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THINK TWICE 20200628-0704

6月28日(日) Milton Glaser & Pushpin Era

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 I♥NYの作者として著名なデザイナー/イラストレーターのミルトン・グレイザーが、6月26日───奇しくも91歳の誕生日当日、マンハッタンの自宅で亡くなったそうです。死因は脳卒中でした。

 1954年、クーパー・ユニオン *1 の同級生だったシーモア・クワスト、レーノルド・ラフィンズ、エドワード・ソレルと、ミルトンが結成したデザイン集団「プッシュピン・スタジオ」は、いわばグラフィックデザイン界のビートルズのごとき存在でした。

*1 1859年にニューヨークのイースト・ヴィレッジに設立された建築、芸術、工学に特化した私立大学。アメリカでも最難関と言われている名門校で、あのトーマス・エジソンもここの卒業生です。

 一匹狼のように活動することが多いデザイナーやイラストレーターたちが、バンドのようにチームを組んで活動するプッシュピンのスタイル。

 横尾忠則、宇野亞喜良、原田維夫が1964年に作ったスタジオイルフィル、湯村輝彦、河村要助、矢吹申彦の100%スタジオ、奥村靫正、真鍋立彦、中山泰のWORK SHOP MU!!、原田治、安西水丸、新谷雅弘のパレットクラブなどなど、プッシュピン・スタジオの影響を受けて、日本でも次々と新しいグループや会社が誕生しました。*2

*2 こういった小さな集団・事務所が多数設立されたきっかけとして、1970年に日本宣伝美術協会(通称:日宣美)が解散した───という背景もあります。日宣美の解説はこちらを参照ください。

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  2004年に出版されたレコード・コレクターズ誌の別冊で『ジャケット・デザイン・イン・ジャパン』というムックがあります。

 上掲のほとんどのデザイナーたちが登場し、自分たちが手掛けた仕事についてインタビューに答えているのですが、ポップス/ジャズの時代から、ロック/フォークの時代に移り変わるなかで、それに相応しいデザインとはどうあるべきか───と彼らは日々、試行錯誤していたわけです。そして、当時、最先端だったプッシュピン・スタジオの作品がどれほど有益な指針を与えたか、ということが、この本を見ると一目瞭然でした。

 ぼくらの世代は、プッシュピン・スタジオの作品そのものより、彼らに刺激を受けて作られたデザインやイラストレーションがそこかしこに存在していました。ぼくがプッシュピン・スタジオの存在を知ったのは、美大に入って以降のことですが、中古レコード屋や古本屋巡りを日課にするようになると、否が応でもミルトンの仕事に出会ってしまいます。しかし、代表作であるボブ・ディランとかザ・バンドのジャケットのタッチは、10代後半〜20代前半のぼくの目にはなんとも黴臭くて、正直そこまでグッと来ませんでした。

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 同時代に作られた和田誠さんのデザインやイラストレーション、はっぴいえんどのジャケ、湯村輝彦さんがデザインした高田渡『ごあいさつ』、横尾さんの天井桟敷のポスターなんかは、一度も黴臭いなんて感じたことないですからね。不思議です。

 しかし、そのあとずいぶん経って、ミルトン・グレイザーの作品をもっともっと知るにつけ、すごいなあと思うものを再発見します。

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  たとえば、ニューオーリンズ出身のシンガーソングライター、クリス・スミザーの『I’m Stranger Too!』(1970年)。一時期、中央線界隈の中古レコード屋でほんとによく見かけた一枚。

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  ロゴと一緒に切り抜かれた部分は裏ジャケにクリスがひょっこり。


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 ポール・サイモンの『ひとりごと(There Goes Rhymin' Simon)』(1973年)は、曲名にちなんだオブジェやイラストレーションなどを方眼紙の上に並べた半立体的なデザインです。

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 裏ジャケもぬかりなし。

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 このジャケットを眺めていて、A面2曲めの「Tenderness(君のやさしさ)」に対応するイメージだけがずっと疑問でした。

