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ノブレス・オブリージュ

サトウのアイスクリーム屋がオープンして一ヶ月が経った。おかげさまで連日大繁盛している。

濃厚でクリーミーすぎる。100円でこのクオリティはありえない!

ミナミのアイス屋潰す気w

サトウ神!

それもそのはず、原価千二百円のものを百円ポッキリで売ってるのだから。大赤字だが遺産はまだふんだんにあるので運営資金には困らない、しかしサトウは悩んでいた。というのもサトウが目指していたのは「マクドナルドのツイストのように食べたそばから食べた記憶がサッパリ消える、前に出ない、本物のアイスクリーム」なのだから。

銀龍ラーメンの芳醇なスープの味を邪魔しない。刺身と一緒に食べても刺身の味を邪魔しない。濃厚でクリーミーすぎる今の味では六甲牧場のソフトクリームのようで、サトウの目指すアイスクリームと大きくかけ離れてしまっている。これは、自分の言葉に体温は乗っているけれども体重が乗っていないことになりはしないか。体温と体重の両方が乗っていなければ、真の言葉とは言えない。

濃厚でクリーミーすぎるのも、原価千二百円になるのも、紀の夢たまごや中洞牧場牛乳や南ヶ丘牧場のガーンジィゴールデンミルクを使っているから当たり前なのだ。これらはサトウ家で普段口にしている食品である。サトウさんが開業したアイスクリーム屋ではうちの使ってくれないんですかとなるのは彼らとの関係を切るに等しく、そんな大人げないことをしてはいけない分別が二十年無職のサトウにもあった。

だがしかし。自分の理想を実現するには、いまここで改革せねばならない。銀龍ラーメンは変えないでいいよと言ってくれるけれども(サトウのアイスクリーム屋がオープンしてから売り上げが十倍になったらしい)、理想のアイスクリームを追及するためには古い体制を断ち切らねばならないのだ。サトウは真剣に考えた。紀の夢たまごらは自宅で普段使いを続けるとして、サトウのアイスクリームに使う原料を見直す決断をした。まず、卵。庶民が口にしているふつうの卵に切り替えようとした矢先、鳥インフルエンザの流行にぶち当たった。鳥の殺処分により卵自体が入手できない。

金は幾らでも出すからと交渉したが(金に困ったことのないサトウはこういったセリフをナチュラルに出してしまう)、得意先に納める分を確保したいとの返事。そこでサトウはキユーピーさんと同じくイフジ産業からブラジルの卵液を買い付ける決定を下した。ところがこれにバイトから反対意見が出た。「社長、私は反対です。ブラジルの卵液使うならキユーピーのマヨネーズ買わないとか言われてますよ~」。

地球の裏側からの長期輸送に耐えるため卵液に保存料やらいろいろ入ってるのかもしれないが、普段から添加物てんこもりの菓子パンやら食ってる癖に何をいまさらだ。サトウは世界中を旅したので添加物どころか蝿のむらがったパンや肉なんかなんぼでも食ってきたのだ。ここは社長の権力を発揮、サトウは卵液を強行した。ブラジルの卵液は輸送費も含まれるためふつうの業務用卵の一.五倍するのだが紀の夢たまごに比べればずいぶん安い。おかげで原価は八百円にまで下がった。

次に牛乳。ある日サトウがローソンにいくと普段百三十円のホットミルクが半額の六十五円で売られていた。コロナで休校になり牛乳が余っている。廃棄を防ごうと「牛乳を飲みましょうキャンペーン」を実施しているのだった。サトウはおおいに感動した。そう、彼は食べ物を粗末にする輩が許せないのだ。なんせ世界中を旅したサトウなのだから。東欧で僕は十秒ルールどころか十日ルールでも平気だったよ。寒い時期だったのでよかったのかもしれないが。日本は消費期限に厳しすぎる。ちょっと過ぎるともう廃棄、弁当など消費期限の数時間前には廃棄してしまう。

さっき二十年無職と書いたがサトウは実は短期バイトをしたことがあった。社会勉強ということで父親にあてがわれたのだ。サトウに与えられたのは「道に歩いてる人を数える仕事」だった。道路の端っこで椅子に座り東から西に歩く、走る、自転車に乗る人間を数えて一時間ごとに正の字を足していく仕事だ(車はなぜか除外)。反対側にやはり一人座っていて、西から東へゆく人間を数えてゆく。これは二日だけの短期バイトだった。ただ座って数えるだけなのに時給千二百円もあった。でも実際にやってみると意外と大変であった。誰も来ないと暇なのでぼうっとしすぎて、そんな時に自転車が高速で通り過ぎたりする。いっときも気が抜けないし埃と排気ガスでマスク必死だし夏だったので暑いし結構しんどかったのだ。もっともこの仕事が何の役に立つのかはサッパリわからなかった。

