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THINK TWICE 20200705-0711

7月5日(日) I CAN DREAM ABOUT YOU


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 他人の夢の話ほどつまらないことはないと思うんですが───ぼくにとっては珍しい経験だったので書きますね。

 今日の夢は自分の乗っている電車が、駅のホームに滑り込んだところから始まりました。

 ぼくと一緒にいるのはタモリさん。

 かたわらには女性アナウンサー。どうやら街ブラ系のロケのようです。

 駅はおそらく新宿駅。

 乗ってきた車両(たぶん山手線)から対面にある電車(たぶん中央線)に乗り換えようと、われわれはホームに降り立ちました。

 たまたまホームにいた女子高生のグループから黄色い歓声が上がり、その場にいた大勢の人たちが一斉にこちらを見ますが、警備員によって完璧に人払いされていて、駆け寄ってくる人はいません。

 急ぎ足でホームを横切り、次の電車に乗り込むと、女性アナ、タモリさん、入り口に一番近い場所にぼくという順番で、三人がけのシートに腰を落ち着けました。

 カメラは回っておらず、スタッフたちも次のロケのダンドリでバタバタしているため、ちょっとした空白の時間になっていました。

 こんな機会はもう一生ないだろうと、ぼくは思いました。

 せっかくのチャンスだ、なにかひとつでも質問をしなきゃ───と。

 ちらりと横目で見ると、タモリさんは静かに缶コーヒーを飲みながら、車内吊り広告をぼんやりと眺めておられます。

 「あ、タモさんがBOSSを飲みながら、BOSSの車内広告を見ている……。こんな光景が見られるなんて、めちゃくちゃ貴重じゃないか!」

 と、ぼくは心のなかでつぶやきました。

 いや、いや、いや。

 いかんいかん。

 質問だ。

 質問をどうするか考えろ。

 慌てて考えれば考えるほど、自分がどんどん緊張していくのがわかりました。

 これまでも結構、憧れの人たちには会ってきたし、そういう相手にインタビューをしたり、時には客前でトークイヴェントもしてきました。

 緊張することもなく、そつなくこなしてきた自負があったから、自分の今のこの有様にひどく動揺していました。*1

*1 緊張しないで臨むコツは『ぼくが緊張したって「ミズモトくんが緊張してる! かわいい!」とか「こりゃ貴重! 得した!」なんて誰も思わないもんな。緊張するだけ損だ』と考えると、サッと冷静になり、緊張の炎があっという間に消えます。ぜひ試してみてください。

 自分の中の憧れのレベルで言えば、比類なきトップ・オブ・ザ・トップのタモリさん。何かひとつでも質問する───できれば軽く一言であしらわれるようなものではなく「よくぞ訊いてくれました」と思ってもらえるような気の利いた質問を───と、考えれば考えるほど、これまで経験したことがないくらい、強烈な緊張感が襲ってきたのです。

 そして、ぼくはなんとかひとつの質問に決め、口を開きました。

「あの、すいません、タモリさん。大昔にですね、1972年に福岡で山下洋輔グループのライヴのあと……」

 ぼくはここで目を覚ましました。

 夢の中でぼくに牙を剥いた、人生最大の緊張感は身体の中にちゃんと残っていました。起きてから数時間経った今も、まだその感覚は完全に消えていません。

 本人の預かり知らぬところで、これほどまで強烈な緊張を与えてしまう、憧れの人の持つパワーってすごいですね。

 夢にタモリさんが出てきたのは生まれて初めての経験でした。


7月6日(月) SWINGERS


 先日、ぼくのタイムラインでちょっとした話題になっていたツイート。

 前作『ライフ』を───ということは、1996年リリースのカーディガンズのサード・アルバム『ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン』の日本盤に封入されたライナーノーツですね。