 方眼紙がめくれて、中から煉瓦の壁が見えていますね。これは何を表してるんでしょう。歌詞の中には煉瓦なんて出てこないんですよ。

 長年の疑問を晴らすべく、わざわざこのためだけに図書館に行き、ポール・サイモンの分厚い伝記本『ポール・サイモン 音楽と人生を語る』を借りて調べてみました。

 アルバムの制作初期にレコーディングされた「Tenderness」の歌詞は、最初の妻ペギーとの、ぎくしゃくした関係がモチーフになったそうです。

 あらためて歌詞を訳してみました。

What can I do?
What can I do?
Much of what you say is true
I know you see through me
But there’s no tenderness
Beneath your honesty

どうしたらいいんだい?
どうすればいい?
君の言葉はいつだって純粋だ
ぼくのためなのも分かってる
でも、君の正直さの裏には
やさしさがまったく欠けているんだ

 あ、なるほど。
 表面の薄い膜をめくると、そこには硬い煉瓦の壁が。
 ペギーとサイモンはリリースの2年後、1975年に離婚しました。

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 Metropolisのシングル「I Love New York」(1978年)。着心地良さそうなツイードのジャケットに彼の代表作である「I♥NY」バッジが付いてます。

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 これをちょっと思い出したりして。

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 トッド・ラングレンの『Runt. The Ballad of Todd Rundgren』(1971年)は、写真と文字だけのシンプルなデザイン。なんとも残酷で怖くて、ずっと忘れられない作品です。

 アルバムの一番最後に入っている曲「Remember Me」───何年も恋い焦がれていた女性に結局、思いが届かず、この世を去ろうとしている男の歌なので、それをビジュアル化したのかもしれません。


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 カルロス・サンタナの弟、ホルヘ・サンタナ。このジャケは女性のショーツと腰にこだわり続けた画家、ジョン・カセールの絵をフィーチャーして、ミルトンはデザインのみ。

 余談ですが、『ヨルタモリ』で、宮沢りえがママを務めるスナックの店内にこのレコードが飾られていたことが、一部の好事家(ぼく&誠光社の堀部篤史くん)の間で話題になりました。

 和田誠さんが昨年秋に83歳で亡くなり、ミルトンも天国へ行ってしまいました。この世がまた少し美しくなくなってしまった気がします。


6月29日(月) 1936 : 横尾さんのマスクアートとまことちゃんハウス

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 和田さんやミルトンがこの世を去っても、地球に踏みとどまって、この世の美を守ってくださっているアーティスト、横尾忠則さんと楳図かずおさん。

 横尾さんはコロナ禍の中〈マスクアート〉の制作に精を出し、猛烈ないきおいでTwitterに作品を発表し続けています。

https://twitter.com/tadanoriyokoo

 はたまたつい先ごろ、意外な形で楳図先生の近況も知ることが出来ました。

 偶然にもふたりは同い年なんですね。
 1936年生まれの84歳。ちなみに和田誠さんも同い年です。

 ウィキペディアで調べてみると、この3人に限らず、じつに錚々たるメンツが1936年に誕生しています。政治家、経済人、スポーツ関係者を省き、芸術/文化関係の人だけでソートしてみるとだいたいこんな感じです。

<芸人・俳優>
立川談志
毒蝮三太夫
正司花江
内海好江
桑原和男
東八郎
桂歌丸
昭和のいる
市原悦子
野際陽子
川口浩
内藤陳
里見浩太朗

<音楽・芸能>
北島三郎
内山田洋
服部克久
山上路夫
土居甫

<声優・アニメ関係>
増山江威子
太田淑子
白石冬美
野沢雅子
青野武
増岡弘
沢田敏子
小田部羊一

<漫画>
小池一夫
梶原一騎
さいとう・たかを
篠原とおる
つのだじろう
古谷三敏
古賀新一
大伴昌司

<映画・テレビ・CM>
若松孝二
今野勉
佐々木守
戸田奈津子
大森昭男
杉山登志

<写真>
操上和美
沢田教一

<芸術・イラスト>
荒川修作
長岡秀星
田名網敬一
金子國義
日暮修一

<評論・作家>
蓮實重彦
柳田邦男
小鷹信光
越智道雄

外国人だとこんな感じ。

ロバート・レッドフォード
マイケル・ランドン
バート・レイノルズ
デニス・ホッパー
デビッド・キャラダイン
ルイス・ゴセット Jr.
ブルース・ダーン
ケン・ローチ
ジム・ヘンソン

