見出し画像

それが何かは、しらんけど。 #企画メシ

トラブルが起こると笑っちゃう。
というと、どう思うだろうか。

「何それ!ひどない?」
はい、ごもっとも。
そう言われても、きっと笑ってしまう。

だって、笑うしかできないこと、あるやん?
それが自分を守るためでもあるし、相手への優しさだと思ってる。
元々そんな人ちゃうかってんけど。

笑うことは「前向きな諦め」。
そう思えるようになるまでのお話。

ちょっと不思議で、どこか懐かしい日常

職場は週に200人の人がやってくるシェアハウス。なんというか、雑多な公園みたいな場所。子ども、アーティスト、クリエイターetc…。集まる人も目的は人によってバラバラ。仕事の打ち合わせ、おにごっこ、事務作業、お昼寝、色恋沙汰、ケンカ。生きるとか暮らすことが毎秒枚秒詰まってる。

https://twitter.com/happyrokken/status/1668909900716711938


テラスハウスの50年後はきっとこんな感じ。しらんけど。

ようわからん場所やけど、
ようわからん人たちと、
ようわからんけど、一緒にいれる。
そんな場所。



ここでは突然、人が死ぬ。

昨日まで元気だった人が突然死ぬ。
当たり前のように接していた人が、突然いなくなる。
余命0日の人が突然やってきたこともある。

そんな場所で、これまで葬儀を10回以上経験した。子どもたちやご家族さんと棺桶を組み立て、祭壇を華やかにし、すき焼きを囲む。あーでもない、こーでもないと話に花を咲かせた。そして最期を見送った。

この場所にくるまでは「死ぬ」ってことが怖かった。親の死に目は避けてきたし、身内のお葬儀に参加したこともなかった。だって、人が死んでるんだもん。だけど、「死ぬ」ということへの恐怖心はグラデーションのように変わってきた。

https://twitter.com/happyrokken/status/1410212864321671171

https://twitter.com/happyrokken/status/1410212864321671171

死ぬことを考えることは、生きることを考えること。
誰かの生き様は自分の生き方を考える機会に繋がる。

それがここでは、ただの日常である。

「人が死ぬ」、以上のトラブルなんてない

ここでは何事も思い通りにいかない。

リビングのテレビでネトフリをつけ「サンクチュアリ」を観ようとても、ふらっと来たおじいちゃんが「水戸黄門」に変えてしまう。外のガレージに出てゆっくり本を読もうとすると、「なぁ、ジュース買ってや!」と近所の子どもに絡まれる。

カレンダー通りに予定が進むことなんて、まぁない。
ここでは何事も思い通りにいかない。全く。

きっと、そんな日常を過ごしているからだろうか。
ちょっとしたことには、笑えるようになった。

子供が走り回ってうるさくても。知らん人がウロウロしてても。「目ぇ潰ししたろか!」と室内でサングラスをかけたジイちゃんに突然追いかけられてきても。

端から見たら異常事態でも、なんだか面白いと思うようになってしまった。

「人が死ぬ」、以上のトラブルなんて、なかなかない。
ここで学んだことの1つは、人生思い通りになんて、なかなかいかないという諦めだ。

「諦める」って、とっても前向き。

思い通りにいかない時、そのことを許せたらどれだけ楽だろう。
それはある種の「諦め」だと思う。

「諦める」という言葉は、現在では、「自分の願望が叶わず仕方がないと断念する」というネガティブな意味で使われています。 この言葉の語源は「明らむ」、つまり、「つまびらかにする、明らかにする」ことだと考えられています。 また、「諦」は仏教で「真理、道理」の意味があるそうです。

幻冬舎プラス

「諦める」の語源は「明らめる」。
勝手に関西弁に訳すと、「まぁ、えっか」とか「まぁ、しゃあない」が当てはまる気がする。

チャレンジして、痛い目をみる。
挫折をして傷が残る。
後悔を積み上げる。
そうやって経験から学び、諦めにつながっていく。

人生振り返ると諦めだらけ。
スタバでカッコいいバリスタになりたかったけど、目の前で凝視するギャルに緊張して手が震えてミスしまくった。芸能人の個展を企画したけど、若気の至りで揉めちゃってスタッフから抜けちゃった。スーツを着て定時の仕事をやってみたり、東京での仕事もやってみたけど、なんだか息苦しかった。

血縁関係のある人が、この世にいなくなったことで生まれた寂しさも。
大切にしていた人と心通じ合わなかった記憶と傷も。

起きてしまったことは、どうしようもない。
変えられるのは解釈だけ。

「まぁ、えっか」
「まぁ、しゃあない」

諦め=前向きな解釈。

一度諦めることで、また次に進むことができる。
そうやって、痛みを伴いながらでも、少しづつでも自分のことが明らかになっていくはずだと思っている。

誰かや何かと向き合えば、自分が明らかになる。

企画メシに参加しようと思った理由は、「自分自身と向き合いたい」と思ったからだった。

自分は何者なのか、
どこへ向かうのか、
何をしていくのか。

今まで1人で自分に向き合ってきた。

だけど、一度諦めてみた。
もう1人では無理だ。

1人の世界で堂々巡りではなく、全く新しい場所で、全く新しい環境の中で、誰かや何かのテーマに向き合ってみたいと思った。
それが自分自身に向き合うことなんじゃないかと思うようになった。

あきらめの先に、「なんかある」。
たぶんやけど、そう思っている。
しらんけど 。

企画メシの初回講義は神戸からオンラインで参加。

会場の電波状況が少し悪かったみたい。スライドがロボットダンスみたいにカクカクしてたり、zoomがストンと消えちゃったり。「海の中で溺れながら講義してます?」と思うくらい、話しが聞き取れないこともあった。

そんなライブ感満載の1回目、ずっと1人でニヤニヤしていた。
完璧じゃなくて安心した。予定調和が崩れたら、それはそれで面白い。
バグの隙間や間違えがあるからこそ、そこにこぼれる人間らしさが可笑しくて僕は好き。僕らは機械じゃない。

途中、完全に声が聞こえなくなった。

電波に関してはどうすることも出来へんし、「まぁ、しゃあない」「待つしかないか」くらいにゆったりしていた。そんな時、スライドにはこう写っていた。

「ものは、いいよう」

めっちゃおもろいやん!

そう思ってすぐに写真を撮った。

「これ、勝手な解釈」かもしれないけど、オンラインで参加した企画生への特別課題だったと思ってる。コメント欄では積極的に面白がってワイワイしてました。解釈って面白い。ピースフルで経済的なエンタメ。

得てして、オンラインチームは一瞬ひとつになれたような気がした。

トラブルが起こると笑っちゃう。
というと、どう思うだろうか。

「何それ!ひどない?」
はい、ごもっとも。
そう言われても、きっと笑ってしまう。

それが自分を守るためでもあるし、相手への優しさだと思ってる。
だって、笑うしかできないこと、あるやん?
元々そんな人ちゃうかってんけど。

企画メシの1回目。
「トラブルを笑うことは、前向きな諦め」やな〜と思ったお話。


あきらめの先に、なんかある。

ご覧いただきありがとうございました!たくさんの方と思いを共有し、文章を通して繋がっていければと思うので、良かったらフォローしてくださいね!大スキ!!!!