 当時のノリを知る者として、また、これくらいの時期にライターとして仕事をぼちぼちするようになっていた者として、執筆者(内本順一さん)を今の感覚でからかうのはちょっとかわいそう。ぼくも「こんな軽い文章で原稿料もらってたの?」と怒られそうな原稿は2つ3つじゃないしね。

 誰かに見つかる前に自分から───と、おそるおそるCD棚を捜索してみたところ、初めてライナーノーツを書いたCDが出てきました。

 先程の『ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン』と同じ年、1996年にアメリカで公開された『スウィンガーズ』というインディペンデント・ムーヴィーのサウンドトラックがぼくの初めてのライナー仕事です。

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 製作・脚本・主演は『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』や、『アイアンマン』シリーズの監督、及び、ペッパー役で大人気のジョン・ファブロウ。共演はヴィンス・ヴォーンとヘザー・グラハム。

 監督はボーン・シリーズでヒットメイカーになり、トム・クルーズにも寵愛を受けるダグ・リーマン───と、今をときめく人たちばかりなんだけど、この作品が公開された頃には、いずれの人々も無名の役者、無名の監督ばかりだったんです。

 トムとダグの「にけつっ!!」

 で、先ほどの人たちが、この映画『スウィンガーズ』でまとめて注目され、世に出たと言っても過言ではありません。

 『スウィンガーズ』は、カワイイ女の子にフラれた友だちを、仲間がバカ騒ぎして励ます、という他愛もない物語で、低予算ゆえにロサンゼルスに実在する店や街角でゲリラ的に撮影され、いかにも映画好きの若者たちがいきおいで撮った、不思議な魅力のある作品でした。

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 どういうルートでこのライナーを書くことになったのか、まったく記憶に無いのですが、ぼくはまだ高円寺のレコード屋「マニュアル・オブ・エラーズ」で雇われ店長をしていて、文章のクレジットも本名の〈水本聡〉です。

 せっかく掘り起こしたので、全文転載してみますね。

 ゴダールも使用したという小型カメラでゲリラ的撮影を敢行、従来のハリウッド映画にはない方法で、〈スウィンガーズ〉と呼ばれるロスの若者達のライフスタイルを切り取ったファッショナブルな作品のサウンドトラック
だけに、そこに収められた楽曲も、アメリカのみならず日本やヨーロッパ全土で注目されているレトロ・フューチャーな〈ラウンジ〉感覚に溢れたものばかりです。 そこでみなさんに〈ラウンジとは何か?〉を、世界唯一のストレンジレコードショップ、マニュアル・オブ・エラーズ店長である僕が、実際に買付で出かけることも多い、現在のロスの〈ラウンジ事情〉も含めて、その成り立ちからご説明したいと思います。

 この映画の舞台となったロスと同じく、西海岸(サンフランシスコ)発のカルト雑誌〈リ/サーチ〉が93年に発行した 〈Incredible Strange Music〉特集号は、 読んで字の如く「信じられないくらい奇妙な音楽」を記録したレコード達をジャケット写真込みで詳しく紹介しており、加えてクランプス、ジェロ・ビアフラのようなミュージシャン達のコレクション紹介、そして発掘された音楽家自身へのインタビューから「奇妙な音楽」を検証した一冊です。チープな初期シンセサイザー 〈モーグ〉 の第一人者ペリー&キングスレー、エキゾティックミュージックの王様、 マーティン・デニー、インカの歌姫イマ・スマックといった音楽家達にスポットが再び当たることで、日本やイギリスのコレクターを中心に散発的に熱を持ち始めていたストレンジミュージック評価がアメリカ国内で加速。古臭いムードミュージックとしてレコード屋の片隅でクズ扱いされていたレコード盤が一気に息を吹き返したの
です。 特に、宇宙感覚溢れる奇妙なミックス感が特徴とされるイージーリスニングの作曲家ファン・ガルシア・エスキベルは、この本に紹介されたのち、94年にリリースされた編集盤がインディーからのリリースながらアメ
リカ、日本、イギリスで爆発的な大ヒット、続く95年には「スウィンガーズ」にも名前が登場するタランティーノ製作の映画「フォー・ルームス」 のサウンドトラックでも大フィーチャーされることになりました。