ビル・ワイマン
ジェームス・ジェマーソン
チャック・ブラウン
バディ・ホリー
グレン・キャンベル
スティーブ・ライヒ
ズービン・メータ
エンゲルベルト・フンパーディンク
ボビー・ダーリン
エルメート・パスコアール

イヴ・サンローラン
マリオ・バルガス=リョサ
フランク・ステラ

 などなど。ここに名前を挙げた人たち、ひとりひとりについて、なにかしら文章が書けそうなくらい、濃いメンバーばかりです。

 そして、あきらかにひとつの傾向があります。
 目につくのが、その分野で先駆的な仕事をした人たち、またはある方法によって、その分野を革命的に進化させた人たち。性格的には独立性が強く、一匹狼的というか、アウトローな人たちも目立ちます。また長命で、いまだに現役で仕事を続けている人たちも多いし、亡くなった方には死の直前まで精力的に活躍された人たちがずいぶんいますね。

 上のリストから省いた人だと、長嶋茂雄さんが1936年生まれ。また、ローマ法王のフランチェスコも同い年。ふたりともこの傾向にバッチリ当てはまります。

 1936年にはバイタリティのある人材を育む、特別なバックグラウンドがあったんでしょうか?

 ここから1936年生まれについて、さまざまな考察を巡らせるべきなんでしょうが、近い将来に考えるべきテーマとして、とりあえず留保分の引き出しにしまって、ここでは考察も結論も省きます。すいませんね、いろいろちょっと忙しくて(笑)。

6月30日(火) PASCOAL UNIVERSO(1)

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 はい、エルメート・パスコアルさんです。
 ちょうどこの人周辺のことを書きたいなと考えていたら、昨日の〈1936年生まれリスト〉にタイミングよく名前が登場しました。必然性のある偶然。恐ろしいほどの数珠つなぎ感。

 エルメート・パスコアルさんはご覧のとおり、いっぺん見たら絶対忘れられないルックス、そしていっぺん聴いたら絶対に忘れられないユニークすぎる音楽の創造主です。

 キーボード、ドラム、ギター、サックスなど、あらゆる楽器を演奏する才人で、1971年には帝王マイルズ・デイヴィスに召喚されて、アルバム『Live Evil』に参加。「この地球で最も素晴らしい音楽家のひとり」と、めったに人を褒めそうにないマイルズが褒めたんだから凄いです。*1

*1 マイルズのことはほとんど知らないので、ひょっとしたらめちゃくちゃいろんな人を褒めているかも。ラーメンとかジーパンとか、人間以外のものも褒めているのかもしれませんが、不勉強にもまったく知りません。適当に言ってます。マイルズが褒めてるラーメンがあったら食べてみたいです。

 パスコアルは1936年6月22日、ブラジル北東部のアラゴアス州ラゴア・ダ・カノアという貧しい街で彼は生まれました。アラゴアス州は南米大陸を巨大な手羽先に見立てたとき、関節部分の外側(肘?)にあります。*2

 当時のラゴア・ダ・カノアは電気も水道も無いようなところだったそうで、森、湖、川のような自然の音、動物たちの鳴き声、鍛冶屋だった祖父の叩く槌と鋼の音、そして村の祭りでバンドネオンを弾いていた父の影響を受けて、彼のなかに独自の"音楽"を育んでいきました。

*2 ニワトリの手羽先を喩えに使ったのは、このあとの前フリです。

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 ぼくが最初に買ったパスコアルのCDは、1992年に出た『Festa dos Deuses(邦題:神々の祭り)』でした。

