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銀龍の尻尾

大阪ミナミ・道頓堀すぐそばの銀龍ラーメン道頓堀店。言わずとしれた人気観光グルメスポットである。二十四時間営業、ラーメンは一杯八百円から。一九八二年より営業するこの店はミナミ界隈で働く庶民の胃袋を昼ともなく夜ともなく支えてきたのである。さて秋晴れの正午、店舗前の路上にて僧侶十名による読経が行われていた。店の壁に立てかけられた長脚立には電動鋸を担いだ屈強な男が立ち、彼もまた神妙な面持ちで念仏を唱えている。

この異様な光景を取り巻く群衆、マスコミで路上はごった返し、上空にはヘリがバラバラ、道頓堀を見れば条件反射のごとく道頓堀に落ちる野次馬続出。警察の出動、交通規制が敷かれる騒ぎとなっていた。さかのぼること一か月前。銀龍ラーメン名物看板である巨大龍オブジェの尻尾部分が隣接地にはみ出しているとして、隣接地の所有者が同店に撤去を求めた訴訟の判決が大阪地裁で行われた。結果、尻尾の越境により土地の利用が妨げられるとして銀龍ラーメンは尻尾の撤去を余儀なくされたのであった。断尾式を催し近くの法善寺から坊主を十人も呼んだのはもちろん嫌味である。

読経が終わり、鐘が鳴った。それを合図に鋸の男が銀龍の尻尾をハッシと掴んだ。うい~ん。高速回転する鋸の歯が尻尾にあわや到達するその時、群衆を縫ってひとりの男が叫びながら進み出て来た。

「断尾式中止、中止-ッ。僕が隣の土地を買いますッ」

男は息をぜいぜいさせながら提げてきた紙袋をひらいた。そこには万札がぎっしり詰まっていた。

「ワッ紙袋で万札運ぶ人見たの、宮路社長以来やで」
「おっさん誰ですかいな」

隣接地の所有者が男に詰寄った。判決のため遅れに遅れていた工事にさっそく午後から入る予定で、断尾式の袖から待機していたのである。

「私はサトウといいます。汚い金ではありません。親戚が亡くなり思いがけず相続したのです。調べてくだすって構いません」

所有者は紙袋に手をつっこみランダムに数枚抜き取った。近くのUFJ銀行難波支店に部下を走らせ調べたところ、正真正銘本物の札であると判明した。

「持ち切れなかった分は家の金庫にあります。くだんの親戚が使っていた金庫を譲り受けました。タンス預金が趣味な人でして」
「まあ、キャッシュで五億払ってくれるならわしは別にええけども・・・けったいな人やな。素人さんに見えるがこの小っこい土地で店開きますのか?」

くだんの土地は奥にあるライバルラーメン店の増補予定地であった。

「はい、子供の頃からの夢だったアイスクリーム屋を開くんです」

サトウはアイスクリームが大好物なのだった。サトウの家も親戚に負けじ劣らじの金持ちで、小さい頃から食うに困ったことはなかった。仕事をせずともよい身分のサトウはふんだんに金を使って世界中を飛び回りあらゆるアイスクリームを食べまくった。フランスの薔薇百万本のエキスを絞ったアイスクリーム、ブラジルのピラニアのアイスクリーム・・・そうしてついに、サトウは結論づけた。日本のバニラアイスクリームがこの世で最もおいしいアイスクリームであると。

しかもバニラビーンズをこれでもかと散らばせた専門店のアイスでは駄目なのだ。明治エッセルスーパーカップのバニラとか、ポパイの食べ放題のソフトクリームとかマクドナルドのツイストのような安価で、全く舌に残らず、食べたそばから食べた記憶がサッパリ消える、そんな「前に出ない」アイスこそが本物のアイスクリームであることを。さらにサトウはアイスをただ食べるよりも格段とおいしくなる食べ方を発見した。おにぎりと交互に食べる。せんべいにはさんで食べる。味噌汁に浮かせて食べる。ようするに塩味と甘味のコラボである。マクドナルドのフライドポテトにツイストをディップする食べ方を編み出し動画で拡散させたのは実はサトウである。

さてサトウはこの夏、銀龍ラーメンの報道を知り、義憤した。龍の尻尾を切るだって!? 龍はいわずとしれた神の遣い。罰が当たりはしないか。それに、僕だったら。サトウは施工業者に指示した。

