SDGs時代のサステナビリティ教育・研修における即興型ディベートの可能性

「SDGs時代」の到来
SDGsという言葉が徐々に日本社会においても浸透しはじめました。SDGsとは、Sustainable Development Goalsの略で、日本語では「持続可能な開発目標」です。持続可能な世界を実現するため、貧困、飢餓、ジェンダー、格差等様17つのゴールを国連が設定したのです。

SDGsが今までのサステナビリティの波と大きく異なるのは、その「共通言語」的な作用の強さに起因すると言われています。多くの国やNGOがSDGsとアラインし始めたことは、日本が内閣府にSDGsの推進本部を設置したことからもうかがえます。

「SDGs時代」において日本で求められるサステナビリティ教育・研修
「SDGs時代」の到来は、NGOや行政にとどまらず、産業界にも当てはまると言っても過言ではありません。経団連が定めたSociety 5.0にはSDGsが登場し、多くの日本の先進企業も中期経営計画にSDGsを取り入れ始めています。その結果、サステナビリティに関しても明るい人材を巡ったWar for Talentも激化しているようですが、社内でのサステナビリティ研修の重要性も高まっているとのことです。

教育現場でもサステナビリティ教育の重要性が高まりつつあります。第1回「ジャパンSDGsアワード」受賞団体には、SDGsに特化した通年カリキュラムが特徴的な金沢工業大学や、SDGsを教育にビルトインすることにも成功している江東区立八名川小学校等が名前を連ねています。

アカデミアも注目するサステナビリティ教育・研修の文脈での即興型ディベートの可能性
このような文脈の中、サステナビリティ教育の一環としての即興型ディベートの可能性が注目されつつあります。発端はお恥ずかしながら私ではあるのですが、即興型ディベートの効用を競技経験者に対してヒアリングを繰り返しているうちに、「多くの社会課題に関して知ることができた」というコメントを何度も聞きました。あえてこちらから誘導することは無かったのですが、なぜこのような回答が多かったのでしょうか?

その答えは即興型ディベートの性質を紐解くと見えてきます。即興型ディベートは、政治、経済、社会的弱者(マイノリティ)等様々な分野に関して議論することが必要です。議題は試合開始15-30分前に発表される上、準備時間中のインターネットの利用は禁止されています。そうなると、勝ち負けがつくという性質上、必死に色々な社会課題に関してアンテナを張る必要がでてくるのです。インタビューした人の中には、毎日新聞を読んだり、海外のメディアを見るようになった人もいました。さらには、肯定側・否定側を自分で選ぶことができないという特性は、社会の様々な人の立場で話すことをある種強制されます。つまり、「この人であったらどのように考えるだろう?どのように苦しんでいるんだろう?どのようにすれば救えるのだろう?」というようなことを考える機会を提供してくれるのです。

・高齢化の問題に関する議題を話すときは、老々介護にも苦しむ「高齢者」の立場で考えます。
・教育に関する議題を話すときは、新興国で学校に行くことができない「子ども」の立場で考えます。
・環境問題に関する議題を話すときは、気候変動により洪水が多発し、家や国を失った「環境難民」の立場で考えます。
・ジェンダーに関する議題を話すときは、キャリアと子育ての二択に苦しむ「母親」や、昨今の#MeTooと関係しますが、声をあげることも躊躇していた「セクハラの被害者」の立場で考えることもあります。
・人種問題に関する議題を話すときは、未だに職場等で不条理な差別で苦しむ「黒人」の立場で考えます。

これらはあくまで一例ですが、これらはある種、問題を「自分事」することの第一歩につながるのです。社会課題はなかなか自分事化しづらい。それがある種競技のおかげで身近になっていく。特に勝ちたいという、ゲーミフィケーションの効果によってより広く、深く社会課題を理解していく。このようなダイナミズムが働いているのです。

この仮説を先日行われたディベート教育国際研究会という、日本で唯一ディベート教育に特化している学会で発表した時、私は不安でした。どういう反応を受けるのか、という。そこで待っていたのは、多くの人の賛同と応援でした。

今後、即興型ディベートがサステナビリティ教育や研修で使われていくことがあるかもしれません。実はすでにディベートであれば、地方自治体の研修などに取り入れられたりしているようです。もちろん即興型ディベートは万能ではないですが、一ピースとして使用されるという流れが加速化することがあればいいなと思っています。

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