 ギタリストの山本精一さん(ex.ボアダムス/想い出波止場/羅針盤)が、音楽雑誌(たしか『remix』だったような気するんですが……)でレビューを書いていて、その文章があまりに面白くて、興味を惹かれたのです。

 彼が強調していたのは〈曲の素晴らしさや演奏能力の高さはもちろん、ニワトリや豚の鳴き声、人の喋り声まで音楽に取り込む、その奇想天外さがすごい〉というものだったように記憶しています。

 すぐさま購入し、さっそく聴いてみると、しょっぱなからニワトリの鳴き声がこれでもかと鳴り響きます。それがこの「O Galo Do Airan(アイランのおんどり)」という曲なのですが、ミュージックビデオ(?)が数日前にYouTubeにアップされたばかりだったので(これもすごい偶然)ちょっと見て/聴いてみてくださいよ。*3

*3 千円札を2、3枚握りしめて、時間と交通費を使ってわざわざお店まですっ飛んでいかないと聴けなかった音源が、こんなレアな映像込みで試聴できたり、なんならサブスク経由でアルバムを全曲楽しめるんだから、とんでもない時代ですねえ。

 まあ、それはともかく、この曲を聴くだけでも、山本さんのレビューは比喩でもジョークでもなく、実にまっとうに書いていたことがわかり、他のアルバムにも手を伸ばすことになったのですが、その後、手に入れたレコードすべてが、どこを切ってもパスコアルとしか言いようがなくて、フランク・ザッパやサン・ラと同じ、ぼくの心の神棚の高い位置に収めてあるアーティストです(まだ亡くなってないですが)。

 彼は見てのとおり、アルビノです。先天的にメラニン色素が欠乏していて、紫外線を防ぐことが出来ず、ブラジルのように日差しの強い国では命に関わりかねません。外で自由に遊べなかった彼は、サッカーボールを蹴るかわりに楽器の習得に勤しんだわけです。

 才能は見事に開花。14歳でプロデビューし、1964年、アイルト・モレイラ、ウンベルト・クレイベルとサンブラーザ・トリオを結成。その後、クアルテート・ノーヴォというグループに発展し、冒頭にも書いたとおり、ブラジル国外でも注目される存在になります。

 たった1枚だけクアルテート・ノーヴォが残した1967年発表のアルバムから4曲目の「Algodão」。タイトルの意味は〈綿花〉。

 クアルテート・ノーヴォのこのアルバムについて検索で引っかかったNewtone Recordさんの商品紹介文を勝手に引用してしまうと、〈伝説巨人Hermeto PascoalがAirto MoreiraやHeraldo do Monte、Theo de Barrosを従えて録音された名盤再発! ジャズ・ボッサ、ジャズ・サンバ、ショーロ、MPBをベースに時空もジャンルも世代も国籍も超えて如何なる時でも斬新で意志ある音楽の結晶体!〉ということになります。

 パスコアルが実際にアイルトたちを"従えて"たのかどうかは、不幸にして存じ上げませんが、その他の部分は「以下同文です」と言いたくなるくらい的確で、頷ける解説でした。こんな名盤、なんぼあってもいいですからね!(ミルクボーイ)

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 1967年といえば、カエターノ・ヴェローゾがガル・コスタと名盤『Domingo』を出したのもこの年。

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 ジルベルト・ジルのデビュー盤『Louvação』も1967年発表。

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 アメリカ進出を果たしたアントニオ・カルロス・ジョビンが、CTIレコードの創始者、クリード・テイラーのプロデュースで発表した『WAVE』も1967年です。

 1967年のブラジルは、軍事クーデターによって誕生したカステロ・ブランコによる独裁政権の時代で、まさにこの年、それまでの合衆国制からブラジル連邦共和国に改められました。

 決して穏やかな社会情勢じゃないことが、ブラジルの音楽にはプラスに働いたかもしれません。同じく1969年の日本が激しい政治の時代だったことと同時に、はっぴいえんどや天井桟敷やドラえもんを産んだ年であるように。

 それにしても。

 90年代には東京中を這いずり回っても聴けなかったアルバムがYouTubeでまるごと聴けるんですからねえ……恐ろしい時代です。

 震えながら(2)に続きます。


7月1日(水) ETHICAL?


