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傷と怒りが希望に変わる日。

「東京来たら人生変わるよ」。

そんなステレオタイプの価値観は昭和の名残だと思っていた。だから東京で暮らす日が来るだなんて思ってもいなかった。

「東京には冷たい人しかいないんでしょ?」
「地方にもたくさん面白い人がいるし、会社もあるよ」
体験してこの目で見ないと真意はわからない。でも全てをこの目で見ようと思ったら秒単位のスケジュールに、しても事たらないだろう。

夢を追うものが集まる街、東京。
29歳の秋、そこに身を投じることに小さな抵抗をしていた。

あの選択をしていなかったら、今ごろどこで何をしていただろう。
それは人生における大きな転機となった。

フリーターとしてフラフラしながらも、「こんなもんじゃない」という自らへの怒り。怒りとは言っても、嫉妬やそねみのようなものだ。胸を張って語れるような哲学なんてものはなかった。

その時に決めていたのは「30歳までは、自由に生きてみよう」ということだ。きっと好き放題できるのは、今しかないんだろうなと思っていた。決めていたけど不安しか持ってなくて、近所のマクドナルドで、100円のコーヒーと100円のハンバーガーで4-5時間粘る日々。そしてノートとペンを片手に言葉を書き殴っていた日々。毎日、同じことを。堂々巡り。

体に入れる勇気はなかったタトゥーの代わりのようだった。

東京へいくことになりました

とんだご縁があった。偶然出会った東京のWEBメディアの方のおかげで、3ヶ月だけインターンをさせてもらえることになった。必要なのは交通費と生活費。住居となる場所は無償でインターンとして雇ってくれる。行くしかない。そう決めていたけど、やっぱり不安な自分が顔を出す。

なにせ、出発の1ヶ月前、残金が680円だった。

東京どころか、明日を生きるのも不安だった。でも当時ブームとなっていた「行動せよ」という言葉に押された。そうしないと、目には見えない何かに負けてしまうような気がした。本当は行きたくない。行きたい自分と行きたくない自分の二人がいた。今でもいる。今でも二人の自分を飼い慣らしながら生きている。

東京

初めて降りたのは池袋の街だった。キャリーケースを引きずりながら、一向に地に足がつかないまま進む。ふわふわした足取りでミスタードーナツに入ったことを覚えている。チェーン店の安心感を舐めちゃいけない。電車を乗り継ぎ到着したのは中目黒。オフィスと住居はそこにあった。最初に住んだのはその裏路地にあるマンションの一室。会社が直前までオフィスとして使用していたが、引っ越しをしたことで空き家となっていた。年内まで契約が残っているということで、ここで暮らしたら?お金はいらないから!ということだった。東京という街で、3ヶ月の旅が始まるんだなと思った。でもそこから”暮らす”ことになったのだ。インターンが終わり年が明けた2019年、これまたご縁があり、1年間渋谷のど真ん中で働くこととなった。

夢のような景色

お昼はタピオカ、会社にやってくる有名人。テレビでは自社のCMが流れている。毎朝9時に渋谷で働く生活。あの景色もこの景色も見たことある。嘘みたいな毎日だった。まるで夢の世界。全員がミッキーマウスに見える。テレビではタンクトップを着ている芸能人が、綺麗な上着を着て中目黒のドンキホーテに入っていく。若手俳優が深夜に女の子をタクシーに乗せて見送る姿とすれ違う。フライデーで見たことあるぞ。さながらモノクロ映画の世界だった。毎日がフライデー。そんな世界が面白くて怖かった。

早すぎるスピード感

身近な場所に行動的な同世代がたくさんいた。それどころか自分より若い大学生や高校生がピッチイベントでジョブスみたいにプレゼンをしている。Twitterを開けば毎日誰かが自分の夢や理想を叫んでいる。そして行動して形づけようとしている。影響力の大きな人たちの声が、また人一倍胸に響く。
せわしない毎日にある、落とし穴に気づけない。

