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THINK TWICE 20200712-0718

7月12日(日) SHOOTING STAR

 友人のグラフィックデザイナー、井上真季さんが新しく立ち上げたブランド「FOLK」のために、女性のモデルさんを使って写真を撮りました。

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 最初の依頼はホームページのディレクションだけでしたが、ぼくのポートレートの腕を見込んで(?)撮影も任せてくれたのです。

 モデルさんのひとりは以前からの友人、もうひとりはモデル初挑戦の中学1年生。お化粧もヒールのある靴も初体験。

 12歳ですよ、12歳。2008年生まれ。オバマが大統領になり、北京オリンピックが開催され、崖の上のポニョが公開された2008年ですよ。2007年生まれのiPhoneより若いです。

 気力も体力もそれなりに使ったけれど、コロナ禍や大雨のせいで、心の中の湿りが解放されるような仕事でした。

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夏休みにもう一度撮影をする予定ですが、きっと彼女のひと月なんてすごい成長なんだろうな。また会えるのが楽しみです。


7月13日(月) コロナ禍の時代に求められる”新しい生活”とは膜(エンベロープ)のなかでウィルスのように暮らすことだ。

 今夜、友人と飲みに行って、食べ終わった焼鳥の串を咥えながら、良いこと(名言)を連発していた気がするけど、ほとんど記憶は失せました。

 ただ〈皮膚〉や〈膜〉っていうキーワードを口にしたのは覚えています。話したことを思い出しながら書いてみますね。

 動物の骨格や筋肉が部分ごとに名前があるのに対して、皮膚(膜)には明確な区分はないですよね。顎皮膚とか肘皮膚とか臀部皮膚みたいには呼びません。他の場所と区別できるのは頭皮くらいですが、それだって皮膚の問題ではなく、そこに頭髪という目印があるからでしょう。いずれにせよ、頭皮も顎皮膚も肘皮膚も踵皮膚もひとつの大きな膜です。

 それと同じように、ぼくの職域とかスキルは皮膚や膜のようで、どこからどこがデザイナーで、どこから先がエディターで、どこからプロで、どこからアマチュアか───という線引きを考慮したことがありません。

 それゆえ他人から見れば掴みどころがなく、何してる人なんだか何がしたいんだかわからない、説明しづらい、評価しづらい、気持ち悪いだなんだと、20年以上言われて続けています。

 ぼくの考え方としては、なにか新しい仕事に足りないスキルがあれば、余っている膜をぐっと引っ張ったり、寄せてくる。

 具体的に言うと、写真のアイディアが煮詰まれば、文章のアイディアを応用して使う───火傷の治療で、きれいな皮膚をお尻から剥がして傷口に移植するようなイメージで、自分が持っている別のスキルやアイディアで不足したところを補っているのです。

 たとえ移植であってもそれはあくまで自前のものだし、他人からいただいたものではないから、拒絶反応が起きる心配もありません。いざというとき困らないよう、余分な皮膚や膜を蓄えておくことも、なんとなく自然にやってきたように思います。

 皮膜というのは内側と外側を区分する境界線です。内部を守る強さと同時に、柔らかく伸縮して身体を保護します。また感覚器として、外部の変化を微細に感じ取るアンテナであり、内部の異常を外部に知らせたり、呼吸や異物を排出する機能も担っています。*1

*1 数年前に読んだ、資生堂で皮膚の研究をしている傳田光博さんの本もすごくおもしろかったので、おすすめしておきます。

 皮膜についての認識を社会全体に拡大したとき、言語というものも非常に皮膜的だと思います。自分の外にあるものを認知し、時には遮断してくれます。また自分の中の考えを吐き出し、他者との最初の接点になります。*2

*2 言語という皮膜を奪われることが、人間の健全な精神発達をいかに阻害するかという事実を、ぼくはこの本で学んだばかりです。

 COVID-19に代表されるエンベロープウィルスを構成しているのは、脂性の膜(エンベロープ)とカプシド(タンパク質で出来た殻)と核酸(DNA)です。中にはノロウィルスのように膜を持たず、より協力なカプシドで核酸を覆っている種=ノンエンベロープウィルスもいて、アルコールなどで簡単に除菌できるエンベロープウィルスたちより、強い繁殖力を持っています。