 特に50年代から60年代にかけて、アメリカの巨大で成熟した音楽産業と、レコードというフェティッシュなメディアが生み出した奇妙な産物へのアメリカ人自身の再認識に、それ以前から日本やイギリスなどで火がついて
いたアシッド・ジャズやサウンドトラック、ムード・ミュージック、モーグなどのチープなシンセを使ったイージーリスニングエキゾティック・ミュージックへの再評価が影響することで、〈ラウンジ〉というキーワードで流
行が出来上がったと言えるでしょう。

 ただ現在のアメリカの〈ラウンジ〉シーンを牽引しているミュージシャンや若者達が、ジャズやムードミュージック、カクテルミュージックを再評価することになったかという経過についてもう少し書きたいと思うのですが、実際に僕がロスで知り合ったラウンジ音楽収集家には、キッスやイギー・ポップといったキッチュなロックミュージックファンの人間が多く、西海岸のハードコアな音楽シーンに所属していた人達が殆ど。映画「フォー・ルームス」で楽曲を提供して注目されたコンバスティブル・エディソンもアルバムやシングルをニルヴァーナでお馴染みのシアトルのサブ・ポップからリリースしていました。 日本ではラウンジ・ファンのおそらく大部分が、ファーストシングルにマーティンデニーの「ファイヤー・クラッカー」を取り上げたYMOから、音楽性と同時に音楽知識というDJ的な側面で評価の集まる、いわゆる渋谷系の音楽家への関心の中で〈ラウンジ〉に接近していると思われることから、世界各国で同時期に発生した音楽的なムーブメントでありながら、アメリカにおいてはその背景は極めて異なっていると言えます。

 僕が考えるアメリカの〈ラウンジ・ブーム〉の内部に潜む、最も重要なキーワードは〈バッド・テイスト〉、すなわち 〈悪趣味〉 的感覚です。 若いパンクミュージシャン等が元々嗜好していたバッドテイストな感覚は、 グランジによってメジャーに取り込まれた後、〈リ/サーチ〉によって、ポストグランジとも言える新しい価値観として定着しました。劇中、イヤというほど登場するスノップなパーティーやナイトクラブ、そしてそこに集まるキッチュでオシャレな連中も見方を変えればまるでバッド・テイストの博覧会のようですし、ラス・ヴェガスや、ウエイトレス達が住んでいたトレーラーハウス、そしてトニー・ベネットのようなショービズ界のオールド・スクール達も、ジェーン&マイケル・スターンの名著『バッド・テイスト』にも登場する代表的な悪趣味アイコンの数々です。

 こう考えると〈スウィンガーズ〉の連中が着こなす50年代の古着ファッションも含めて、〈ラウンジ・カルチャー〉 は、ただのファッショナブルな感覚というよりもデヴィッド・リンチやジョン・ウォータース、そしてティム・バートンらが描く「古き良きアメリカ」と表裏一体の、明るく病んだアメリカを自虐的にオマージュし、ファッションとして取り入れているのではないかとさえ思うのです。

 それではサントラに収録された12組のアーティストをご紹介しましょう。

 (中略)

 劇中、最もインパクトを受けた、ドラムのマーティーとキーボードのエレインの二人が演奏する、ビージーズの「ステイン・アライブ」のぶっ壊れたカバー曲がこのサントラに収められていないのは返す返すも残念! 次回ロスに行った時には、彼らの本拠地〈ドレスデン・ルーム〉で、カクテル飲みながらブロンドのベイビーちゃんと生鑑賞することにしましたよ。

1997年5月30日
水本聡(マニュアル・オブ・エラーズ)

