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モーツァルトとスヴィーテン男爵

 ある人物との出会いが、作曲家の音楽の作風に決定的な影響を及ぼしてしまうことがあります。モーツァルト(1756-1791)にとってのゴットフリート・ファン・スヴィーテン男爵(1733-1803)も、そんな存在です。

映画「アマデウス」でも、ヨーゼフ2世の宮廷での取り巻きの一人として描かれていましたね!

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 スヴィーテン男爵は当時ハプスブルク家の宮廷図書館長をしていた人物ですが、たいへんな音楽通で、アマチュアの作曲家でもありました。彼はかつて外交官としてベルリン大使をしていた際、バッハの息子たち(カール・フィリップ・エマヌエルとヴィルヘルム・フリーデマン)と交流があり、死後無名だった大バッハの音楽を知ってその虜になったようです。大バッハやヘンデルらの古い時代の作曲家の楽譜を収集し、ウィーンの私邸でそれを味わう集いを開催していました。

 この集いで、大バッハらの音楽に邂逅し、その魅力に開眼してしまったのが、ザルツブルクで失業してウィーンに来たばかりのモーツァルトでした。

ぼくは毎週日曜日の12時にスヴィーテン男爵のところに行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。ぼくは今、バッハのフーガの収集をしていますーゼバスティアンのだけではなくエマヌエルやフリーデマン・バッハのも。それからヘンデルのも(父レオポルトへの手紙、1782年4月10日)
同封でプレリュードと三声のフーガ(K.394)をお送りします。[…]このフーガが生まれた原因は、実はぼくの愛するコンスタンツェなのです。ぼくが毎週日曜日にお邪魔しているファン・スヴィーテン男爵が、ヘンデルとゼバスティアン・バッハの全作品を(ぼくがそれをひと通り男爵に弾いて聴かせた後で)ぼくにうちへ持って帰らせました。コンスタンツェがそのフーガを聴くと、すっかりそれの虜になってしまい[…](姉ナンネルへの手紙、1782年4月20日)

ザルツブルクの家族に宛てた手紙からも、その興奮ぶりが伝わってきます。

 彼はさっそくバッハやヘンデルのポリフォニー書法を研究し、先述のプレリュードとフーガ ハ長調 K.394のほか、バロック時代の舞曲のスタイルで書かれた組曲 K.399、2台のピアノのためのフーガ ハ短調 K.426などの試作的作品を書いていきました。男爵の依頼で、ヘンデルの「メサイア」「アチスとガラティア」などのオーケストレーションの編曲も担当し、バッハの平均律から5曲のフーガを弦楽四重奏に編曲したりもしています(K.405、おそらく男爵邸で弦楽器奏者たちが披露するためのもの)。

Spotifyでプレイリストにしてみました!メサイアは「All we like sheep」のヘンデル原曲(英語)とモーツァルト版(ドイツ語)を聴き比べできます。

 こうしたプロセスを経て、モーツァルトの音楽は、ハ短調ミサ曲 K.427や、交響曲第41番(ジュピター)K.550 終楽章フーガに聴かれるような圧倒的な立体感に向かっていきますが、それは、聴衆の耳に馴染むキャッチーな音楽からの離反でもあり、予約演奏会の人気の低下ともリンクしてくるのは皮肉なことでした…。

 ちなみに、筆者も試しに、未完の組曲 K.399からアルマンド ハ短調を弾いてみました。バロック・スタイルで書かれてはいますが、モーツァルトならではの美しさが顔を見せる瞬間が確かにあって面白いです。

参考

手紙を抜粋し読み解きながら、モーツァルトの心模様を味わい、その生涯をたどる、高橋英郎氏の大作。タブー視されていた幼稚で下ネタ好きな一面にも鋭く斬り込み、リアルなモーツァルト像が浮かび上がる。モーツァルト好きはぜひ持っていたい一冊。

モーツァルトにとってのスヴィーテン男爵、チャイコフスキーにとってのメック夫人をはじめ、音楽家たちの人生において重要な役割を果たした人物(影の仕掛人)たちにスポットを当てた、実におもしろい本。音楽史が立体的に見えてきます。

初出 月刊音楽現代2019年8月号 内藤晃「名曲の向こう側」

音楽の奥深い面白さを共有したいと願っています。いただいたサポートは、今後の執筆活動に大切に使わせていただきます!執筆やレッスンのご依頼もお待ちしています(officekumo@gmail.com)。