 今日で51歳になりました。

 そして今日からスーパーやコンビニなどのレジ袋が有料化されました。

 もともと自転車や徒歩移動をしているので、常日頃からリュックを愛用しているため、レジ袋はめったにもらわないので、ぼくのライフスタイルにはこれと言って影響は無いんですが、経済産業省が今回の有料化についてはこんな意義がある───とHPで喧伝していて、正直おどろきました。

プラスチックは、非常に便利な素材です。成形しやすく、軽くて丈夫で密閉性も高いため、製品の軽量化や食品ロスの削減など、あらゆる分野で私たちの生活に貢献しています。一方で、廃棄物・資源制約、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化などの課題もあります。私たちは、プラスチックの過剰な使用を抑制し、賢く利用していく必要があります。

このような状況を踏まえ、令和2年7月1日より、全国でプラスチック製買物袋の有料化を行うこととなりました。これは、普段何気なくもらっているレジ袋を有料化することで、それが本当に必要かを考えていただき、私たちのライフスタイルを見直すきっかけとすることを目的としています。

https://www.meti.go.jp/policy/recycle/plasticbag/plasticbag_top.html

 つまりですね、プラスティック製買物袋を有料化したことと〈廃棄物・資源制約、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化などの課題〉のために〈プラスチックの過剰な使用を抑制〉することが目的ではなく、〈非常に便利な素材で〉あるプラスティックを、これまで〈本当に必要かを考えて〉こなかった〈賢く〉ないわたしたちが今後〈ライフスタイルを見直すきっかけ〉にすぎない───と書いちゃってるわけですね。

 これを偽善と言わずしてなんというべきでしょう?

 課題を克服するなら完全撤廃が筋だし、これまでの自分のライフスタイルを見直せ、というのなら、ぼくなんかプラスティック製買物袋をレジで積極的に購入し、単なる「きっかけ」づくりに利用されてしまったプラスティック製買物袋業者のみなさんの助けになりたいな、とさえ思います。

 目には芽を、歯には葉を、偽善には偽悪を、というのが、ぼくのポリシーなので。

 

 最近、エシカルな消費生活───なんていう言葉もよく聞きますね。

 エシカル(Ethical)とは本来、倫理的とか道徳的、という意味の英語だけど、今では社会貢献的であるとか環境に対して優しい、といった、本来とはだいぶ違う意味で普及しつつあります。

 一般社団法人エシカル協会 *1 代表理事の末吉里花氏によれば、「『人と社会、地球環境、地域のことを考慮して作られたモノ』を購入・消費する」ことがエシカルな消費スタイルなんだそうです。

 ぼくなんかは、この短い文章の中に、無駄な「」や『』を重ねて使っているのを見るだけで、非エシカルに感じてしまうのですが───まあ、それはともかく、コロナ禍を経て、人間の倫理や道徳といったものが、不変不動ではなく、いかに不確かなものか───ということを誰しも思い知ったはずなのです。

 細かいイシュー、たとえば、フェアトレードはたしかに大事だし、自然環境に配慮された洗剤やパッケージも絶対に必要なものです。

 でも、それを遠くから運んでくるための輸送コストやエネルギー、配達する人の安全や健康に対する責任、あるいはCOVID-19のような未知の脅威への対処が優先されたとき、使い捨てせざるを得ないものがどれほど多岐にわたり、多いのか───ということもぼくらは身にしみて理解したはずです。

*1 エシカル協会について───というHPの説明によれば〈当法人は、エシカルに関する活動を行う。一般的にエシカルとは「倫理的」という意味で、法的な縛りなく多くの人たちが正しいと考える普遍的な社会規範である。当法人が掲げるエシカルとは、人・社会・地球環境への配慮という観点からの「倫理的」という意味であり、人間中心主義的又は経済成長至上主義的な価値観を見直さなければならないという考え方を土台にしている〉と書いてありました。

