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光る君へ #書く人視点での感想

藤原賢子が産まれ話も後半へ。自分の子じゃないのに妻・まひろへの宣孝の「一緒に育てよう。それでよいではないか」。左大臣(妻の不倫相手の道長)に引き立てられる計算高さが確かにあるかもしれないけど、これを言える宣孝の懐の深さと佐々木蔵之介さんの表情。涙腺崩壊しました。

さて、まひろと同じく・・・とはいっても私は創作の端っこの端っこにいる人間ですが、「物語を書く」立場から見て、これまでの萌えた場面を挙げてみました。

1.少女時代のまひろ、自分はやんごとなきお姫さまであると三郎(後の道長)に嘘をつく

子供の頃から空想、創作が好きだった。現代なららくがき帳に鉛筆でマンガ描いて、りぼんとなかよしはもちろんジャンプもサンデーも、それでは飽き足らず小学生からネカフェに通って青年コミック読みふけっていたタイプかもしれません。今の小学生はマンガも小説もスマホやパソコンで読んで書くのかな。AIも駆使して。

2.まひろ、和歌の代筆のやり直しに「追加の代金は要らぬ」

こういうのは「どういう相手への和歌なのか」「相手の好みはこうこう」と条件を細かく伝えていなかった客に落ち度がある。現代でもあるあるトラブルです。だから追加料金は要らないはずなんだけど、まひろのプライドが許さない。客の気に召さぬ作品で金をとるわけにはいかない。これには色々考え方はあると思いますけど、まひろの一徹さ、好きです。

3.まひろ、自分の書いた脚本で観客が楽しんでるのを見て激キュン(∩´∀`)∩

直秀の散楽のために脚本を書いて、演じてもらう場面。客の反応をみて、と~ってもいい表情するんですよね。そうだよね、自分が一生懸命書いた話だもん。嬉しいよね。わかる、わかるよ! まひろに完全に大石静が乗り移っていました。

4.まひろ、道長からのラブレターが古今和歌集からの引用で(´•ω•`)

最初の恋文をひらいたとき「古今和歌集。なんで」と、まひろのひとりごとが流れます。俵万智さんも仰っていましたが自作を書いてきてくれたと、まひろはきっと思った。ところが有名歌人の和歌の引用。これは、あんまし嬉しくない。現在でも愛を告げるのにそれっぽい詩を引用する人いますけど、なんかまどろっこしい。かっこつけずに自分の言葉を書いてよと、たいていの女は思ってます。どんなにヘタクソでもその人の生の言葉を聞きたいのです。本人の言葉だから気持ちの乗り方が違う。だからちょっと意地悪して漢詩で返した。あなたが自分の言葉で書いてくれないなら、私だってそうするわよ。それも百パーセントの気持ちはまだ出してあげないから。ゆえに和歌じゃなくて温感低めの漢詩。まあでも道長からすると相手が賢い女性なので、下手な和歌を詠んでガッカリさせたくない心理があったのでしょう。文を交わすごとに古今和歌集の歌番号が後になっていってるとの俵さんの推理はお見事。確かに、道長はこうやって高まる気持ちを演出したのかもしれませんね。

5.まひろ、為時の赴任に伴い越前へ行く

今でいったら父親が東京⇒福井へ転勤みたいなものでしょうか。お父さんの秘書的な立場で仕事として行く、という意味合いもあったかもしれませんが、都会から離れたくないし、寒いし、宋人は怖いしで、自分は京に残ることもできたと思うんですね。でも付いていったのは、たぶん好奇心なのでしょう。しんどいなあと思っても何でも体験してみる。それがよい作品を書く栄養になると、まひろは予感していたのかも。

6.まひろ、口紅よりも本や墨のプレゼントが嬉しい

まひろは女性キャラの中でも「美人」「かわいい」部類に入っているのか?
 ずっと疑問に思っていました。そりゃ演じるのが吉高由里子なので見てる私は美人と思って見てますが、このドラマにおいては、という意味で。道兼に「麗しいが無愛想」と言われてましたが、部下の娘なのでお愛想で美人くらい言いそうだし、道長の友達たちからも「地味な女」としか評されてなかったので。しかし道綱に一目惚れされてたので、あー、やっぱりかわいいのだろうなあと、なんとなく理解しました。夫からのお土産。かわいいオタクが化粧品よりも執筆グッズに萌えるさまに私も萌えました。


7.ききょうが枕草子を書いた理由は「大好きな定子に楽しんで元気になってもらいたいから」

悲しみに沈んでいる人を元気づけるのに、慰めの言葉よりも、おもしろい話をしてしこたま笑ってもらうのが効くのではないか。なんかわかります。枕草子の笑える段はたくさんありますがこれはほんの一部。千年越えて作者の肉声を聞いてる気分になります。「滅多にないもの。舅に褒められる婿と、姑にかわいがられるお嫁さん。」「イライラするもの。不細工な赤ちゃんを大事に可愛がって、その子の声真似などをして、しゃべったことを人に話している母親。」

もちろんこんな話ばかりじゃなくて、四季の移ろいをつづったあの冒頭「春はあけぼの~」・・・春は桜、じゃないんですよね。これってもしかして当時としてはかなり個性的な感性だったのではないでしょうか?
独特の自然描写と毒舌と笑える話と、色んな味がたのしめてまったく飽きないエッセイ集。これが枕草子、清少納言の魅力だと思うんですね。この人はこういう感じのものを書くと固定されてないから何が出てくるかわからなくてわくわくする。音楽でいったらサザンのアルバムみたいなものかな。ちょっと違う?



他もっとたくさんあるんですけど、とりあえず思いついたのを書いてみました。見ていて思うのは、源氏物語にはおそらく紫式部の体験、見聞きした内容が少なからず取り込まれているのだろうなあ、ということ。社交的だった夫・宣孝からきいた面白い話も多数入っているかもしれない。なぜって物語を書くときまったくの一から紡ぐのは難しくって、自分の経験を織り交ぜがちだから。大石静もだから、源氏物語の、現代の私たちが親しんでいるエピソードを逆算のように散りばめて、この壮大な物語が生まれた背景に納得感を持たせている。

私、大石静は少女時代から源氏物語が大好きで、ぜったいドラマに書くんだと決意していたものと思い込んでいました。ところがそうではなかった。

本人は石田三成で大河ドラマを書きたくてNHKにリクエストもしていたのが、紫式部でとオファーが来たのだそうな。幾つもヒット作があり、NHKに貢献度の高い大石静でもリクエストすぐOKじゃあないのか!? と驚きました。しかしそこから平安時代を調べて源氏物語織り込んだこんな面白いドラマを書けるのは、プロ中のプロだなあと溜息します。ちなみに私としては石田三成より大谷吉継で書いて欲しいです。


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