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平熱36.5Cの熱狂

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームをオンライン配信で観た。番組開始15周年を記念したイベントで、東京ドームには5万人を越えるリトルトゥース(番組リスナーのこと)が集まった。

ここ2週間ほど体調を崩し、身体もメンタルも落ち込んでいた。ずっと目標に掲げていたものに興味がなくなり。無気力、虚無感、虚脱感。体調が回復しつつあるタイミングで、気分転換できるような明るい刺激が欲しかった。

大勢のリトルとゥースに紛れ、PPVをする映画館で観ようかと思ったけど、「たぶん、泣いちゃう」と思ったのでスマホで視聴した。

案の定、イベント開始とともに涙腺は崩壊した。

ラジオトーク、ゲームコーナー、プロレス、ライブ、そして漫才。笑いと涙が流れるあっという間の3時間だった。

「もう行きたいところもないし、ここに行けって決められるUberEatsをやってみようと思った」

若林さんは「Ubereatsの配達員をしていた」という話をしていた。

要約すると、【ライブに向けた体力作りの一環として自転車で都内を走り回るようになった。しかし、行きたいところが無いので行く理由を作るためにウーバーイーツの配達員を始めた】話だった。なんとイベントまでに50軒以上の配達を行ったらしい。

この話を聴いて、笑いながら絶望した。
心の中の山ちゃんが「若ちゃん、それ以上先にいかないでよ〜」と呟いた。

自分と誰かや周りと比べて落ち込む

東京ドームに5万人も集めてしまう人が、今ある現状に飽き足らず”たりない”ともがき、現状にあぐらをかかずに挑戦する姿勢にゾッとした。

自分で違和感を持って、感じて、行動して、答えを出す。そうでないと腑におちない。時間はかかるし、「めんどくさい」タイプだと思う。だけどそうでしか生きていけない人間臭さが垣間見える。

「目的地が決まると途中の道にも色がついてみえる。行くべきところがあると、景色がカラフルになるんだな」

一貫しているのは「自分で動いて、自分で考え、自分で答えを出す」という生き方だ。

そんな姿を叩きつけられて、「お前はどうだ?」と言ってないけど言われてるような気分になってゾッとした。

一方の自分は、部屋にこもり、止まらない咳で夜も眠れず生活サイクルはグチャグチャに。数少ないストレスの発散方法のサウナに行けず、喉を痛めながら爆食いをする日々。隣の部屋に住む人に迷惑がかからないように、エアリズムを壁や床におもいっきり投げつけることで発散する日々。

ベッドに横たわりながら、部屋の中一人でスマホを覗き込んでいる自分が悲しくなった。

目的地を決めて動く

人間に夢って必要なんだな!

東京ドームライブが決まってから、途端に前向きになった春日さんをみて若林さんが放った一言。

見過ごせないギャップに苛まれたり、
できていない自分を責めてしまったり、
大丈夫じゃないのに、大丈夫と言ってみたり、
弱った時にしか人に頼れなかったり、

遠い向こうにある夢だけだと、途方もなくて、自分自身が小さく感じて、情けない気持ちが心に広がって動けなくなる。

でも、ふと気がついた。
落ち込むということのは、誰かと比べたから思うことではない。
誰かと比べることで、自分の理想とのギャップがハッキリするから落ち込むのだと思う。

だからこそ必要なのは、ギャップが小さくひょいと飛び越えられる高さの、ちょっとした目的地なのかもしれない。

必要なのは、「平熱36.5Cの熱狂」

熱狂的な夢は熱しやすく冷めやすい。

キラキラした夢や憧れ、怒りのエネルギーはそう長くは続かない。叶えられなかった時の傷も深くなり、掲げていた目的地を失うと燃え尽きて灰になってしまう耐久性が低い物だ。

だけど平熱の温かい夢は末長く続く。
心の中、奥底からやってみたいこと、ピュアな気持ちで湧き上がる感情、モヤモヤの中にある小さくてもキラキラしたものこそ、平熱でも熱狂できる耐久性のある夢だと思う。

今回のイベントも1年以上前から、演者・スタッフ・リトルトゥースと共に温かく積み上げられたものだからこそ、オンラインを含めて16万人が楽しめる幸福感を得られたのだと思う。

弱さで繋がる「半開きの内輪ノリ」

小学生の頃、夜な夜な聴いていたのはナインティナインのANNだった。めちゃイケや特番の翌週にその裏話を聴ける。テレビのキャラではない岡村さんの人間的な部分が垣間見え、テレビのスターが自分達と同じように葛藤と苦悩に苛まれていることに気がつける。

人がね、本気で悔しかったり惨めだったりする話は面白いんだよ。

だが情熱はある」藤井青銅さん

立場は違えど同じ人間であることに安心し、心の距離が近くなる。
失敗したこと、腹が立つこと、中学生みたいなバカ話、
自分のネガティブな部分、コンプレックス、
そこに共感がうまれ、自分の人生と重なり、つながる。
弱さで繋がることができる。
誰かの弱さが、誰かの孤独な夜を救ってくれる。

1人であって、独りではない。ラジオとは、「半開きの内輪ノリ」であり、リトルトゥースは、弱さで繋がる「無形の共同体」だと思った。

最後に披露された漫才も、どこか人生を投影させたような内容を"くっだらない"ネタに変えて笑わせてくれた。

でも汗を流し大観衆の前で姿を晒す2人の姿が本当にかっこよかった。

大きい夢だけではなく、等身大の夢を立てて、のたうちまわり、汗をかき、自分を試して景色を変える。時に熱狂的になってもいいが、小さい目的地を経由しながら、また大きな夢に向かっていきたいと思うことができた。

とりあえず、土曜日の深夜1時にラジオを聴く。
まずはそんな小さな目的地へ向かえればいいなと思います。
アディオス。


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