 エシカルという言葉の本来の意味を、この協会独自の視点で限定してしまい、エシカル協会と名乗るのはどうしたことだろう。たとえば、野球協会を名乗りつつ〈当協会の掲げる野球とは、投手がグラウンドでボールを投げる行為という観点からの野球という意味であり〉と書かれていたら、誰だって「?」って思いますよね。ぼくにはこれと同じくらいナンセンスだと思います。百歩譲って、エシカル消費協会と名乗るなら、あれだけども。

 エシカルであることは、自分の聞きたい意見だけを聞き、取り入れたい事実だけで判断し、行動することではありません。

 たとえば、同じエコバッグを繰り返し使うことより、使い捨てのプラスティック袋のほうがウィルス感染のリスクが軽減されること、環境保護派の方々が目の敵にする界面活性剤がCOVID-19に対して有効である、ということ。

 こんな事実を支持するかしないかは別として、こっちの事実を優先して生きることも、その人にとってはエシカルな消費生活であるはずです。倫理や道徳の多様性を認めなければ、どんなに崇高な考え方も単なる言葉遊びで終わってしまいます。

 もっと使えるはずのロハスが海を汚し、いたいけな鳥やウミガメたちが死んでいます。また分解されなかったスローライフは大気中を漂って、オゾンホールに穴を開けていく。きっと来年には廃棄されたエシカルが土を枯らし、サスティナビリティが食物を汚染することでしょう。

 こうした言葉もきちんと分別して、リサイクルできるものはリサイクルしないと、わたしたちの地球が泣いていますよ。


7月2日(木) PASCOAL UNIVERSO(2)

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 見た目からしてグル(=導師)風のエルメート・パスコアルは、彼の音楽を具現化してくれる優秀な同士や愛弟子たちに囲まれてきました。

 独自の宇宙(UNIVERSO)を持った人の音楽は、継承することがとても難しい気がするんだけど、かえってそういう音楽家のもとには、腕に覚えのある演奏家たちが吸引されてしまうみたいで、本人たちが亡くなったあとも、ひとつの生態系として維持されるケースがままあります。 *1 

 いずれパスコアルもまちがいなくそういうことになりそうだけど、彼は84歳にして現役バリバリなんですよね。余裕で世界ツアーもこなし、ここ数年は毎年のように日本でも公演活動を続けています。東京や大阪だけでなく、熊本県の八代なんてニッチな場所にも2年連続行ってたりして、そういうところもなんだか自由で素敵です。

*1 その代表例がサン・ラやフランク・ザッパです。きちんと調べたわけではありませんが、ザッパなんて、死後に発表されたアルバムのほうが生前に出た作品数を上回っているんじゃないかな。これは音楽以外のアートフォームにはあまり類を見ないことで、そういった意味において誤解を恐れずに書けば、宗教的かもしれません。

 ところで、アメリカの経営学者レオン・メギンソンがダーウィンの言葉として論文に記した「この世に生き残る生物は、激しい変化にいち早く対応できたもの」という言葉を、つい先日、自民党が誤用して、彼らが推し進めようとしている憲法改正を是認せよ、というメッセージにミスリードした件がありました。

 これに付随して、ダーウィンに関する著作もある、東北大学で進化生物学と遺伝学を研究している千葉聡さんのコラムを読んだのですが、「環境の変化に対応できる生物──とくに、常に変化する環境に速やかに適応できる生物の性質があるとすれば、それはどのようなものか」ということについて、私見が書いてありました。

集団レベルの性質ならば、多様でかつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない“今は役に立たない”遺伝的変異を多くもつことである。個体レベルの性質なら、ゲノム中に同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子を数多く含むこと、複雑で余剰の多い遺伝子制御ネットワークをもつことである。

要するに、常に変化する環境に適応し易い生物の性質とは、非効率で無駄が多いことなのである。これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている。