 なんの文章修行もしていない27歳の青年が、Googleも無い時代に一生懸命調べて書いてますね。今だったらもっとうまくテクニカルに書けるかもしれないけど、『スウィンガーズ』の連中と同じで、このひたむきさは今のぼくからはもう出てこないと思います。

 あと、最後のブロックのテキストについて───

 ロサンゼルスに、「ドレスデン・ルーム」という有名なレストラン&ミュージックバーがありまして。

https://www.thedresden.com/

 COVID-19の影響で、現在は長期休業中らしいのですが、ドレスデン・ルームに約40年間もレギュラー出演している(日曜日と月曜日以外の5日間、夜9時から深夜1時まで!)マーティン&エレインという夫婦デュオがいて、『スウィンガーズ』にも登場します。そのシーンがこちら。

 2000年にぼくもドレスデン・ルームに行きました。ライヴと食事を楽しみ、夫婦で手売りしているCDとビデオテープをお土産に購入。つたない英語で『スウィンガーズ』を見てきたんだよ、って言ったらとても喜んでくれました。ライヴは味があるってなもんじゃなかったけど……楽しかったです。

 コロナ禍がいったん終束したら何をしたいかなあ、と考えたとき、まっさきに浮かぶのは、こういうなんでもないLAの風景です。
 まあ、飛行機は飛んでるし、行こうと思えば行けるんですけど、そこまでの度胸も理由もありません。

 CDのライナーノーツはこれまでに10枚くらいは書いたことがあるはずなので、いつかまとめてリストアップしてみたいものです。


7月7日(火) THE GOOD, THE BAD & THE UGLY

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 昨日『スウィンガーズ』の話をぼくがせっせと書いていた頃───エンニオ・モリコーネが91歳で亡くなってしまいました。

 ローマの自宅で転倒し、大腿骨を骨折したことによる合併症が死因とのことです。数年前に亡くなったカート・ヴォネガットも、ニューヨークの自宅で転倒して頭を打ち、それが原因で亡くなりました。後期高齢者には勝手知ったる家の中ですら危険地帯なんですね。

 モリコーネと同じ1928年に生まれたのは───渥美清、澁澤龍彦、セルジュ・ゲンズブール、イブ・クライン、チェ・ゲバラ、エリック・ドルフィー、スタンリー・キューブリック、アンディ・ウォーホル、カールハインツ・シュトックハウゼン、手塚治虫、フィリップ・K・ディック。

 いずれも天才ばかりですが、やや夭逝の気があります。*1

*1 1928年5月12日生まれのバート・バカラックはコロナ禍さえ無ければ、4月に来日公演が予定されていたくらいで、まだまだ元気そう。

 今でこそモリコーネは〈伝説の映画音楽家〉とか〈レジェンド〉〈マエストロ〉なんて呼ばれていますけど、それはたぶん80年代の終わりに彼が手掛けた『アンタッチャブル』とか『ニュー・シネマ・パラダイス』以降の話で、ぼくが洋画を見始めた1970年代後半には『オルカ』とか『エクソシスト2』のようなB級映画が彼の主戦場でした。

 ぼくが最初に劇場で体験したモリコーネ作品も、1982年のジョン・カーペンター監督のSF映画『遊星からの物体X』でした。*2

*2 厳密に言えば、日本のコント番組やバラエティ番組で西部劇をパロディにするとき必ず流れていたのが、クリント・イーストウッド主演の大ヒット作『続・夕陽のガンマン(The Good, The Bad & The Ugly)』のテーマソングだったので、知らず識らず耳にしていました。

 西部劇と言えばかならず使われるマカロニ・ウェスタンのテーマ曲や、先ほど触れた『アンタッチャブル』『ニュー・シネマ・パラダイス』もそうだけど、元の映画を見てる人も見ていない人も、こういったサウンドを聞くだけで、場面の緊迫感とか、涙腺を刺激するような情感が一瞬で伝わり、演出家の意図を以心伝心してしまうオノマトペのような力が、モリコーネの音楽のマジックだと思っています。

