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 明日好きになる人11


 ミカを自宅まで送って事務所に戻ってきたら宮下が出社していた。訊ねると高瀬とミカが外に出たのと入れ近いだったらしい。
「休日出勤お疲れさま。ミカちゃん送った後直帰でも良かったのに」
「今日仕事片付けて、明日休みにした方が効率いい気がして」
 宮下は事務所にずっと一人で話し相手を求めていたらしく、高瀬相手に雑談を続けた。高瀬は自席に座ってパソコンを起動する。
「ねぇ高瀬くん。そういえば金魚は、もう飼ってるの?」
「え?」
「この前、飼うって言ってたから」
「いえ、まだ」
 既に水槽は床下に設置していたが水も入れていないし、穴は開きっぱなしだ。これから本格的に冬になる前には穴を塞がないと、さすがに羽鳥に文句を言われる。
 ――いつまで、羽鳥はいてくれるだろうか。
 仕事が落ち着くまでは住めと言ったが強制は出来ない。それなのに、いつの間にか、ずっと羽鳥があの家に住んでくれる気でいた。
 約束なんてしていないのに。
 急に不安が押し寄せてきた。
 羽鳥は過去、自分の撮った写真が不本意に使われたことで酷く傷ついている。スランプに陥るくらい。
 羽鳥が、もしミカの写真が雑誌に載ることを知ったら、また傷つくんじゃないかと思った。
 気づいた瞬間、いてもたってもいられなくなる。
 慌ててカバンから携帯を取り出して羽鳥に連絡を入れる。メッセージアプリに既読はつかず、電話をかけても留守番電話サービスにつながって羽鳥は出なかった。
 撮影に出かけているならそれでいいし、邪魔するなって怒られるならそれでもいい。
 もし、羽鳥が出て行ってしまったら?
 まだ何も自分の気持ちを伝えてない。
 一言じゃ足りない、好きって気持ち。
 説明に時間がかかるかもしれないし、話しているうちに呆れられるかもしれない。けれど、ちゃんと今の自分の気持ちを伝えたかった。
 この先、また羽鳥のことばかり思い出して、空を見上げて後悔ばかりを重ねたくはなかった。
 今回のスキャンダル写真が、羽鳥の意にそぐわない使われ方だったとしても、ミカはあの写真で傷ついたりはしていない。写真自体は喜んでいたことを伝えたかった。
 過保護だって、親バカみたいだって笑われてもいい。
 今すぐ羽鳥と話したい。
「宮下さん、すみません、やっぱり今日は帰って明日午後出勤にします」
「え、どうしたの急に」
「――今度こそ、猫を、最後まで飼いたいんです」
「え、金魚やめて猫にするの?」
「両方です!」

 我ながら、何を言ってるのか分からない。
 猫と金魚飼ったら喧嘩するわよ? と宮下に言われながら、慌ててカバンをひっつかんで、家に帰った。


 高瀬は自宅に着いて驚いた。
 考えてみれば羽鳥がスキャンダル写真を売ったと考えるのが自然だった。なのに高瀬は、この瞬間まで少しも羽鳥がやったなんて考えていなかった。
 羽鳥が出て行っていたのは、アプリの既読も折り返し電話もなかったことからある程度予想は出来ていた。
 朝、高瀬が書き置きして行った紙の横に、新しい紙が増えている。
 ――ミカのスキャンダル写真、金になったから雑誌に売った。元の仕事の方が向いているし、戻ろうと思う。楽しかったよ。

「嘘ばっかり、だな」
 その手紙の中には「楽しかった」しか正解がなかった。
 嘘がつけないのは、羽鳥も同じだ。
 高瀬は、この家に羽鳥が来るまで、どんなに動物が好きでも生き物を飼いたいなんて思っていなかった。
 けれど、ある日金魚が飼いたいと思った。テレビの中で水槽の中を自由奔放に泳ぐ魚を見て、とても可愛らしいと思って惹かれた。
 それは久しぶりの感覚だった。
 いつからか生き物を飼うことが怖かった。また突然どこかに行ってしまうんじゃないか、自分を置いて消えてしまうんじゃないかって思っていた。
 好きって気持ちも、最後まで伝わらず、さよならも言えないままなんて、嫌だって思った。
 昔飼っていた大切な猫に、何も言えないまま置いていかれたことが、ずっと心に残っていた。
 生き物に愛される資格が、自分にはないのだと思っていた。
 けれど羽鳥が高瀬の家に来てくれて、二階に住んでくれたことで、過去、最後まで自分で飼えなかった猫に許された気がした。
 高瀬が猫のことをとても好きだったって気持ちが、時を超えて、ちゃんと届いた気がしたのだ。

