように思われているが、ここには、大きな落とし穴も存在しているように思われる。
新型コロナウイルス感染拡大によって貧困や生活苦に悩む人たちが増加する中で、その種の人たちに手を差し伸べたり、支援していこうとする人たちが増えているように思われる。
とても素晴らしいことである。
世界が危機に直面する中で「利他」という言葉が、非常に注目を集めているように思われる。
仏の経済学者、ジャックアタリが、2022年、NHKの番組で、パンデミックを乗り越えるためのキーワードとして利他主義をあげている。
危機の中で、互いに競い合うのではなく、「他者のために生きる」という人間の本質に立ち返るべきであると。
実際に、日常の中でも利他的な意識と行動が広まっているようで、中でも顕著なのは、若い世代の動きといわれている。
然しながら、ここで考えなければならないのが、「困っている人のために」という思いが、結果として全然、本人のためになっていないことも多いということであろう。
何故ならば、他者に利することが、結果として自分を利することになってしまうからでる。
他人のためにしたことが、巡り巡って自分ところにかえってくるという発想。
こうした考えは、利他主義は、利己主義の対義語という伝統的な考え方を意図的に逆転させたものであろう。
利他的行動には、本質的に「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という私の思いが含まれている。
重要なのは、それが「私の思い」でしかなく、本当にその人のためになっているのかということである。
思いは「思い込み」でしかない。
「これをしてあげたら相手にとって利になるであろう」が、「これをしてあげるんだから相手が喜ぶはすである」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきである」になるとき、利他の心は、相手を支配することにつながっていく。
米国の人類学者、ジョーン・ジコ・ハリファックスも
「自分自身を、他人を助け、問題を解決する救済者と看做していると、人間は、気づかぬうちに権力志向、自惚れ、自己陶酔へと傾いていく」と警鐘をならしている。
また、前述のジャックアタリも、「他人に利することが、巡り巡って自分にかえってくるという点で他者の支配につながる危険」をはらんでいると指摘している。
要は、利他という言葉に酔いしれて「人助けしているという思い」が、「どこかで自分の利や快感のためにやっている行為に過ぎない」ということをわかっておかなければならないということであろう。
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