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 モリコーネのキャリアのスタートがトランペッターだったことは訃報で初めて知りました。

 また1964年からは"Gruppo di Improvvisazione Nuova Consonanza"というフリージャズ/実験音楽のグループで活動していたこともあったのですね。

 YouTubeで見つけたグループの活動記録。
 この時期に並行してやっていたマカロニ・ウェスタンのサントラも、こういうアヴァンギャルドな音楽とまったくかけ離れたものではなく、エッセンスとして取り込んでいったんでしょうね。

 ところで、これも訃報と共に知ったことなんですけど、元ニュー・オーダーのピーター・フックが『実は「ブルー・マンデー」のベースラインは、モリコーネの『夕陽のガンマン(A Few Dollars More)』のギターリフを盗んだんだよ〜。みんなには内緒にしててくれよな」だって。最高です。


7月8日(水) 未来は今

 一昨日、そして昨日と、神様の気が触れたのかと思うくらい降り続いた雨の影響で、思うように外出もできず(たまたま友人との約束が入っていた昨夕、一時的にピタッと止んだのでスケジュール通りに飲みに行ったのですが……)テレビでニュースを見ても気が滅入るばかりだし、こういうときは読書に没頭するに限ります。

 今、読んでいるのは、劉慈欣の『三体』です。

 こんなにエンタメ色の強い小説だとは思わなかったので、嬉しい誤算。時間を惜しんでハフハフと読み進めています。

 『三体』にハマっている影響で、せっかく買ってきたWIRED最新号が、ずっと積ん読状態なのが不憫になり、冒頭のウィリアム・ギブソンのインタビューと、巻末の筒井康隆のインタビューだけ、さっき目を通しました。

 筒井先生の「(この状況を小説にするアイディアはあるか? と問われ)今のこの状況がもう少しひどくなったらどんな面白いことが起こるだろうか───たとえば、夫婦が2メートルのソーシャル・ディスタンシングを保ってセックスするにはどうするか、のような細かいアイデアはある」という、筒井さん"らしい"発言にはニンマリさせられましたし、ギブソンの発言にも共感できるポイントが多かったです。

 ぼくがいま、とても重要だと思うのはこういうことだ。20世紀には、その極めて早い段階から、21世紀はテクノロジーによる奇跡の領域に入るのだと思われてきた。そしてついにぼくたちは21世紀にたどり着いたわけだけれど、いまだかつて、「22世紀」について考えを巡らせたり、それについて言及しているものにさえ、 お目にかかったことがないんだ!
 なぜならそれは、ぼくたちが20世紀にあったような意味での「ひとつの未来!(Future!)」を抱くことをやめてしまったからだと思う。代わりに、いまや「現在(present)」とはとても短いものになった───ニュースが生まれて消えるサイクルと変わらない、本当に。物事の変化があまりに速過ぎて、「いま(now)」とは文化的にもはや持続時間をもたないものになったんだ。

 彼がこんなことをインタビューで答えてるなんて、もちろんつゆしらず、ぼくも同じようなことをTwitterでつぶやいていました。

 いやあ、我ながらいいトコついてますよね。えっへん。

 ところで、後半のFuture! / present  / nowについての考察。

 戦争や伝染病や公害や環境破壊や奴隷や差別があたりまえで、衛生状態も最悪で、GoogleもiPhoneもAmazonも無かった過去より、未来のヴィジョンのほうがはるかに明るくて希望に満ちていました。

 空飛ぶ車は実現しないまでも、今、抱えている諸問題はいずれ未来の人類が解決し、過去の悪しき遺物として葬り去ってくれるだろう……と。だからこそ未来は過去より明るいのだ、と信じ込んでいたわけですよね、ついこないだまで。

