徳山 明

東京都文京区千駄木で働く不動産屋さんの代表取締役。個人の志は『今の小さい子供に「将来不…

徳山 明

東京都文京区千駄木で働く不動産屋さんの代表取締役。個人の志は『今の小さい子供に「将来不動産屋さんになりたい」と言って頂ける仕事や業界にする』こと。現在谷中銀座商店Things.YANAKAを運営中。包丁研ぎ、台湾茶、古着屋が入居中。

最近の記事

金持ちより人持ち

その時一瞬の出会いが その後の一生を支える時がある。 むしろそればかりだと 歳を取って思う。 お金持ちより人持ちになりなさい 千駄木で誰も知り合いがいなく 不動産のふの字も知らず 親の事業を継いで、 なぜか千駄木で易をやっているという方から 学んだ言葉です。 なので会社経営をして17年間 何か呼ばれればどこへも行き、 自分が必要と思えばどこまでも 行きました。 人のご縁はお金では買えない。 時間をかけて繋げるもの。 時間もお金では買えない。 そして勝手に落ちて

    • 千駄木で働き始めたことを振り返る

      新型コロナウイルスはなんとなく分かってはいたけれど、やっぱり1年以上かかる長丁場で、これは過去のリーマンションや東日本大震災の時などのインパクトと比べると期間が長い分しんどい。 千駄木で働き始めて社長になる前から数えると15年くらい経っているけど、当時は千駄木も良く分からず、父親がやっていた会社の不動産支店が暗くてじめっとした街という幼少のイメージしかなかった。 誰も知り合いがいなくて、知らない不動産の仕事を誰に相談できる訳もなく、自分で考えて過ごしてきた。 それまで不

      • 僕が街の不動産屋さんでいる理由

        街の不動産屋さんになって15年が経っている。 元々大きな会社で働くことは苦手だったが、「街の」という言葉には時間をかけていきたいと思っていた。 不動産屋さんという仕事も歴史は古く江戸時代の長屋のころからいた大家さんが今の不動産屋さんに近い仕事をしていた。だから飽きっぽい自分にはあっていると30歳でこの仕事を始めた時に思った。 仕事とは働く規模の大きさや知名度、むずかしさ、希少さなど、憧れや働き甲斐で色々と基準や好みがあると思うけれど、今の仕事になる前には新卒で入った会社

        • 社会人になり20年が過ぎた

          今日で社会に出て20年経った。 新卒で入った会社は技術派遣の会社で1年半で辞めた。 学業は大学院まで行った。 大学院の学費は自分で出した。奨学金とバイト代でギリギリだった。卒業設計もギリギリだった。24時間働いて勉強したけどやり切った。 高校から大学院まで9年間良く勉強した。 この9年の間にバブルが弾け建築の仕事はあまりなかった。更に大学院卒。 なんとか入った会社は当時流行っていたアウトソースという名の派遣会社だった。 その会社では最初から干された。自分の机がまず

        金持ちより人持ち

          街の不動産屋さんの役目

          建築法規の神様みたいな本。 以下用語の規定の初期まで読んだ感想↓ 法令独学復習 日本の建築基準法は火災との戦いなので火災に対する規定が早々に出てくるのかな。 建物そのものに対する考えと、構造に対する考えと、材料に対する考えがそれぞれあるので、何を言っているのか脳みそで整理する。 宅建業だと既に出来ているものを扱うのでここまで考えない。もうあるから平気でしょ?って感覚。 でも古いものを扱う遊休不動産の利活用だと古い基準で作られてるから現代に使えるように改修するには現代の考え

          街の不動産屋さんの役目

          事業の始まりと終わり

          新型コロナウイルスの世界的パンデミックにより事業を辞める経営者がいる。 会社を畳む、清算というイメージは悪いかもしれないが、かたや勇気ある決断と称賛されることもある。 正解はその直後には分かるものでないが、不動産屋さんの目線で大事なことは「始めた時に何年くらい続けるつもりだったか?」だと思う。 この質問はこれから事業をしようとする方や普通にお部屋を探してる方にも聞いているのだが、意外にも未来の年数を答えられる人は少ない。 人はよい良いもの、より優れたものを決めるのは得

          事業の始まりと終わり

          改修

          千駄木駅エレベーター改札横の建物を 改修しています。 こちらを一階から三階まで有効活用します。 使われなくなった形から、 現代での使い方に合わせてリノベーション。 色々な方の手をお借りします。 感謝