 ぼくたち人間はこれまでカプシドのみで命を守ってきたノンエンベロープな生き物でしたが、コロナ禍以降は、フェイスマスクやシールドやアクリル板といったエンベロープ=プラスティックの膜を覆わないと、まともに暮らすことができなくなってしまいました。

 つまり、繁殖力の強いノンエンベロープ型の生き物から、エンベロープ型の生き物へ人間はやや弱体化したんですね。ワクチンや薬という社会的な膜が自分たちを守ってくれるようになるまで、ひとまずプラスティック製の薄い膜によって身を守るしかありません。当然のことながら、今までのような勝手なふるまいはあらため、経済システムをもっと縮小していかなくてはなりません。

 ああ、生きているうちにこんな劇的な変化が待ち受けているとは───でも、どこかワクワクしている自分もいます。


7月14日(火) デッド・ドント・ダイ Part.1

 今週土曜日、コロナ禍以降ではじめての県外出張が入り、いつもなら朝10時から生出演しているラジオのレギュラーコーナーを事前収録してもらうことになりました。

 トークテーマは前々から予定していた、ジム・ジャームッシュの新作『デッド・ドント・ダイ』。

https://longride.jp/the-dead-dont-die/

 劇場公開の予定が当初から数ヶ月ずれこみ、ぼくの住む松山でも7月10日から上映がスタート。全国的にもこのタイミングで公開される劇場が多いので、タイムリーかな、と。

 いつも本番用に作っている簡単な資料を、せっかくなので、このnote上でまとめさせてもらおうかなと思います。日記も書けるし、資料も出来るし、ちょうど日記を公開する土曜日にオンエアもあって───臨場感あるでしょ?(笑)

 では、参ります。

 この『デッド・ドント・ダイ』は、前作『パターソン』から丸3年ぶりの新作ということになります。

 次のジャームッシュの作品がゾンビ映画になる……って話は、『パターソン』の公開直後、けっこう早い段階から報じられていました。

 みなさんの記憶からも薄れかけているでしょうが、ちょうどその頃、日本中をやたらと席巻していたのが、あの『カメラを止めるな』でした。*1

*1 資料でふりかえると、2018年6月、東京の2ヶ所の映画館で上映が始まり、8月に上映が100館規模になり、10月に300館規模まで拡大しています。わが町ではかなり遅くて、たぶんこの10月あたりに劇場にかかったんじゃないかと記憶しています。
 ちなみにぼくは劇場では見ていません。配信が始まった直後にU-NEXTで見ました。普段、ホラー映画を見ていない人とか、そもそもあまり映画をふだん見ない人なら楽しめるのかな、と。「100日後に死ぬワニ」を読んだときに覚えた既視感は、確実にこの映画が元でした。

 2003年に、ジャームッシュはバンパイア映画『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』を撮っていて、これも大好きな作品だったから、ゾンビ映画と聞いても、意外性や驚きというよりも楽しみのほうが勝っていました。

 『カメ止め』フィーバーがまだ吹き荒れていた2018年11月、東京でキリンジのデビュー20周年ライブを見に行ったとき、『パターソン』のポスターやパンフレットなどのデザインもしているデザイナーの大島依提亜くんと席が近く、開演まで雑談をしていたときも、この『デッド・ドント・ダイ』の話題にもなりました。

 このときはまだ詳細もわからなくて「楽しみだね」程度の会話だったように記憶しています。*2

*2 東京造形大学の同級生だった大島くんとは年齢は一つ違いの同級生。同じく同級生で、細野晴臣さんのジャケットデザインなどをやっている岡田崇くんらと活動していた「ヴァガボンド」というバンドのメンバー同士でもありました。大学時代は互いの下宿が近かったので、彼の部屋にも遊びに行ったり、八王子のレコード屋を一緒に回ったりしてました。
 もともと彼は映画監督志望。自主映画を作ったり、『ロビンソンの庭』などで有名な山本政志さんの現場でインターンのように働いたりしていたはず。彼の撮った映画は残念ながら一本も見たことはないけれど、ぼくらの家の近所に浅川という大きな河川に橋から飛び込むなど、無茶な撮影をよくやっていたのを覚えています。

 そして、映画は無事に完成。2019年4月にカンヌ映画祭のプレミア作品として公開されたんですが、聞こえてくるのは酷評の嵐!

