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THINK TWICE 20220116-0122

1月16日(日) (Just Like)Starting Over

ぼくの新刊「ゆりこたいじゅんはな②」はおかげさまで順調な滑り出し……と言っても、冊数的には微々たるものですが。

実は今回、2冊めとして書き下ろした原稿を、どういう形でまとめればいいのかもさんざん迷った。たとえば①の内容と合体させて、分厚い一冊として出そうかとも考えていた。すでに①を持っている方には、②だけをPDFか、電子書籍のような形で提供するBプラン付きで。

結果的にもっともシンプルな形に落ち着いたのだが、書店の友人や、読者の方から届いている声を拾うかぎり、それが一番よかったかな、と思う。

来週以降、さまざまな地方の本屋さんにも配本していく。どんな人の手元にぼくの書いたテキストと、もちろん武田百合子さんの『富士日記』という名著の魅力が伝わっていくのか。楽しみだな。

話は変わりますが、来週日曜は本家(?)サンソンが〈虎〉で棚からひとつかみだそう。ぼくと選曲かぶるかな。これも楽しみ。


1月21日(金) 大分(DAY1)

というわけで、ひさびさに旅に出た。目的地は大分県の日田市。ぼくの住む愛媛県とは対岸の隣り町。2泊3日の行程で、初日は大分市内に一泊。OPAM(大分県立美術館)で開催中の「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」を見に行くのが主な目的だ。

そもそも日田でのイヴェントは、この横尾さんの展覧会ありきで決めたと言ってもいい。ほんとうは東京都現代美術館で開催しているあいだに行こうと心に決めていたが、ごぞんじのような状況のなかでアクセルが踏めず、海を挟んでお向かいの大分なら落ち着いてみれるだろうと考えたのだ。

ぼくにとっては、ひさびさにTMVGでDJをした2016年以来の大分県。大分市内に行くのはさらにさかのぼって20年ぶり。日田にいたっては初めて。ちょうど富士日記本の発売もその時期に……と思っていたし、どうせなら何かイヴェントでもできないもんか、と企んだ。

そこでまったく面識は無かったけれど、共通の知り合いも多く、以前からSNSでは繋がっていた日田リベルテの原茂樹くんに突然のメールを送り付けたら、彼が乗ってくれた。そして、ほんとうにナイスなタイミングで松浦弥太郎さんの初監督映画作品の上映がリベルテで決まり、「本と、映画と、編集と」という話しがいのありそうなテーマで、トークイヴェントを行うことが決まった……というのが、おおざっぱな顛末。

それをたまたま、昨年の忘年会の席でぽろっと松山の友人に話したところ、彼の大学時代からの親友が日田にいて、ちょうど彼に会いに旅行をしようと計画していた、という。そっちはそっちでうまい具合にスケジュールが整い、彼の運転で往復できることになった。ラッキーでしかない。

朝7時前に松山市内を出発。佐田岬半島の突端にある三崎港からフェリーで78分。大分県の佐賀関に着いたのが午前11時半すぎ。

そこから一路、大分市内へ向かう。お昼ごはんは「二代目与一」のりゅうきゅう丼(拙著『ディスカバリー・ジャパン』でも紹介)と決めていた。

もちろんこれも20年ぶり。関アジのヅケを刻んだ大葉や胡麻なんかと一緒に酢飯のうえに敷き詰めた海鮮丼。予定らしい予定を決めていなかった今回の旅で、絶対にこれだけは食べようと思っていた。お店は20年前と違うところに移転し、広さ、雰囲気も以前とかなり変わってたけど、口に運んだ瞬間、まったく変わりない美味しさ。いろんな懐かしさがこみ上げてくる。20年ぶりに食べたものの味をしつこく覚えているっていうのもすごい話だけど、毎日それを変わらず作り続けている料理人もすごい。彼は20年前のぼくのイヴェントにも来てくれていたので、お会計のあとで自己紹介してみたけど、まるでピンときてくれてなかったのは少し残念だった(笑)。