          不動産の使い方の意識について

          使われなくなった不動産の利用、活用を この数年はやってます。 一番は谷中銀座商店街でやった案件。 一つの建物に3つの小さなお店をいれました。 二階も使うことにより収益を上げてます。 この建物の所有者とは普段から仲もよく、 地域を良くしたいという気持ちも一緒でした。 そのような気持ちが今後は大事だと思います。 今までは何となく不動産を世に出せば、 なんとなく誰かが使うだろうという使い方でした。 大家業もそれで長年きてしまったので、 使い方を前もって想定することに慣

          不動産の使い方の意識について

          リノベーション

          現在、千駄木駅のエレベーター改札の すぐ隣の三階建て戸建ての改修をしている。 元々カフェが一階に入っていた建物だが、 退店された後を引き継ぐ。 一階にはまた飲食店を入れ二階には小さいお店を2つ入れて三店舗が入る複合にする。 同じ方法で谷中銀座にも包丁研ぎなどが入るお店を作ったがそこの姉妹プロジェクトですね。 千駄木とかは家賃が高いので若い方がなかなか起業しにくいので最近はみんな小分けに考えてます。 現場が動き始めると色々楽しいですね。 それでは。

          リノベーション

          別荘地

          noteを読む機会が増えそうなので、 少しこれから書く頻度を増やそうと思う。 SNSはアメブロ、ツイッター、フェイスブック、インスタとそれぞれまだやっていて、 全部違うことを書いている。 5個目のセルフメディアか。忙しいなぁ。 でも読み手もまた新しいだろうから、 これはこれで気軽に書ける。 昨日、不動産の仕事で箱根まで行った。 売却できないかと言う相談だったが、 現地に行ったら山と崖。 ロケーションは良かったけど、 ちと厳しいかと思う。 帰りの高速パーキングが混んでる

          2019年今年の繁忙期

          毎年1月から3月は賃貸の繁忙期と言われますが、何が繁忙期かと年々様子が変っていると思います。 元々はやはり4月の新生活を前に居住を変えることが繁忙期でしたが、今は本当にその必要に迫られて引っ越す人は学生以外には少なくなっているように13年間の不動産屋さん人生では肌で感じます。 会社も転勤を必要とする会社がそんなに多くなく、「働き方改革」や「職住近接」というように、昭和時代のように猛烈に働くという文化はやはり今後もないのではと思います。 そんな時代背景を元にしながらもやは

          2019年今年の繁忙期

          不動産会社の副収入について

          昨年末にお部屋の消臭スプレーを爆発させて大事故を起こしたアパマンの賠償額が10億円との報道があった。ひとつ何千円のスプレーで10億円。まことに馬鹿げたことである。 賃貸契約を結ぶのにこういった「副収入」を強制でセットさせるのは個人的にはとても反対。 近いもので「保証会社」も同じようなもので、あれは借主に本当に身寄りがいない場合は必要になるがそうでない場合は借主負担で加入させるのもおかしい。そしてこれも「副収入」であり家賃保証を契約させると不動産会社に紹介料が入る。(そもそ

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          不動産業界について

          色々とSNSを使っているがnoteのおきどころが定まらずしばらく様子を見ていた。 ブログ、ツイッター、フェイスブック、インスタとやっているのでどうしたものかと思ったが、noteは備忘録という感じで運用したいと思う。 今回のタイトルは不動産業界について。 今の千駄木という街の不動産屋さんになって13年経つが、その間にはファンドバブル、リーマンショック、デフレ、東日本大震災、オリンピックの決定など、景気の上り下りを何回か経験をしてきた。 不動産はそのタイミングで全く違う仕

          不動産業界について

          あと少し

          不動産会社を経営してきて12年目になる。 最初の2年~3年は毎日を過ごすので 手いっぱいだった。 それから年数が流れ、できることが増えていきたが、いまだに満足できる状態ではない。 ただそんな状態のことを「あと少し」ということを過去に教わったことがある。 苦しい、辛いは「できる」の直前。だいたいはどこでやめちゃうんだけど、やめずに「掘り」続けることでいつかそのトンネルは貫通する。 今すぐ成果や満足がなくても諦めずに続けること。そしていつかは今の現状が突破できるように