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コメント削除について

好きなnoterさんがnoteを辞められるといいます。詩もエッセイも静かでやさしい、じんわり沁みる作風で、いつも楽しみにしていました。気が向いたらまた戻ってこられるよう願っています。

その方が、コメントの難しさに言及されていて(詳細は存じ上げません)、自分にも苦い思い出があります。

とある方に、慰めるつもりで、よかれと思ってしたコメントが余計なお世話だったようで削除されてしまったのです。振り返るに、確かに余計なお世話だったとは思います。何もせず、でよかったのでしょう。

あー、「慰める」が既に余計なお世話かもですね(笑)。

コメント削除等、この類の事をされるとどうなるかというと、他の方のところにもなかなかコメント出来なくなるんですね。また同じ事されたらどうしよう、と怖くなって。ちなみに私がコメ欄閉じているのはnote始めた時からで、これが原因ではありません。

くだんの方は私以外にもコメント削除の基準がたいへん厳しくて、たまたま目にした場面ですが、

いつもと違う少し重めの記事を投稿した

いつもコメントされている常連の方が、(これは私の想像ですが)コメントしたいけど、内容が重くてどう書けばいいか…と悩み、ちょっと軽めのコメントをされた

自分の記事をきちんと読んでいないと判断し、コメント削除した


という場面を見たことがありました。
私は常連の方の、そのコメントも拝見しましたが、

フツーやん。これを削除するんか!?


と、大いに首を捻ってしまいました。同時に自分のコメを削除された時の事を思い出し、複雑な気分に…😑

なぜこんな蒸し返すような事を書くかといいますと、読者の方も日々コメント貰う中で、中には内容にそぐわない、的外れなコメントが来ることも、たまにあるかと思うんです。しかし、それが嫌がらせ・荒し目的なのか、ただの的外れなのかは、大体わかると思うんです。

ただの的外れの場合は、大人の対応で、どうか笑って許してあげてくださいませ<(_ _*)>。コメントする側は、すごい勇気を絞って送信ボタンを押しているかもしれません。【追記。くだんの方も、もし読まれていましたら、どうか削除基準を緩めてあげてくださいませ。】

こうは述べましたが、私は上で述べた行為が嫌だなと思っただけで、くだんの方を嫌いになった訳ではありません。良いところを見ていますから。たまにスキをいただいたら記事拝読していますし。

罪を憎んで人を憎まず。お、カッコイイですねえ(笑)。