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1年間運用していたTwitterをやめた話

僕は約1年前くらいから、Twitterを運用していた。運用といっても、別にお金を稼ぐためだとか集客のためにやっていたわけではない。ただただ自分のアウトプットのためと、独学のモチベーションを保つためにやっていた。
始めたきっかけは自分がプログラミングの独学のモチベーションの保ち方に悩んでいた時に、勧められたからである。

実際やってみると、いいねをもらえたり、フォロワーが増えるのが嬉しくて、意外と続いていた。自分が勉強したことのアウトプットの場としても、すごく良かった。インターンを始めてからも、1日の学びをツイートしたりすることで、毎日振り返りができていた。このおかげで、自分の成長はだいぶ加速されていたと思う。また、いわゆるSNSマーケティングの観点がもてたことも、Twitterをやって良かったメリットの1つだと思う。

ここまで、Twitterをやって良かったことを並べてきた。しかし、今回の本題は、そのTwitterを現状ほぼやめてしまったことである。今回辞めたのには、理由がある。それは、自分の元に届いた誹謗中傷である。ここでは、分かりやすく誹謗中傷としたが、別に人格を否定されるほどの悪口を書かれたわけではない。いわゆる、アンチというものだ。これは、僕がTwitterの運用を始めてから半年経ったぐらいから、ちらほら見られるようになった。具体的には、僕のアウトプットが間違っていた時に、「そんなことも知らないのか」といったコメントが寄せられたり、ひどい時には引用リツイートで”晒される”なんてこともあった。こういったアンチは多少は仕方ないのかもしれないし、アンチコメントが付くほどの影響力を持てたとも捉えられるのかもしれない。でも、僕自身はそこまで達観できるほど強くもなく、少なからずストレスには感じてしまっていた。そして、ふとこんなことに自分のエネルギーが取られてしまうのがもったいないと感じてしまい、次第にほとんどツイートしないようになってしまった。

僕は別にアンチは良くないとかそういうことを言うつもりはない。ただ、今回のことで何かをやり抜くためには、それなりの信念だったり覚悟みたいなものが必要なのだとは感じた。しかし、その一方で自分がストレスに感じるのであれば逃げるという選択肢を持つことも大事だとも思った。実際、今回僕はストレスを感じながらもTwitterを続けるのではなく、逃げる道を選んだ。おかげで、変にストレスを感じることもなくなったし、その分の時間をほかのことに回せるようにもなり、生産性は上がったと思う。それにアウトプットの場はTwitterだけではないし、他にも色んな方法がある。だからTwitterにこだわる必要は全然なかったのだと、やめてから気づいた。

人はなぜか、今自分がやっていることをやめてしまうことには、抵抗がある。でも、大体の場合方法は一つだけではないし、時にはやめるという判断のほうが正しいときだってある。本当に自分がしんどい時に潰れてしまわないためにも、”逃げる”という選択肢を自分の中に持っておくことは結構大事なのかもしれない。

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