食後、OPAMに歩いている途中、点字ブロックと歩道の段差に足を取られ、左足首を挫く。市内に着いてまだ一時間かそこら。これ以上悪化しないように祈る。

そういえば小学校の卒業旅行が別府で、地獄めぐりの途中で、ぼくは燥いでつまづき、足を挫いた。ひねった直後は歩けないほどの痛さじゃなかったが、夕方に温泉に入ったあと、靴がまともに履けないくらい足首がパンパンに腫れた。そこでようやく保健の先生に湿布や包帯で手当してもらった。

運悪く翌日の目的地は修学旅行いちばんの楽しみだった「ラクテンチ」。この遊園地は別府市街を一望できる山の上にあり、麓からケーブルカーで登るようなロケーションなのだ。いざ、園内に上がってみると、各アトラクションの動線もかなりのアップダウンがあり、捻挫のぼくには〈地獄めぐり〉状態だった。しかたなくぼくは友だちと別れ、ゲーセンで「ラリーX」や「クレイジークライマー」をやったり、ジェットコースターやゴーカートでみんなが遊んでいるところをベンチに座ってぼんやりと見ていた。大分県と捻挫とわたしの不思議な因果。

というわけで、軽く足をひきずりながらOPAMに到着。

2008年に世田谷美術館で開催された大回顧展『横尾忠則・冒険王』が《オール・アバウト・横尾》的な内容で、デザイン作品から絵画まで、横尾さんの代表作はほぼそこで見られたし、神戸の横尾忠則現代美術館にも何度か足を運んでいるから、ここ数年に描かれた新作を見るのを個人的には楽しみにしていた。ただ、展示は想像よりかなりコンパクトで、初めて横尾さんの作品に触れる人たちにはとてもいい構成だったんじゃないか、と思った。裏を返せば、もう少しヴォリュームを期待していたので、わりあいあっさりと見終わってしまった(と言っても2時間以上、居座った)。

横尾忠則《突発性難聴になった日》2019年 作家蔵

大好きな《Y字路》シリーズはしつこく舐め回すように見た。初期の作品のほうが好きだ。あとは、突発性難聴をテーマに描いた連作もよかった。

吉村益信「ネオン雲」1966年

横尾さんの展示を見終わったあと、3階に上がり『池田栄廣生誕120年・吉村益信没後10年 革新と前衛の美術』というコレクション展も見た。大分出身の吉村は、赤瀬川原平や磯崎新と中学時代からの仲間で、その後、赤瀬川らと共に前衛芸術集団〈ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ〉を結成して活躍したアーティスト。特に71年の大阪万博では複数のパビリオンで自身の作品を展示したり、プロデュースを行った。

貴重な作品の現物も興味深かったけど、それよりもアイディアをまとめるためのスケッチや、関わった職人たちへの指示書や設計図などの紙資料類がよかった。

吉村益信「豚・pig lib;」1971年

ただ、ジェフ・クーンズやダミアン・ハーストの作品よりも20年は先駆けた吉村の代表作「豚・pig lib;」がなんで展示されてないんだろう……と不思議に思っていたところ、同じ大分市内にある大分市美術館のほうに展示してたことを帰宅後に知った。残念。

OPAMからいったんホテルに向かい、荷物を置いたあとで駅周辺を散策。そのときには無かった巨大な駅ビルや大規模な高架のせいで街の雰囲気はガラッと変わり、初めて来たような新鮮さがある。

また、ちょうど大分でもここ数日で陽性者が急増していたせいか、目当てにしていたレコード屋や本屋が臨時休業していたり、事前にチェックしていた観光客はまず足を向けなさそうなシブい居酒屋の店先に「常連以外、入店お断り」の張り紙があったり、緊張感の高まりはそれなりに感じた。

夕方、ぼくが横尾展を見てる間に宇佐神宮まで足を伸ばしていた同行の友人と合流。ホテルの近所にあった居酒屋「松竹梅」で飲む。メニューにあった食用ガエルの唐揚げになぜか友人が反応して、注文。ぼくも初めて挑戦してみた。バラエティ番組などでレポーターが「鶏肉と魚の中間」という味の表現をしているけど、小フグの唐揚げに似てるな、と思った。もちろん不味くはなかったけど、もう二度といいかな。