さながらTwitterのタイムラインのようだ。スワイプすると新しい情報が流れる。そしてまたスワイプする。無意識のスワイプが自分の首を絞めていく。

憧れとの距離が圧倒的に近い

ある日、ABEMATVの生放送を観ていた。新しい地図は、名前を変えても子供の頃から憧れの人たちだ。そこでは代官山でロケをする3人の姿があった。当時暮らしていた場所から徒歩で10分。目と鼻の先に、子供の頃からの憧れの存在がいる。目もくれずダッシュで向かった。代官山をダッシュする大人などいない。いても佐川かヤマトのユニホームを着ている。ロケ地に到着すると人だかりになっていた。そしてみんなスマホを見ながらビルから出てくる瞬間を待っている。

出てきた。

時間にすると30秒くらいだっただろうか。
テレビの中にいた人たちが、実在しているのだと知った。
そんなの知っているはずなのに、この日はじめて知った。

芸能人を見た友達が「昨日○○と会ったの!」と言っていた。「会ったんじゃなくて、見ただけだろ」と内心思っていた。だって会話もなにもしていないでしょ?って。だけど、これは会ったのだ。直接話しかけられていなければ、目も合っていない。だけど「見た」という言葉では足りない、自分の奥底にある気持ちが溢れるほどにコミュニケーションが取れたのだ。

ただ見ただけなのに、人生捨てたもんじゃないと思った。

東京タワーという「象徴」

生で観た時の圧倒的な存在感。吸い込まれるような光。そして走馬灯のように記憶を呼び起こし、過去といま、そしてまだ訪れていない未来とをつなげてくれる。あの光には、優しさを感じる。

心の状態によっては魔物のようにも映る。
落ち込んだ時も、嬉しい時も、変わらずそこで灯っていた。せわしなく走っていく時代の中で、どっしりと構えてただそこにあるという安心感が救ってくれた。

みんな傷と怒りを隠して生きている

東京の人も温かい。電車の席を譲る人はいるし、重い荷物を運ぶ人もいた。「東京の人は冷たい」とよく聞くが、そんなことはないと思う。ただ、人の目が多いからこそ自分を押し殺せざるを得なくなっていたり、あまりに速すぎるスピードに合わせているから、見逃してしまう瞬間が多いのかもしれない。

自分の中にある傷と、ゆっくり向き合う時間が取れなかった。目の前にある壁を越えるよりも、その壁を登るためにできる傷が怖かった。その傷がつくよりも、また別の行動や情報に踊らされた方が瞬間的には楽だった。立ち止まったら、もう二度と立ち上がれないような気がしていたから。

そして多くの価値観や情報との出会いの中で、「これは嫌だ」「許せない」という心のど真ん中にある怒りをあぶり出してくれる。情報や正論や常識や誘惑にぶれさせながら、それでも譲れないものを教えてくれる。

東京の人は冷たいと聞いて育った。
だけど地方にも冷たい人はいる。
多様性なんてどこにもないし、どこにでもある。

人生なんて、ご縁と、流れと、タイミングでしかない。

あのとき、東京に誘われた時、謙遜して断っていたら、
あのとき、中目黒から代官山をダッシュしてなかったら、
あのとき、東京タワーを見に行ってなかったら、

たらればではあるけれど、きっと東京で暮らすことはなかっただろう。

その時々の選択でいまがある。
一歩を踏み出すことは怖いけど、迷ったら傷と怒りを持って進んで欲しい。

また、東京へ行きたい。

「東京に行ったら人生が変わる」

それは紛れもない事実だと思う。もちろん人によるけれども。
目先の変化だけでなく、体感的な違いを知ることができる。
それを身をもって感じることができるから、自分の言葉として血となり骨となる。

やがて傷は深みに変わる。
怒りは正直な気持ちを教えてくれる。
傷や怒りは挑戦した証であり勲章だ。

肉体に傷がついた時、もしかしたら立ち上がれなくなるかもしれない。
だけど時間が経ちいえたとき、その傷や怒りは誰かにとっての希望に変わる。

若い子にアドバイスをするならきっとこういうだろう。

「東京で暮らしてみたら?」

今なら立ち止まっても、自分の意思とペースで歩き出せる。
だからまた、いつか東京で暮らしてみたい。
ご縁と、流れと、タイミング次第で。

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