 多少、改善されたのは先進国の衛生状態くらいで *1 、戦争や伝染病や公害や環境破壊や奴隷や差別に加え、ネット上での争いやウィルスなんかも加味されて、明るい未来なんてまったく見通せなくなってしまったわけですよ。

*1 それでもなお下痢で亡くなる子供が毎年150万人います。インド国内だけでもトイレにアクセスできない人が約6億4,000万人もいて、毎日7.2万トンの排泄物が河川や土壌に垂れ流されているという報告も。ビル・ゲイツは約5兆円の基金を元手に、10年前からこういった衛生問題の解決に取り組んでいて、水や電気を使わない完全循環型のトイレの開発をしています。

 だからこそ、ひょっとして未来よりも過去のほうが明るかったかもしれない、いや、絶対に素晴らしかったぞ───と、考える人が増えたんじゃないでしょうか。そして、未来に対して信用をおけなくなった人たちは、伝統保守主義、国粋主義、排他主義などに結びつき、右傾化に拍車がかかったのです。

 つまり、世界がおしなべて右傾化しつつあるのは明白な事実なんですが、厳密に言えば、右傾化ではなく過去化しているのだ、と思うのです。

 右傾化した人たちは今よりも明るく見える過去に戻りたいわけです。小学生の頃は良かったなあ、青春してたなあ、野球部のエースで4番でモテモテだったあの頃に戻りたいなあ───と考えることと、基本的には同じです。

 戦争、伝染病、公害、環境破壊、差別などの問題には、肯定しないまでも目をつむって、昔の日本、昔のアメリカ、昔のロシアの社会、道徳、倫理観に回帰しようとしています(エシカル!)。

 船を右へ右へ進めていくうちに、いつの間にか進路が180度逆転してしまったんですね。そのままグルっと一周すれば元の進路に戻りそうな気もするけど、そううまくはいかなそうです。川幅が無ければ、船はまわり切る前に岸に衝突して沈没してしまうでしょう。

 みんなが舵の取り合いで大騒ぎしているうち、救命ボートを一艘拝借して、誰かに気が付かれないうちにさっさと船を降りちゃったほうが得策なんじゃないか、と考えたりしますけどね……。

 でも、船を降りた途端、川から出てきたデカいワニくんにガバっと食われたりする可能性もある。どれが正しい道かなんてわかりませんし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、分岐点に戻って進路を修正するなんてことはできないので、どんな未来にも進んでいくしかないのです。

 とほほ。


7月9日(木)  ONE, TWO, THREE

 あれ、今日は一日なにやってたんだっけな───と考えています。

 ちなみに今は日が変わって、10日(金)の午前2時49分です。

 どうしても眠る前にお風呂に入りたくて、お湯を貯め、アメトーーーク!(東野3部作、最高だった)を見終わえてから、読みかけの『三体』と共に湯船に浸かってたら、こんな時間ですよ。

 最後まで読みました、『三体』。

 学校始まって以来の天才で、大学卒業後は高級官僚にでもなりそうな青年と結婚前提で交際を始めたら、彼が突然、卒業したらエジプトでカレーうどん屋を開業する、って言い出したような気分です。

 なぜに例えが女性目線なのかはわかりませんが、まあ、それくらい思ってもみない意外な展開で第一巻は終了。

 ちょうど第二巻も出たところで、ちゃんと最終巻まで付き合うつもりなんだけど、上下分冊になっていて、なかなかのお値段なんですよ。

 訳者の大森望さんによれば、第二巻は第一巻の5割増の文章量。最終巻にいたっては第一巻の2倍もあるらしい。

 文章を書いて暮らしている生業の端くれとして、この労作に対して気持ちよく対価を払いたい気持ちはあるのですが───この日記の読者が今の2倍増えたら買って読むことにします(笑)。