 そのあと5月から全米公開もスタートしたのですが、当然のことながら興行収益も大惨敗。

 有名な映画批評サイト"Rotten Tomatoes"でも批評家の支持率55%、観客の支持率38%───参考までに『パターソン』が批評家の支持率98%、観客の支持率72%なので、どれほどの差があるか、このデータだけでもわかるでしょう。

 しかし、長いことジャームッシュの映画を愛好しているぼくには、そんな悪評は屁とも思わず「そりゃそーだよな。でも、楽しみ」という気持ちが変わることはありませんでした。

 では、『デッド・ドント・ダイ』がどんな映画か、具体的に話をする前にこの作品の主題歌をお聞きください。アメリカのカントリーシンガー、スターギル・シンプソンが書き下ろした曲「The Dead Don’t Die」です。


7月15日(水) デッド・ドント・ダイ part.2


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 センターヴィルという小さな町の3人の警察官───署長のクリフ(ビル・マーレイ)、巡査のロニー(アダム・ドライバー)、署員のミンディ(クロエ・セヴィニー)。
 ある日、飼っていたニワトリが盗まれたという町民からの通報があって、さっそくクリフとロニーが調査を始めるんですが、予想もしなかった凄惨な事件が次々と起こりはじめ、やがて、それがゾンビの仕業だってだんだんわかってくる───というのがあらすじです。

 あらすじは、ゾンビ映画の王道そのものなんですが、そこにジャームッシュらしいオフビートなコメディ感覚が加えられた、ホラーコメディです。

 ビル・マーレイ、ティルダ・スウィントン、クロエ・セヴィニー、スティーヴ・ブシェミ、トム・ウェイツ、イギー・ポップといったジャームッシュ映画の常連組から、セレーナ・ゴメスのような新顔も参戦し、顔ぶれを眺めているだけで楽しくなります。

 実はゾンビ映画というジャンルは歴史が古くて、最初のゾンビ映画は1932年……昭和7年にアメリカで作られ、翌年に日本でも公開された「恐怖城(White Zombie)」という作品だと言われています。

 1929年にウィリアム・シーブルックっていうジャーナリストが書いた『The Magic Island』っていう本によって、ハイチのブードゥ教と、死者が蘇るゾンビ伝説というものが一般に紹介され、こういった映画が続々と作られていくきっかけになりました。

 いわゆるゾンビ映画の基本ルール───死者が墓場から復活して、生ける死者=ゾンビになり、人間を食べ、食べられた人が感染して、またゾンビになる、脳を破壊しないと倒せない───を初めて設定したのが、1968年にジョージ・A・ロメロが作った『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』です。

 20世紀フォックス、パラマウント、ユニバーサルといったメジャーではなく、小さな製作会社が作った映画で、日本では劇場公開もされなかったような低予算の映画でしたが、今ではあのニューヨーク近代美術館にもコレクションされている映画史に残る傑作です。

 このゾンビ映画の金字塔と言われる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のユニークな点は、主役がベンという黒人男性だということです。

 ベンは非常に頭脳明晰で、勇敢で、冷静沈着なヒーローとして描いてるんですね。映画が公開された1968年はキング牧師が暗殺されて「動乱の年」って呼ばれてました。

 ラストシーンでは、ゾンビからなんとか逃れたベンがゾンビ狩りをしている白人のグループ(Zombie Conqueror)たちに射殺されるんですけど、そうした結末から『ナイト・オブ〜』は、レイシズムや公民権運動といった社会的なテーマが投影されている───と長く語られたりもしてきました。

 実のところ、監督のジョージ・A・ロメロ、また脚本家たちはインタビューでそれを否定しています。

 白人男性がリーダーになってみんなを救うよりも「ステレオタイプの逆をいくように黒人男性を主役にしたらおもしろいじゃん?」といったふうに、今までにないエンターテイメントを作ろう! 意外な方法を考えてお客さんを驚かせよう!という思いつきだけで決めたみたいなんです。