正午、休憩になりサトウが事務所で弁当を食べていると朝に仕事の説明をした女性が扉を開けて入ってきた。まんじゅうの箱を持っていて「おつかれさまです。よろしければどうぞ」と端から一人づつに配っている。サトウもありがたくひとついただいた。むしゃむしゃ食べていると隣のテーブルの女性がひえッと叫んだ。「何よこれ消費期限が過ぎてるじゃない!」。サトウは剝ぎ取ったビニールを見た、そこには確かに一日前の日付が表示されていた。まんじゅうを配った彼女はうっかりしていたのだろう。

しかしそれは栗まんじゅうで一日経ったところで特に影響があると思われない。「人にあげるのに消費期限を確認しないなんて失礼すぎるわ!」とぷりぷり怒って女性はまんじゅうをテーブルに放っぽったまま事務所を出て行ってしまった。サトウは彼女に憤慨した。人から物をもらっておいてその傲慢な態度はなんだ!一日過ぎたくらいでなんだ!これがクリームまんじゅうであっても一日くらいで別に傷んだりしないだろう。サトウは女性の残したまんじゅうを遠慮なく頂戴し、むしゃむしゃ食べた。

ローソンのホットミルクを見てサトウはそんな思い出を思い出した。サトウはホットミルクを十杯買って飲んだ。そうか牛乳が余ってるのか、だったらうちでこれを積極的に利用しよう。ノブレス・オブリージュという言葉がある。「富裕層、有名人、権力者、高学歴者は社会の模範となるように振る舞うべきだ」という考えだ。サトウは三流大出なので高学歴者にはあたらない。社長なので権力者といえるかもしれないが社会人としてはだいぶ先輩のバイトが対等の口を聞いてくるのでたぶん権力者と思われてない。富裕層か、サトウは二十年も無職だったので納税をしたことがない。だが親の仕事と遺産のおかげで生きてこられた。自分でそう思ったことはないけれど「富裕層」には違いない。それからアイスクリーム屋を始めた最近では「サトウ神」と言われ信者らしい人間がXで勝手に賞賛し拡散してくれるのでちょっとした有名人かもしれない。

サトウはノブレス・オブリージュを実行することにした。つまり全国の牛乳が余って困っている酪農業者から牛乳と生クリームを買い付け、アイスの原料にしたのだ。卵液に反対したバイトもこれには賛同してくれた。砂糖は鴻商店の無垢の星濤をやめ昨今体に悪いと言われ嫌われているスプーン印の上砂糖である。体に悪いだって! 普段から添加物いっぱいの食品食ってるからに笑わせら。この頃になると鳥インフルエンザが収束し卵の供給が戻ったので、一般に流通している業務用卵を使うことにした。

原価はこうして百円にまで下がった。アイス単価ととんとんである。利益ゼロ。光熱費、バイト代を考慮するとサトウのアイスクリーム屋の赤字経営は変わらない。でも、いいのだ。金は無尽蔵にあるし、ノブレス・オブリージュなのだから。

当然、味ががくんと落ちたと方々から文句が出た。そこで「サトウのアイスクリーム屋はフードロス推進の一環としてこのたび原料の見直しを図ることといたしました。サトウのアイスクリーム屋は酪農業者を応援します」の張り紙をしX(バイトにアカウントを作ってもらい、管理させている)にも流したところ、大賞賛を浴びた。コロナ禍が過ぎても牛乳が飲まれない傾向が続いていており牛乳の廃棄処分は年々酪農家を悩ませているのだ。

サトウのアイスクリーム屋の取り組みは素晴らしい!

味は落ちたけど理由がはっきりしているので問題ないです。落ちたといっても100円のクオリティには思えません。これからも変わらずサトウのアイスクリームを食べ続けます!

サトウ神!

ちゃんと理由を説明すれば多くの人が納得してくれるのだ。

金持ちのボンボンのお花畑め、寝言は寝てから言えといわれるかもしれないが、それでも。この国の未来はそんなに悪くないとサトウは思う。