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原爆忌

毎年、広島と長崎の原爆忌がくるとよみがえる思い出があります。1990年 1月18日、当時長崎市長であった本島等氏が右翼団体幹部に銃撃され、全治1か月の重傷を負いました。動機は、本島氏の発言の一部「(昭和)天皇にも戦争責任はあると思う」が強調され報道された事によるものでした。

元々は以下の趣旨の発言であったとの事。

天皇陛下にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。私どももそれに従わなければならないと解釈している。

長崎市長銃撃事件『ウィキペディア(Wikipedia)』

当時私は中学生。一緒にニュースを見ていた祖母はこう言ったのです。

「陛下に畏れ多いこと言うたのやから、撃たれて当然や」

ぎょっとしました。祖母は思想的にがちがちの右という訳ではなかったと思います。大正末生まれで太洋戦争時は20歳そこそこ。天皇は神と信じ育ってきた世代です。昭和天皇崩御の際は泣いていました。祖母だけが特別なのではなく、当時、同じ考えのお年寄りが他にもいただろうと推察します。

すると、それを聞いた母(祖母の実娘)が言いました。

「本島さんは元から長崎の人やろ。自分の家族や大事な人が原爆で殺されたら、私もそう言いたくなるわ」

押しつけがましく自分の意見は絶対な性格で、決して仲が良かったとは言えない母。ですがこの時ばかりは、彼女が神々しく見えました。


すみません。続きを書こうとしたのですがまとめられず。
このままアップします。