 しかしながら、オバケやゾンビや宇宙人をつかって戯画化することで、現実社会の問題点を批判したり、警告したりすること、あるいは客を驚かせ、楽しませながら啓蒙する───といったことがホラーやSF作品の醍醐味のひとつだったりします。

 ジャームッシュは、これまでの作品の中ではことさら強調してこなかった社会に対するメッセージを、かなりストレートに『デッド〜』では打ち出しています。

 じゃあ、そのへんの詳しい話をする前に、また曲をかけたいと思います。先ほど触れた"Zombie Conqueror"にちなんで、ダーティ・プロジェクターズ「Zombie Conqueror (feat. Empress Of)」です。


7月15日(木) デッド・ドント・ダイ part.3

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 先ほど解説したように、SFやホラー映画は一見、荒唐無稽な世界を描きながら、現実に起きているさまざまな問題に対する警告を描くこともできるジャンルです。

 ジョージ・A・ロメロが"設定"したゾンビ映画のルールの中に、ゾンビになってしまった人間は、完全に意識や記憶を喪失したわけではなく、生きていた頃のふるまいや行動をわずかながら記憶にとどめていて、自分の家族や恋人を襲うのを躊躇したり、自宅や教会やショッピングセンターといった、かつての自分の馴染みの場所に集まったりします。

 『デッド〜』のゾンビたちも、コーヒーやワインやWi-Fi(!)など、生前の自分が執着していたものを忘れられず、それを求めて彷徨い歩きます。

 ジャームッシュはインタビューで、こう語っています。

僕は新しいものを作りたいと思い、映画の中に警告めいたものを入れることを自分に許しました。それはたぶん、気候変動や企業の強欲、政治の暴力、そういうものを非常に悲しく思っているから。僕は他者に共感することが、人々がバラバラになるのではなく連帯することが大切だと思っています。だから、この世界のありかたが怖くなっているところがあって。僕は、人々が欲望や残虐を信じているとは考えていません。しかし権力を持っている人たちは──彼らが何から力を得て、何を大切にしているかはわからないけれど──すべてをコントロールしたがっている。情報を、すべてをです。終わりなき消費主義は、自分たちで「これは間違いだ」と気づかないかぎり、世界を終わらせることになる。すべてをぶち壊してしまう、未来の子どもたちから水を奪うというだけで済むものではありません。すべてが利益のために動いている、そのことを止めなければこの世界は終わりです。

THE RIVER 『デッド・ドント・ダイ』ジム・ジャームッシュ監督に聞く
https://theriver.jp/dead-dont-die-interview/

 別のインタビューでも「いま、僕が気になっているのは、地球の環境問題で、これまでの歴史にはなかったほど、自然は破壊されている。でも人間は自分のために靴を買うことしか考えていない」「ゾンビは僕たちの内部から生まれている。つまり、彼らは僕たち自身だ」とも話しています。

 物質主義、地球温暖化、トランプやボルソナロといったファシストまがいのリーダーによる社会の分断などを風刺しつつ、けっしてそれを一部のリーダーだけのしわざだと批判しているわけではありません。

 むしろ自分たちを襲っているゾンビはどこか別の世界からやってきた誰か……ではなく、その正体はわたしであり、あなたである、ということをもう一度考えるべき、とジャームッシュは指摘しているのです。

 それを踏まえて、この『デッド〜』を見ると、その恐怖は自分の外側からではなく、内側から押し寄せてくるはずです。

 最初に述べたように、『デッド〜』は『カメラを止めるな』の熱が最高潮だった頃に製作が始まり、日本の配給元でもあるロングライドという会社が資本参加している関係で、日本ではかつてないほどのプロモーションを仕掛けるようだ、という話を、大島くんからその後聞いていました。

 その仕掛けづくりに時間とお金をかけるため、日本公開は1年もお預けを食うはめになったのですが、カンヌでもアメリカでも空振りだったため、海外では早々とソフト化されていました。昨夏、映画好きの友人がアメリカ旅行のついでにブルーレイを買ってきたので、ぼくもそれを貸してもらって、ちょうど去年の今頃、英語字幕で見ました。

