δ関数とインスタ映え

 みなさんは Instagram は好きですか。私は好きです。少なく見積もっても1秒に1回は見ています。

 今やインスタはSNSの代名詞とも言えるような確固たる地位に君臨していますが、もちろんSNSにも流行り廃りがあって、その状況は常に流動的でした。特に私と同じ世代の方々は、多種多様なインターネット文化・サイト・SNSの盛衰とともに青春時代を過ごしてきていますので、そのあたりの流行の感覚というのがよく分かっていただけるかと思います。
 今回は、私が感じたInstagramのすごさについて共有してみたいと思います。


 私が中学2〜3年くらいの頃でした。スマホがじわじわと普及しはじめ、スマホの「革命感」に誰もが驚いていました。スマホといえば、従来のケータイの機能に加えて、インターネットと様々なアプリです。そんな中、間もなくアプリのひとつLINEがこれまたじわじわと普及しはじめます。なんと見やすく・使いやすいデザインで気軽にメッセージや電話ができるのだと、私もとんでもなく感動した覚えがあります。
 ちなみにあの頃は人々の中に「LINEする派」と「しない派」がいて、なんとなくまだ社会に受容されていない感もありました。そのため、連絡はメール・(スマホの)電話が基本で、LINEはあくまでゲームアプリの延長線上で、「遊び」といった扱いでした。今の中高生は信じられないでしょうけど。(まずそもそも誰でもスマホを持っている状況ではありませんでした。)

 そして同じ頃、Twitterが流行しはじめました。日々の出来事や思ったことをつぶやくことができ、写真や動画も一緒にアップロードすることができます。そして、友達のつぶやきにリプライをすることもできます。さらには、芸能人なんかのつぶやきも見ることができるし、場合によってはリプライをしたら返事が返ってきたりすることもあります。まさに夢のような瞬間です。TwitterはSNSとして、遊びとして非常に面白く、とてもハマっていました。
 ちなみにLINEにもタイムライン機能があって、Twitterのような感じで当初は楽しく使っていましたが、Twitterの流行にたちまち取って代わられました。

 

 そして私が高校1〜2年くらいの時のことです。ある友達と何気なく喋っている中で、その友達が「最近インスタにハマってるんだよね。止まらない。」と話しました。私は、「インスタって何?」と聞き返しました。すると、友達は丁寧に教えてくれました。
 「Instagramっていうやつで、写真を投稿するの。言ってしまえばTwitterの写真だけバージョン。これが見始めたら止まらなくて〜」

 これを聞いた時に、私は「え、何それ。Twitterでいいやん。(爆笑)」と思いましたが、それを率直に伝えられるほど深い仲の友達ではなかったので、「へ〜。おもしろそう。入れてみる!」と取り繕っておきました。
 取り繕ったとは言っても、この時は本当にアプリはダウンロードして、インスタデビューはしていました。当時は友達の5人程度しかやっている人がおらず、ニッチな感じで細々とやっていました。まあこのニッチな感じもそれはそれでなんとも言いがたい楽しみがありました。

 この時のことは今でも鮮明に覚えています。インスタとやらが写真だけ投稿するSNSであるのに対して、Twitterは写真をつけてもつけなくてもいいわけです。そんな、訳のわからないマイナーSNS流行らないだろうと、当然思いました。
 しかし、その後Instagramがどのような流行を辿ったでしょうか。言うまでもありませんね。私も、常にやり続けていました。そして次第にTwitterの地位は(私や私の友達の中では)むしろ下がっていきました。


 こんなことを考え出したのは最近のことです。私はよく昔のことを懐古しますが、その中で、そういえばインスタって最初の期待とは裏腹に覇権を握ったな〜なんて考えていました。
 そして、その挙動に私は「δ関数」的な風味を感じました。δ関数というのは、ある値の時にだけ∞の値になって、それ以外のすべての値で0になるような関数のことです。また訳のわからない衒学的な比喩だなと我ながら思いますが、つまり、「一点突破」的な風味だということです。

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 私は当初、Twitterがつぶやきも写真もできるのに対してインスタは写真ありきだ、というところでインスタの方が下位互換だと感じていました。確かにユーザーのアウトプットの形態を見ればそうかもしれません。しかし視点を変えれば、インスタは写真オンリーで一点突破して、そこを突き詰めようとしたと考えることができます。


 事実、インスタは、あるいは社会や流行はその戦略を如実に反映したものとなっていきました。インスタが写真で一点突破したことによって、みんなが写真を求め・こだわり、写真の価値や重要性が増した訳です。そしてついには「インスタ映え」などという言葉ができるほど、流行は写真=インスタに依存するようになりました。インスタ=写真が流行の起点であり、流行そのものでもあるのです。
 昨今、特に若者の流行において、なにか娯楽に興じる際にはその娯楽自体が目的ではなく、それをあるいはそこに存在する自分たちをインスタでシェアすることが目的となっていることがよくあります。娯楽はインスタのための手段に成り下がり、本来の目的と手段が入れ替わったと言えるでしょう。
 こうした現象には良い点も悪い点もあるでしょうが、私が言いたいことはあくまでその善悪ではなく、そうした社会の流れを生み出すようなイノベーションがおもしろいということです。


 青春時代を懐古しながらこんなことを考えて、身近に潜んでいた素晴らしいイノベーションを発見できて感動しました。いろいろと多機能・万能であることも大切ですが、何かひとつ一点に絞って勝負をかけるというのは、戦略の一つとして覚えておきたいものです。

 とこんなに書いている間に、インスタのストーリーが溜まってしまったので見にいってきます。




 


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