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すぐ隣の大事な存在とともに

春分の日。

このところの、新ウィルス対策ニュースに溢れる毎日の中で強く感じるのは

「大切にしなければいけないものは、あなたのすぐ隣に存在するものですよ」

ということなのかなあ、である。

身近に接する世界。家族。いちばん小さなコロニー。

このような状態に置かれるとその単位で思いや行動を共にする。(イタリアのバルコニーに映る家族の映像を見ながらつくづくそう思う。)

普段私たちはそれぞれが結構自由にバラバラな生活をしているかもしれない。あまり干渉しあわない家庭も多いだろう。今、不要不急の外出を控えたり学校や仕事も休みになると、一日の食事を共にする回数も時間も増え日中過ごすスペースを分け合う密接した関係になる。トイレットペーパーやマスクを買い求めるのだってその単位での不足を憂慮しての行為だ。

家族の誰かがはなれたところにいれば毎日接することは出来ないけれどもやはり大切な存在であり常に思いを寄せている。それでも物質面では自分が接する最小単位の充足がまず求められる。

家族以外の大切な存在はどうだろう。密に連絡を取り合わなくとも大切なひとはいる。緊迫した状況下ではまず脇によけておかれるんだろうか。そんなもんじゃないから大切に想ってきたのではないのか?

そう思っているところへ、ネット配信での心温まる映像やメッセージにも心支えられているケースが多いことが報道される。歌で気持ちを届ける者、スポーツ選手による部屋の中でも楽しみながら身体を動かす方法の映像、そうだよな、彼等もずっと私たちの一部分である大きな存在だもの。

人生の春休みを過ごす

このような機会だからこそすきなものを再確認する時間を持つ。わたしは自宅で映画やシリーズ物のドラマをたくさん観ている。ストーリーを追いながらも自分自身と向き合うことを思い出させてくれる時間でもあるのだ。

庭に出ると、次々に花咲き、時折強く吹く南風とともに芽吹くこの季節の中にも大切な存在が沢山あることを思い出す。自然も「今ここを幸せに生きる」メッセージを送ってくれていることを改めておもう。

先日、満開のローズマリーに蜜蜂を見つけた時の高揚感ったら!羽音だけが聞こえ、ぬくぬくとあたたかい日なたのそこは一瞬時が止まり、豊潤な甘い香りにただ包まれていた。

それこそが幸せの瞬間だよ、と。


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