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人と組織.5-器は最新にしても変わらない人の意識と行動

6月24日「人と組織」の前号で「根拠なき楽観論がもたらすもの」で述べた「緩い判断」とは、

“この変化は一時的なのもので、大したことはない” 等に代表される、要は、目の前で起きていることを無視したり、危機発生リスク等を過小評価したりするものである。

昨今の、みずほフィナンシャルグループのシステム障害、三菱電機の品質検査の不正、或いは、東芝の問題等、いずれもこれらの問題を発生させた根底には「大丈夫」、「大した問題にはならない」等といった根拠なき楽観論がその判断の前提にあるのであろう。

企業の若手社員が感じている「組織の非合理さ」や「この根拠なき楽観論」もその出所は、私には、全て同じところのように思えてならない。

一言でいえば、“人も組織も劣化” してしまっているということであろう。

にもかかわらず、多くの企業で行われていることは、いかに流行りの「合理的な組織体制や制度、仕組み等」を構築するか、ということが、その主眼があるように思えてならない。

然しながら、「組織の非合理さ」、「根拠なき楽観論」をもたらしているのは、組織を運営する人間に起因することは、間違いのないところである。

特に、日々それをマネジメントしたり、リードしたり、運営している人間の責に他ならないのである。

組織や制度或いは仕組み等といった器を作ることには、極めて熱心であるものの、作った器を狙い通り、マネジメントする人というソフトの面が、器のレベルに追いていないように思えてならない。

このような問題は、私自身の仕事の場でも、しばしば見受けられるところである。

私は仕事を通して、長い間、様々な企業の「事業構造の変革」とか「新しいビジネスモデルの構築」、或いは「企業風土の改革」等の仕事に携わりながら「成長していく企業と衰退していく企業の差はどこにあるのか」ということをテーマに様々なことに取り組んできて、いくつかの研究会等にも参加し、それを自らのライフワークにもしている。

そういう観点で昨今の日本企業を見てみると

「古い体質から脱却した一部の企業」と「未だ大して変わっていない多くの企業」に二分されているように思える。

脱却した企業は、いずれも他の多くの日本企業よりも早い段階で深刻な経営悪化に直面し、それを乗り越えるために戦略モデル、事業モデルの転換とそれを推進するための経営改革、組織改革、意識改革等をやりぬいた企業である。

その代表例が、2021年の純利益、1兆850億円、ゲーム、金融、半導体、映画、音楽、エレキの6つの事業がバランスよく収益を上げているSONY等は,数少ない日本企業の代表例といえるのでなかろうか。 

古い体質から脱却し、競争に勝ち、生き残っていくために重要なことは、まずは「自分達の現状を正確に知るつまり自己認識をする」ことから始まるのでないだろうか。

然しながら、「自分達が置かれている状況をきちんと客観的に認識する」、「それときちんと向き合う」ということが肝要であるが、なかなかこれが容易にできていない。

そのために、今、環境の変化や厳しい競争により今、企業が衰退していくような力が絶えず働いていて、中核となる事業が賞味期限を迎えているのに気づいていないという場合も多い。

これは、「事業の賞味期限」という場合もあるし、「稼ぎ方の賞味期限」という場合もある。

少し前に、某大手企業での仕事の際、ある若手課長が、幹部の前で「事業のやり方を変えないで10年後も同じ収益を獲得するなんていう不可能である。」と述べていたが、極めて本質をついた意見である。

例えば、新しいビジネスモデルを作るプロジェクト等を担当すると、当然であるが、まずは「事業を取り巻く環境の分析」をしてみるが、そうするとあまり明るい材料は出てこない。

そうすると

① 「暗い話ばかりではなく、もっと明るい話やわが社のいいところも見るようにしよう」とか

② 「改革しなければならない」或いは「早期に変えなければならないという気持ちはわかるが、まずは我々の身の回りのできるところから変えていこうよ」といった企業の幹部や部長クラスの発言が非常に多い。

これは、まさに自ら衰退に向かって進んでいくというような発言である。

その企業の若手社員達に「このような意見を述べる幹部の考え方をどう思うか」と聞くと、若手の人たちは、

「身の周りのできることから変えていこうという考え方、それは話としては美しいかもしれないが、幹部や部長としての役割責任を放棄していると思う」と言う。

「要は、本当は変えたくないんですよ」とはっきりと切り捨てる。

                     (次号に続く)


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