ひめごと #SS
お盆に帰ってきたのは姉ひとりだった。
「あのさ。離婚するわ」
私も母も父も唖然として姉を見つめた。姉と義兄は会社の先輩・後輩の間柄で、二年の交際を経て結婚した。なんでもズケズケ言って、思いついたら即行動のわがままな姉とは対照的な、物静かな人。
こんなじゃじゃ馬の姉をもらってくれた奇特な人なのだ。
何がいけないのよ?
「子供をさ、やっぱり欲しいのよ、弘之。一緒に歩いてててさ、子供がいるじゃん。その子を見てる彼さ、ものすごーく優しい表情なのよね。ああ、本当は欲しいんだなって」
言葉を切ると、自嘲気味にわらった。
「でも私、もう四十一だし。弘之だってもう四十三で若くないし。男性の立場からしても、あんまり年いったら子供できにくくなるよねえ、お父さん」
答えにくいのか、父はだまっている。
「私と別れたら、別の女性との子供が持てるでしょ? そう言ったら怒っちゃって。だけど私、同情されて一緒に居られるのって真っ平ごめんだわ。本音じゃないといやなの」
子供好きな姉と義兄は早いうちから妊活に励んでいた。しかし三年経っても兆しがない。診て貰うと、姉の卵管が詰まっており、排卵されにくい体質であることがわかった。
卵管の詰まりを広げる薬を飲み、不妊治療を続けた。十二年。その間、二度妊娠した。だが成長の途中で心音がとまり、胎児は死んだ。
「子供がいなくても、別にいいと思ってます。英梨香とふたりでじゅうぶん楽しいですから」
今年の正月の帰省。治療の話題になった際、義兄は私たちの前でそう言った。私なら。 ……あの夜がよみがえる。顔が火照った。
車で一時間の距離にある姉夫婦宅に、車をとばしてよく遊びに行った。
「にいさん、本とCDありがとう。私、ビリー・ジョエルだったらピアノ・マンが一番好きだなあ」
「佳純ちゃんも? うんうん、結局そうなんだ。これ聴くと、この世界は悪くない、何にでもなれるぜって気がするんだな。サビ前のラ~ララ~が何ともいえず好きでね」
と、口ずさんだ。私もそっと、歌い添えた。
義兄の影響で読書や音楽を聴く回数が増えた。義兄が好きだという作品を買いあさった。姉じゃなくて、こんな優しいお兄さんがいたらよかったのにな。いつしか私は、姉ではなく義兄に会いに行っていた。
正月三日の夜。急な法事があり、両親が出かけた。姉も同窓会に出かけ、いない。私と義兄だけで夕食の支度にかかった。
「おせちはもう飽きたよね? 私、本当は冷たい料理ってあんまり好きじゃないの」
「実は僕も。温かくないとおいしく思えないんだ。だからコンビニのおにぎりも駄目で」
「ええ、そうなの? 私たち、気が合うね!」
ふたりで台所に立ち、カレーを作った。料理もする義兄は器用にじゃがいもの皮を剥く。
「僕は素朴なカレーが好きなんだ。いかにもおふくろが作るみたいなやつ」
「うんうん、私も! じゃがいもや人参がごろごろ入ったカレーよね」
「色んな香辛料の入ったインドカレーみたいなのはどうもね。英梨香はそういうのに凝るんだけど」
「お姉ちゃんのことだから、無理やり食べさせられてるんでしょ? かわいそう」
両親と姉から相次いで電話がきた。いずれも今日は帰れず、ホテルに泊まるという。今夜、義兄とふたりきり。
父の高価なワインを開けた。酔いに任せて、ここぞとばかり姉の悪口を言い放った。お姉ちゃんって酷いのよ。私、小さい時からいじめられてきたの。ほら、女王様でしょう? けんかして、言い返したら私をドブに突き落としたのよ。
時に大笑いし、時ににこにこと聞いてくれる義兄と向かいあっていると、どんどん体が熱くなってゆく。私はさらに大胆になった。
「私ならにいさんの子供、産めるのに」
とたんに義兄の顔がかたくなった。しまったと思った瞬間、元の柔和な彼に戻った。
「なあんてね、冗談よ、冗談!」
おどけながら、カレーのおかわりをするふりをして台所へ行った。そうしないと涙がこぼれそうだったから。
夜、姉とテレビを見ていると電話が鳴った。義兄だった。
「英梨香をお願いします」
姉がスマホに出ないので固定電話にかけてきたらしかった。姉を呼んだ。義兄からと聞いて表情をかたくしたが、だまって受話器を受け取った。
小声で長いこと話していた。姉が電話台の下にしゃがみこんだ。泣いているようにみえた。電話を切ると、彼女はスマホを持って玄関を出て行った。