1時間ほどで退散し、ホテルに戻る。持ってきていた本を2行くらい目で追ったところで失神するように就寝。

1月22日(土) 大分(DAY2)

まさかと思ったときに起きるのが災害。夜中の1時過ぎ、ベッドが激しく揺れる。地震だ。東日本大震災のときに経験したような、命の危険を感じるような揺れ。緊急地震速報は幸か不幸か鳴らなかった(ぼくが"現在地"ではなく"松山市"の震度5以上でアラートが鳴る設定にしていたため)。

ホテルなので頭上からなにか落ちてきたり、倒れてくるようなものはない。万が一、泊まっているホテルが倒壊するような事態になれば、ぼくがひとりでバタバタしたところで助かるような見込みは無いだろう。面倒なのは、せっかく海を渡ってきたのに、今日のイヴェントが中止のような事態になること───そんなことを考えながら、10秒ほどの揺れに身を任せていた。

10時にチェックアウトし、一路、日田へ。

高速道路から見える風景が四国のそれと全然違う。山の形状、山肌、生えている木の種類……地質図を見れば一目瞭然だけど、昔々にさかのぼれば、地続きだったふたつの土地だ。たかだか数十キロの海を隔てただけなのに、こんなに違った色合いになることが不思議でしかたない。

1時間半ほどで到着。ここでいったん友人と別れ、ぼくだけリベルテに。支配人の原茂樹さん、そしてスタッフの方々にあたたかく迎えていただく。リベルテはボーリング場、弁当屋、中華料理店、作業服店が同居する懐かしいレジャー施設の一角にある。原くんが潰れた映画館(しかも2回!)を引き継いだのは12年前のこと。人口6万人の地方都市で個人経営の映画館をそれだけ長いこと続けているのは、偉業を超えて奇跡だ。

映画館の待合室には書籍、CD、レコード、雑貨、服などが並んでいる。マクドナルドやユニクロなどは揃ってるが、中古レコード屋や古本屋のようなカルチュアを感じさせる場所はおそらくひとつも無い(新譜のレコード屋はあった)。そして、日田には大学は無いが、高校は公立が3つ、私立が2つ、計5校もある。ウィキペディアに掲載されている人口分布のグラフを見れば一目瞭然だけど、高校を出ると、子どもたちは市外に出てしまう。リベルテのようなミニシアターにとっては、これってものすごく営業上不利なはずだ。リベルテにかかってるような映画は、高校生がデートで見に行くような作品じゃないから。

でも、もしぼくが日田の高校生なら絶対にリベルテに行くだろう。もちろん行こうと思えば福岡や大分まで足を伸ばすことはできるけれど、地元にこんな場所があれば、通わないはずがない。現にスタッフの女性のひとりは高校生の頃からリベルテの常連で、海外留学を経て、また日田に戻り、ここで働いているそうだ。

どこの街に行っても、ぼくのイヴェントに来てくださるのは30歳代前後の女性客が中心だ。いっぽうで、リベルテに集まってくださったお客さんは明らかに若い方が多かった。ひとりひとり年齢を聞いたわけではないけれど、ぼくの子供といっても通りそうな人たちが目立った。たぶんぼくのことも知らない。原くんが主催するイヴェントだから、きっとおもしろいだろう……と、足を運んだのだ。リベルテに対する信頼の強さだ。

トークのあと、物販ブースの横で、本を購入してくださった方にサインを入れた。若いお客さんたちが2冊揃いで買ってくれた。本を出して、最初のイヴェントが日田でよかった……と心から思った。

原くんが行きつけの焼鳥屋で軽く打ち上げ。店内はわれわれともう一組だけ。味も雰囲気も最高で、2年前まで今日みたいな週末にこんな閑散とした状況はありえなかっただろう。

ぼくをホテルに送り届けたあと、原くんは旧友たちが待つという飲み屋へタクシーで向かった。すごいバイタリティ。

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