嫌われることが「気になる」→「気にしない」→「気にも留まらない」への進化論
あなたは、嫌悪感を向けられても
動じないでいられますか?
ある動画との出会い
ある日、YouTubeの動画を観ていると、次のようなやり取りが目に入りました。
「アンチコメントなんて気にしなくていい」
というアドバイスに対して、
「いや、相手をとことん言い負かす。こんな風にして、こう返されたらああして…」
という反論が飛び交う内容です。
私はどちらの成長段階も過去に経験したことがあります。
数年間放置しているYouTubeチャンネルを持っていますが、
登録者数が1万人を超えたころから
少しずつアンチコメントが入るようになったのです。
初めてのアンチに揺れる心
初めてアンチコメントを目にしたとき、まずはショックを受けました。
次に心がざわつき、無視できなくなり、
むしろ執着を持って気にし続けてました。
「私は間違っていない!間違いを指摘して正しさをわからせてやる!」
という気持ちにまで至りました。
1日のほとんどの時間、そのことしか考えられないような状態で過ごし
気持ちのアップダウンも大きかったです。
「アンチコメント」と考えると、他人事で現実味がないかもしれませんが、
だれかに陰口を叩かれたり、悪口や噂が広まったり、
もしかして嫌われているのかもしれないと心配したり、
好意を持ってもらいたい、自分の評価を高くしてもらいたい。
そんなものまでも含めて考えると、
人生の中で誰もが経験したことのあることではないかと思います。
アンチコメントへの解決策と限界
心の平安を奪うこんな出来事があったとき、先の動画内では
「アンチコメントなんて気にしなくていい。アンチはファンなんだから」と、
考え方や視座を変えてみることが解決策になる、と提案していたんですね。
こうした「気にしないための方法(ハウツー)」を教えたり、身につけることは、
実は簡単です。
でもそれは枝葉的な対応なのです。
一時的な解決には、確かになるかもしれません。
ですが同じことが起こるたびに、
反応は減るかもしれないけれど、
自分のどこか一部がいつまでもざわめいていて、
coreから穏やかでいられる状態とは違うのです。
「気にも留めない自分」への道
今の私は、アンチコメントも嫌われることも気になりません。
気にならないように、考え方や視座を変えているのではなく、
「気にならない自分で在る」
そのように存在しているということです。
気にしないのではなく、気にも留めない段階にまで
成長した自分として存在しているのです。
これは根本的な、本質的な人の進化状態です。
どんな状況に置かれても、自分の価値や在り方をしっかりと見つめ、
揺らがない自分でいること。
それは、ただ「気にしない方法」を学ぶだけではなく、
自分自身の成長や進化や深化を通じて実現するものなのです。
人生における最も大切な旅なのです。
揺らがない自分を育てるプロセス
私はこの「揺らがない自分になる(成長進化深化する)」ための
サポートをしています。
それは単なるテクニックの提供ではなく、
その人が本来持っている純粋性を引き出し、
自己信頼を深めるプロセスだと思っています。
同時に揺らぎない幸せと豊かさと健やかさを
育てるプロセスだと思っています。
他者の評価や外部からの刺激に左右されない
人としてのしなやかさを育てること。
それが私が大切にしている本質的対応で
私の提供するサービスの核でもあります。
本質的な生き方を共に育む
私たちは誰もが、外側の声に揺らがずに自分を生きる力を持っています。
その力を信じ、共に育てていきませんか?
外側に惑わされるのではなく、自分の中に平安を見出す人生を
一緒に歩んでいきましょう。