だから、もしこのダーウィンの言葉と誤解されているフレーズが、どう変化するか予想が困難な社会環境のもとで、組織や業務の〝選択と集中〟や、効率化を進めることを正当化するために用いられるなら、それは明らかに誤りであり不適切である。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70729


 生物の進化には〈すぐには役に立たない〉、つまり、サボってる遺伝的変異が不可欠なんですね。ぼくのような人間がいちばん勇気づけられる言葉です。

 今年の正月に読んだ東京大学東洋文化研究所教授、安富歩さんの『満州暴走 隠された構造』(角川新書)には、組織を暴走させる最大の悪因として〈立場主義〉が挙げられていました。

 立場主義とは、いち個人が「これはなにか変だぞ?」と感じるようなことが起こっても「いやいや、自分の立場上、これはやらなきゃ仕方がないことだし、ひとりで責任を取るのはイヤだ。ひとまず言われたとおりにとりあえずやろう」とふるまうことです。

 これらの連鎖反応によって、悪循環に歯止めがかからなくなり、エシカルが狂って、暴走していくわけです。

 この悪循環や暴走を止めるにはどうしたらいいのか───安富先生はふたつの方法を書いています。

がんばらないで、サボって、新しいものを生み出していけるような心の余裕を持つことです。これが一つ。
もう一つは自然環境と伝統文化を大切にする、ということです。

 組織の論理に与しない、がんばらない、サボっている遺伝子を持つことが、生物にしろ、社会にしろ、進化を促すためには大事だということです。
 これって千葉先生が指摘した〈進化〉の条件にも通じますよね。

 パスコアルはアルビノとして生まれたことで、子供の社会でやるべきことをがんばらず、サボった。その時間とエネルギーが彼の卓越した演奏技術を培ったわけです。また電気も通ってないブラジルのド辺鄙な田舎で暮らした経験が〈自然環境や伝統文化を大切にする〉ことにも繋がったわけです。

 こうしてパスコアルの宇宙は花開き、人類の音楽はますます進化したのです!(ファンファーレが鳴る)

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 ぼくの最近の愛聴盤はこれ。
 パスコアルが創生した宇宙を、さらに拡張しようとと奮闘している愛弟子のひとり、サンドロ・ハイキが昨年リリースした『UNIVERSAL』です。

 なにはともあれ1曲目の「Esperança」を聴いて欲しいな。パスコアルも参加してます。動物の鳴き声とか呪術的なボイスパフォーマンス、みたいな要素は無いけれど、全体を通して伝わってくる多幸感は、師匠から確実に継承されたものだと思います。

 ちなみにパスコアルはバンドメンバーや共演者たちから、愛情を込めて"カンペオン(チャンピオン)" って呼ばれているんだって。かわいいですね。

 長くなったので、このへんでそろそろ終わりにしますが、2年前の日本公演の際にカンペオンが受けたインタビューの、このQ&Aがたまらなくよかったので引用しますね。

Q. もしあなたが宇宙を旅するならどの楽器を持って行かれますか。

私は常に宇宙を旅していますよ! 私たちの魂は肉体から出てあらゆる場所に行くことができます。一方で、いつかみなさんが帰っていく別の世界には兄弟や家族等が存在しています。宇宙には楽器は必要ありません。なぜなら、この世に存在する物は別の世界に存在するものと比べてあまりに小さすぎるからです。この世の全ての物が別の世界の影響を受けているのです。そのため、向こうの世界にはすでに楽器は存在していて、持っていく必要はないのです。それに楽器は持っていくには重すぎるでしょう?