「尻尾はぜったいに切らないで残して!」

一か月後、サトウのアイスクリーム屋が銀龍ラーメンの隣にオープンした。屋号は「サトウのアイスクリーム屋」。これはシンプルイズベストを最上とするサトウの理念によって名付けられた。アイスクリームは一種類。バニラアイスのみである。サーティーワンみたいに商品名を覚える苦労をバイトにさせたくなかったのでバニラ一種類にした。コーンとカップが選べる。サトウとしてはシンプルにコーンだけにしたかったのだが、コーンを食べずに捨てる罰当たり不届き者がいるためゴミを増やすことになるがやむを得ずカップも発注したのだ。

材料は砂糖と卵と牛乳と生クリームだけのシンプルさ、バニラエッセンスさえも入っていない。価格は百円ポッキリ消費税無し。しかし卵などはそれぞれ上等なものを使っている。サトウとしてはふつうの砂糖、ふつうの卵などを使っているつもりなのだがなにせ幼少時より上等のものを口にしてきた身、どうしてもサトウのふつうは高級品となり紀の夢たまごなんかを使ってしまうのだった。それがためにアイスの原価は一つ千二百円。大赤字である、だが念願のアイスクリーム屋経営者になれたサトウにとっては関係ねぇなのだった。

アイスクリーム屋をラーメン屋の隣に開いたのはサトウの計算だった。つまりラーメン(しょっぱい)の後にアイス(甘い)を食う行為は双方に味覚の相乗効果をもたらすのである。フライドポテトにツイストディップだって永遠に食えるだろう? だから銀龍の裁判報道はサトウには願ったり叶ったりなのだった。現に、銀龍ラーメンで仕事帰りの締めのラーメンを食べた後サトウのアイスクリーム屋でアイスを食べた客が、再度銀龍ラーメンに戻り締めの締めのラーメンを注文する光景が幾度となく見られたのである。そこでサトウのアイスクリーム屋も銀龍ラーメンにあわせて二十四時間営業とした。

サトウのアイスクリーム屋は一階が店舗とレジ、二階が十席だけのイートインになっている。その二階の、銀龍ラーメンと壁を接する場所に神棚があり、壁をくりぬいて通した銀龍の尻尾が祀られている。龍の尻尾をちょんぎるなどとんでもない、罰当たりめが!「銀龍の尻尾を守った店」としてサトウのアイスクリーム屋は評判を呼び、おかげさまで連日賑わっている。売れば売るほど赤字が膨らんでゆくのだが遺産はまだたんまりある。気楽な独り身、生涯で使い切ってしまえばよかろう。神棚の前には賽銭箱があり、客が十円なり五円なり一円なりを落としてくれる。これを着服せず、サトウはちゃんと慈善団体に寄付しているのだ。

さて、銀龍の尻尾をモチーフに何か商品が作れないか。サトウはまた閃いた。緑色の飴を龍の尻尾の形にかたどり、アイスのトッピングに新たに加えた。トッピングは他にも「銀龍の鱗」としてコーンフレークや「銀龍の目」としてアラザンやドンパチもある。いずれも無料のかけ放題だ。この頃になると銀龍ラーメンのライバル店である奥のラーメン店からも客が流れて来るようになった。元々この場所で増補予定だった店である。やはり皆、しょっぱいものの後は甘いものが欲しくなるものらしい。

サトウのアイスクリーム屋の銀龍の尻尾の神棚は、ここに詣でると必ず復縁が叶う、百パーセント無理の学校に必ず合格する、不治の病が治癒すると噂を呼んだ。アイスの売り上げは大赤字のはずなのにサトウのアイスクリーム屋の純利益は一年後、なぜかプラスに転じた。切らずに残した龍神の御加護に違いない。銀龍ラーメンの後にサトウのアイスクリーム、あるいはサトウのアイスクリームの後に銀龍ラーメンの流れは、いまやミナミ観光の定番となっている。

銀龍ラーメンのアプリ登録で銀龍ラーメン八百円+サトウのアイスクリーム百円=九百円が八百円で楽しめる割引クーポンも好評である(サトウはアプリとか苦手なので全部銀龍ラーメンに任せている)。サトウとしては五百円ポッキリにしたかったのだが銀龍ラーメンがウンと言わなかった。まあ、そこはしかたない。ふつうの企業は利益を考えねばならないのだから。

サトウは思う。何でもすぐに権利だ訴訟だ潰すといわずにお互いのよいところを認めあい、尊重するよう努めれば、双方に益がもたらされるものなのに。そのようにサトウは言いたい。


※以下のニュースから急遽書いたものです。表題画像のは別店舗。