 この作品はおそらくあなたがゾンビ映画と聞いてイメージするどんな作品とも違うテイストになってると思います。もちろんぼくも日本語字幕付きでもう一度見直すつもりです。

 それでは、最後に1曲。

 ゾンビにちなんで、アメリカのシンガーソングライター、ハリー・ニルソンの1976年のアルバム『THAT'S THE WAY IT IS』から「ZOMBIE JAMBOREE (BACK TO BACK)」を聴いていただきつつお別れです。

 また来月お会いしましょう───。


7月16日(金) わたしがララージについて知っているいくつかのこと。

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 1979年、ニューヨークの街頭で、たまたま路上演奏をしていたところをブライアン・イーノに見初められ、イーノのプロデュースでアルバムをリリースした、ツィター演奏家のララージ(Laraaji)。日本でも70年代後半から80年代にかけて、大ブームとなった〈環境音楽〉や〈アンビエント・ミュージック〉の第一人者であります。

 こういったデビュー伝説はしばしばショービズの世界では、完全な、もしくは部分的な捏造や脚色によって誕生するものだと思ってまちがいありませんが、もっともピュアなアンビエント・ミュージックの領域でも、そういうことがあるのかないのか───不幸にも、そして幸せにもぼくは多くを知りません。

 ララージというのは、いわゆるソウルネーム/ホーリーネームで、本名はエドワード・ラリー・ゴードンといいます。

 フィラデルフィアに生まれ、ニュージャージーで育った少年期にヴァイオリンやピアノやトロンボーンなどの楽器を習得。黒人が通う全米屈指の名門校、ハワード大学で作曲とピアノを学びました。

 ニューヨークに拠点を移したあとはコメディグループに参加し、スタンドアップ・コメディやコントを披露する日々を送っていたところ、ツィターを使った音楽を極めなさい───と神様からの啓示を受け、彼は突然、縁もゆかりもなかったオーストリア発の民族楽器を手にしたわけです。

 ツィターという名称は、古代ギリシャ語のキターラ(Kithara)という言葉に由来していて、これはギターと同じ語源だそうです。

 その起源にはさまざまな説がありますが、おおむね16世紀に発明され、ギターと同時期、またピアノより少し早く誕生した楽器です。

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 主にアルプス地方で愛好されてきましたが、その存在を大きく世界に知らしめたのが、アントーン・カラスによる映画『第三の男』のメインテーマでした。

 主旋律を弾くための弦と、伴奏部分を弾く弦が分かれていて、それぞれを親指に付けた爪で弾きます。演奏の難易度は非常に高いそうです。

 そんなツィターがララージの手にかかってどのような音楽になったのかは、彼の演奏を見て、聴いてもらうのが一番早いかと。

 昨年5月にTiny Desk Concertに出演した際のパフォーマンスです。

 彼のデビュー以降、ララージといえばツィター、ツィターといえばララージというくらいの代名詞になっているのですが、昨日から配信が始まった彼のニューアルバム『Sun Piano』は、その名の通り、彼のピアノソロの演奏だけで構成されたアルバムです。

 めちゃくちゃよくて、ぶっ飛んでしまいました。

 さきほど書いたように、大学でアカデミックな教育を受けた楽器がピアノで、文字通り、彼にとっては原点回帰の作品ですが、楽器は変われど、どこからどう聴いてもララージの音楽であることにまちがいありません。

 ぼくたちにとっては、むしろツィターよりもはるかに耳馴染みのあるピアノで彼の奏でる旋律を聴くことで、ララージの音楽のコア(核心)に触れやすくなっている気がします。


7月17日(土) Pseudo Ambient〜ララージと細野さん

 ぼくがララージについて、関心と知識を深めたほとんど唯一の資料───それは細野晴臣さん責任編集の雑誌『H2』でした。

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 1991年9月に〈季刊音楽誌、創刊0号〉と銘打たれて発売されました。巻末の編集後記に〈創刊第1号は特集「Hな音楽」1992年春に発売予定〉と告知もされていたのですが、それきり二度と出ることはなかった幻の雑誌です。