7月3日(金) HOME GAME

 今日は友だちとランチの約束が入っていたのだけれど、雨がかなり降っていて、行くかどうか迷った末に往復6km歩いて行ってきました。

 コロナ禍以降、不思議なほど体調がいいんですよね。
 季節の変わり目───特に、前線の影響で長雨が続くこの時期や秋は、気圧のせいでしつこい頭痛に悩まされることが多いのだけど、不思議とそういうことがない。知らずしらず気が張っているのかな。それとも別の理由がなにかあるんでしょうか。よくわからない。

 最近、ちょっと仕事が立て込んでいるせいもあって、あまり時間の取られるドラマシリーズや映画を見ないようにしています。そういうときは30分くらいでサクッと終わる短めのドキュメントが最適です。

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 一昨日から見始めたのが、Netflixの『ホームゲーム : 世界一周スポーツの旅』というミニシリーズ。

 世界各地のマイナースポーツを取り上げて、競技の紹介や選手たちの横顔などが簡潔にまとめられ、ごはんを食べながらとか、寝る前に何か見てから寝たい───というときに重宝しています。

 今日、見たのがフィリピンのフリーダイビング大会のエピソード。
 フリーダイビングは、映画『グラン・ブルー』で有名になったあのスポーツ。競技自体はマイナーというわけではないですが *1 、なかなかドラマチックでした。

*1 エピソード1の「カルチョストリコ」というイタリアのフィレンツェで街をあげて行われている、ラグビーと総合格闘技が合体したようなスポーツなんて、500年の歴史があるのに見たことも聞いたこともなかったもんね。めちゃくちゃハードですごいです。ボールを運んでる間に相手を素手で殴ってもいい……なんてスポーツ、やばいでしょ。年1回、6月に開かれている大会はさすがに中止になっていました。

 一歩間違えると死と隣り合わせのフリーダイビングの世界では、ダイバーとしてのハードな訓練と並行し、ヨガや瞑想などメンタル面の鍛錬も欠かせません。ただ、何十メートルも潜水する競技は多くのスタッフのサポートが必要だし、普段の練習で同じような環境を作るというのが非常に難しいわけですよ。練習と本番の競技がここまで違うスポーツというのは、他に無いんじゃないかな。

 実はこのエピソードの主役はアスリートではなく、サマ族というフィリピンの少数民族出身で、素潜り漁をなりわいにしているイマムというおじさんです。普段は銛を片手に海へ潜って魚を突き、10人の子供たちをその腕一本で養っている───ダイバーたちとは別の意味で、命をかけて素潜りと向き合ってきた人なのです。

 サマ族の漁師たちは特別なトレーニングもなしに、深く長く海の中へとどまることができるそうです。
 調べたところ、脾臓が通常の1.5倍も大きく発達していて、それによって血液中の酸素を長く保つことができるのです。

 そのいっぽうで、定住せず、ボートで移動しながら水上生活する彼らのことを差別し、蔑んでいる人たちがフィリピンの社会には多いのだそう。

 イマムの才能に目をつけたダイバーたちはクラウドファンディングで、トレーニングや遠征のための資金を捻出。*2

*2 練習したり、大会に出場する期間は漁に出れず、無一文になってしまうため。

 イマムもまたサマ族に対する社会の差別、偏見を払拭し、貧しい生活を強いられている子供たちの夢と希望になるべくトレーニングに勤しみます。

 そして初めて出場した大会でフィリピンの国内記録67メートルの潜水に挑む───という話。結果は見てのお楽しみ。

 雨かぁ、歩きかぁ、ちょっとめんどうだな……なんて逡巡していた午前中の自分が恥ずかしくて、海の底に沈みたくなりました。


7月4日(土) BEYOND WORDS

 朝、起きて、目に飛び込んできたニュース映像に愕然。
 木曜のパスコアルの記事内で触れたばかりの熊本県八代周辺が、河川の氾濫で甚大な被害が出ているようです。

 ウィルス対策にのみ専心できていたフェーズが終わって、より複雑な応用問題を今後もぼくたちは突きつけられていくのでしょうね。

 なにはともあれ、熊本、鹿児島など被災地域にお住まいのみなさん、災害対応に奔走される役場関係者の方々、そして、医療関係、警察、消防、自衛隊のみなさんの健康と安全が守られることを祈るばかりです。

 今はこれ以上、なにも言葉が浮かびません。

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