7月10日(金) キャク


 今度の日曜に撮影の仕事が入っているんですが、指定されたカットの中に、脚立が無いとどうしても撮れそうにない画角の写真があったんです。

 あいにくぼくは脚立を持ってないので、発注元である友だちのデザイナーとその件で「脚立が───」「脚立を───」とやりとりをしているうち、突然、変なことが気になりまして。

 つまり「脚立」って変だな、と。

 きゃ(く)たつ。

 いつのまにか「く」がどっかに消えてます。

 ぼくは姿を消した「く」の行方が知りたくなりました。

 他の「脚」を使う言葉を考えてみましょう。

 たとえば「脚本」「健脚」「失脚」「脚力」にはちゃんと「く」がいます。

 でも───。

 行脚(あんぎゃ)

 濁点がやってきたかわりに「く」がこっそり帰宅してる。

 脚気(かっけ)

 かっ、ってなんだよ。

 脚光(きゃっこう)

 きゃっ、って急に乙女ぶんなよ。

 うーん、脚。ずいぶん自由すぎないですか?


7月11日(土) BADEN POWELL


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 さて、最近、読書や仕事のお供で聴いてるのが、ボサノヴァ・ギターの第一人者、バーデン・パウエルです。

 これまでじっくり聴いたことがなかったんですよね。若い時、手当り次第に何枚か聴いた作品がややストイックで、ちょっとジメッとしていて。

 価値あるものだとはわかってるけど、お金を出して自分のものにはしたくないっていうか───このフィーリング、共感してもらえますか?

 家具とか洋服にもたまにありますよね。座り心地だって悪くないのに、なんとなく腰が落ち着かない椅子。友だちからは似合ってるって言われたのに、試着室の鏡に写っている自分の姿に違和感のあるシャツ。

 バーデンの音楽は自分にとって何となくそういうものでした。

 同じくボッサギターでも、チャーリー・バード、ルイス・ボンファ、ボラ・セチなんかは、ちょっと暗めの曲でもブラジル音楽特有の浮遊感を感じることが多いのですが、バーデンのプレイは、ファドとかフラメンコのような"重さ(=眉間にシワ)"があり、その重さが演歌とかに通じるのか、かえって日本では昔から人気があったんです。

 そういうイメージを改めるきっかけになったのは、先週書いたパスコアルからの流れで聴いたこの『Grandezza on Guitar』でした。

 1976年発表の作品で、日本盤のアナログが出たときは『饗宴』という邦題が付けられています。ドイツのハンブルグを拠点に活動していたアメリカ人フルート/サックス奏者ハーブ・ゲラーが全面的に参加し、discogsで調べた限り、ドイツでリリースされたあと、スペイン、オランダ、日本でしか発売されておらず、CD化もされていません。だから、YouTubeにアップされてる音源もアナログマスターってことですね。*1

*1 かくもこのように世の中の名盤すべてがCDやサブスクで聴けると思ったら大間違いなのです。

 メンバーはバーデンとドラムのジョアキン・パエス・エンリケスがブラジル人、そしてゲラーとベースのエバーハルト・ウェーバーが共にドイツ人。なんだかサッカーがうまそうな4人編成です。

 聴きどころはなんといっても2曲目の「Tributo Ao Júlio」。

 上の動画版でいえば4分44秒あたり。助走もなしに「せーの!」でスタートしたかと思うと、約8分間にわたってひたすら疾走を続けていくダンサブルな曲です。

 特にベースのエバーハルト・ウェーバーは、ECMレコードから出ている彼のアルバムなんかを聴くと、どちらかとウェーバー(ここ笑いどころです)実験的な作風の曲をたくさん出している印象があったので、こういうグルーヴィーな演奏もできるんだ、ってすごく驚きました。フィーリングの合ってる人同士の演奏って、サッカーと似て、ワンタッチ、ツータッチで次々とパスを回しているような気持ちよさがあります。

 あれ、いつのまにか午後11時だ。もうベッドに入らないとな。明日は撮影仕事の本番です。少し早いですが、おやすみなさ〜い。

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