 この『H2』に細野さんが語り下ろす形で、ララージの紹介記事が掲載されています(「ララージを語る 細野晴臣」)。

 昨日の日記に書いたララージについての物語〈わたしがララージについて知っているいくつかのこと〉も、おおむねそこで細野さんによって語られているのですが、とりわけ興味深かったのは、今回のアルバムのタイトル(『Sun Piano』)にもなっている、ララージと太陽についての話題です。

 最後ですけど、彼の属する宗教───。もちろん彼自身のスタイルをまず言いますと、全身、僧侶のような格好をしています。オレンジ色の布をまとっていまして、オレンジ色の帽子をかぶっています。最初は僕はバグワン·シュリ·ラジネシの宗派だと勘違いしたんですが、バグワンの場合は赤をまとうわけですけど。僕は宗派のことはきかなかったんですけど、その色は何だと。そうすると答えは、太陽であると。これはラーの色であると。エジプトの太陽の神であるラーですね。 これまた独特の信仰だったと思うんですね。 きっとおそらく彼の個人的な信仰だと思うんです。 もちろんラー信仰というのは、サン・ラとかいっぱいいますが、彼は個人的な信仰のなかでメディテーションをやっていると思うんですけど。
 その太陽の色ということを聞いて、 なんか納得がいったことがあります。それは、彼のかもし出すチターの響きは、太陽の光が木陰からこぼれ落ちていくような、そういう、何かキラキラしたぬくもりを感じるんですね。 とても穏やかな太陽の日だと思うんです。 それでますます僕は光ということ、これからは太陽がとても大事になってくる。いま太陽活動も活発になっているし、人間と太陽場との関係をどうもっていくかということにおいても、太陽というものは非常に大事になってくると思うんですけど。そういうような、シリアスに見えるんですけど、なんかジョークのような、 とても偉いお坊さんのように見えて、しかも胡散臭いような、しかし響きだけ聴いて僕はずっとララージという人のイメージを持っていましたから、とてもバランスのとれたすぐれた精神の持主だという感じがしていましたし、なるほどブライアン・イーノというのはそういう人をちゃんと導いていく心得のある人だなと思った次第です。
 (中略)なぜオレンジ色を着ているかというと、もちろん太陽の信仰のせいなんですが、色彩心理学的にいえば、 太陽のエネルギーを吸収して、体を活性化させたりというようなことがあるんでしょう。 もうちょっとシンボル的なことをいっていましたが、これが一番印象的でした。太陽はエゴをも燃やすであろうというようなことを宣っていましたので、それこそがララージの音楽の本質的な部分だと思うんです。

 さすが細野さんだな、と思うのは、ララージの音に太陽の輝きやぬくもりを見出す一方で、ある種のうさんくささ、ジョークのような部分を同時にしっかり見抜いていた、という点です。

 つまり"Pseudo"───「疑似的」とか「まがいもの」というフィーリングです。

 "Pseudo"については、4月28日の日記に書いたジョン・キャロル・カービーの紹介記事で詳しく触れたので、ぜひ読んでほしいのですが、むしろこのうさんくささとかジョークといったものが、音楽に与える軽やかさやユーモアを大事だと思うし、反面、ふざけてるようでいて、すごくシリアスな部分があるからこそ、細野さんや、ララージや、ジョン・キャロル・カービーの音楽に価値を見いだせるのだ、と感じています。

 ララージと細野さんの邂逅は1993年発表の細野さんのアルバム『MEDICINE COMPILATION from the Quiet Lodge』の1曲目「Laughter Meditation」に結実しました。曲名はララージが長年実践している「笑う瞑想」に由来しています。

 床に仰向けに寝そべって、静寂の中で大笑いする───というのが「笑う瞑想」の基本的なメソッドらしいのですが、昔よく授業やテスト中、教室のなかが急にしんとしたあと、なんだか妙におかしくなって大爆笑してしまった経験って誰しもあると思うんだけど、あれ、なんだか笑っちゃいますよね。笑いの原理である〈緊張と緩和〉を実証する瞬間。

 世の中が究極的に緊張している今、この先の未来にあんな大爆笑する瞬間が待っているといいんだけど。


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