 羽鳥の居場所を探して見つけるのは、簡単だと思った。
 なぜなら羽鳥に仕事場を紹介したのは高瀬だったから。羽鳥がどれだけ、高瀬からの連絡を無視したところで、明日、坂野上写真事務所で待ち伏せでもすれば捕まえられる。
 一生会えないかもと焦るほどじゃない。
 分かっているのに二階の羽鳥が住んでいた部屋へ行くと、胸がざわざわして落ち着かなかった。
 部屋の中は、羽鳥が来る前と同じように空っぽになっていた。元々、羽鳥の荷物はカメラとボストンバッグ一つ程度だったから、出ていくのに引っ越し業者は必要ない。
 高校生のとき、クラスメイトの羽鳥のことを根無し草の旅人のように感じていた。誰にも縛られずに自由に生きているように感じて、憧れや羨望を抱いていた。
 羽鳥にしか見えない綺麗な世界の話を一緒に出来たら、もっと楽しいのにと思った。だから、もっと、いっぱい羽鳥のことを知りたいと思っていた。
 実際は会話のきっかけも見つからなかったけど。
 ふと、何もなかった部屋の長机に、一枚のL版の写真が残っていることに気づいた。
 それは羽鳥が意図的に高瀬へ見せるため置いていったものだと分かった。
 ――高瀬が、絶対知らない写真。

「……なるほどな、これは、俺が知ってるわけない」

 そこには高校生の時の高瀬の姿が写っていた。部室棟で高瀬が掲示板を見ている写真だ。
 時間帯は色合いから夕方だと分かった。演劇部の練習が終わって帰宅するときに撮られたもので、位置的に隠し撮り。
 だから、高瀬が知らない写真。
 羽鳥は再会したとき高瀬を見てスポーツ少年みたいな前髪だと言った。高校生の自分はメガネもかけていないし、学校指定のジャージを着ていた。羽鳥の言った通りスポーツでもしていそうな見た目。
 高瀬は毎日、部活の帰りに写真部の前の掲示板を見ていた。そこには羽鳥の作品が貼っていたから。
 高校生の高瀬は写真の中で笑っている。自分からすれば、なんてアホ面だと思う。口を少し開けた呆けた顔。
 その写真を見ると自分がその場で、どんな気持ちで掲示板を見つめていたか鮮明に思い出せた。
 初めは、この写真を撮ったのは、どんな人だろうと思った。
 名前を見てクラスメイトだと分かった。話しかけても、いつもぶっきらぼうで、会話が長く続かない奴。
 自分が特別嫌われているわけじゃなく、誰にでも同じ態度だと分かったとき、ちょっと安心した。気分屋で機嫌がいいときは、ちゃんと喋ってくれる。
 自由だなと思った。
 晴れてるときに話しかけたら、前より、ちょっと長く会話が続いたので、面白い奴だと思った。
 羽鳥が雑誌に載るような、すごいカメラマンだと知ってから、高瀬は、いつだってクラスの友達に言いたくてたまらなかった。
 こいつすごい写真撮ってるんだぞ! って。同時に秘密にもしたかった。体育館で写真部員としてコンテストの表彰をされても、クラスメイトは、お前すげーなって言うだけで、どんなものを撮っているかなんて知りもしなかったから、心のどこかで少しの優越感を感じていた。
 好きな人の、すごいところを一番よく知っているのは自分だけ。
 高瀬だって羽鳥本人のことは何も知らないのに。そんな自分をアイドルの狂信者かよって思ってた。
 その写真一枚で、全部、全部、思い出せた。
 高校の時から羽鳥は、高瀬の好きな人、だった。

「羽鳥、やっぱり、お前は、すげぇよ」

 人の気持ちが写真で撮れると言った、羽鳥はこの写真を見て思ったはずだ。好きな人を見る目だって。
 この写真を見ていたからこそ、卒業式の日、高瀬の告白を真に受けてしまったのだろう。
 だって、ここに、好きって気持ちが、ちゃんと写っているんだから。勘違いなんかじゃない。
 写真は、嘘をつかないし、気持ちを写すことだって出来る。
 もう自分の気持ちから、逃げるつもりもなかったが、追いかける理由が出来た。
 この場所に写真を置いていったのが理想の写真を諦めるためだったら、諦める必要なんかないと伝えたかった。


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