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ニューイヤーイブ

※フィクションです

おしずまりー
おしずまりー

おし、、、ずまりぃぃぃ、ぃぃぃ

はい、目を開けてください
ハッキリしていますか?

母は、信者のひとりに
いつもの清めの儀式が終わると
静かに、問いかけた

はい、だいじょうぶ、です

40頃だろうか、筋肉隆々の男は
正座をして両手を合わせたまま
静かに目を開けると、そう答えた

そして、深々と礼をする

彼は、我が家の日本間の天井近くの
特設された神棚に
身をまっすぐに角度を変えると
再び深々と礼をした

狩野さん、夜勤明けで
帰りの運転、だいじょうぶ?

母がそう言うと、狩野と言われた男は
覇気のある表情で
慣れてます!大丈夫です、と返答した

そんな時

廊下の向こうからリビングに向かう
父の足音がした
膝を使わないドンドンとした足音は
誰も分かるジングルのようだった

父が年末年始の休みで
出張先から家に帰ってきたのだ

父は勢いよくドアを開け
リビングに入るやいなや
俺を見つけると
帰ってきたぞぉぉぉとばかりに
両手で僕の頬を上下にこすった

1番最初に僕を見つけてくれた
すごく嬉しかった

そのあと、ふすまを開け放った日本間に
狩野という男がいることに気づいた父は

おぅ、狩野君、精が出るねこんにちは
お母さん、中川さんも来たよ
しばらくはここで暮らすから
あきらも、よろしくな

と、母と僕と、狩野という男に
父の後ろに立つ
中川という女性を紹介する

しかし、誰も驚きもせず

よろしくね、と
狩野が一番先に返事をしたのだった


よろしくね、あきらくん

30半ば、、、いや40?
その中川という中年の女性は
ベージュのとっくりセーターに
グレイ地のチェックのズボンを履き
リビングの隅で湯気だつお茶をすすってた

地味な人だな、と言うのが第一印象で
僕は、窺うように小さくお辞儀をした

(笑)
あきらくん、前に何度も
会ったことあるのよ

中川という女性はおどけた顔をして
テンポよく話しかけてきた

僕は、その声があまりに自然すぎて
この人とは前から知り合いなんだな
と言うことだけは分かった

あれれ、どこで会ったんだろう

これは僕が小学生で
父は函館に家を借り、青函トンネル内で
長期の現場仕事をしていた時の事

この時は父の仕事は函館だったので
うちに何度も帰ってこれたけど
八戸や二戸、はたまた
埼玉の蓮田へ出張していた時は
盆と正月の2回しか帰ってこないので
反対に、僕がよく遊びに行ったものだった

こうした長丁場の出張の時は
年単位で家を借りて
父と土方の男衆が暮らすため
飯炊きのおばさんを雇うことが多かった

ほとんどの場合は
出張先の地元の人を探すのだが
今回は、この中川という女性が
住み込みで働く事になったのだそうだ

え、住み込みということは
中川というこの女性は
函館の人じゃないってことか

あぁ

僕は頭の中の回路が
つながったような音がして

そうだそうだ、思い出した

この話しやすさ、心地よさ
意外なほどに身近な人だった
うちの道路向かいの雑居ビルの
女将さんじゃないか

頭巾かぶってないし
昼間の姿を見るのは初めてなので
ピンとこなかった

当時、うちの両親は仕事が多すぎて
夕飯は家族で外食することが多かった

そして2人ともお酒好きなので
行くのは決まって居酒屋だ

実家の周辺は、今でこそ閑古鳥が鳴いてるが
当時はなかなかの飲み屋街で
行きつけの店がいくつもあった

この頃、父のジョッキの泡を
よく啜らせてくれたからだろうか
今や僕は、脳みそがビールで浸かるほどの
アル中おやじになってしまった

この中川という女将がいた居酒屋も
両親の行きつけの店のひとつだったのだ

僕は、この居酒屋が大好きだった

店主は女将さんの旦那で
板さんもしていたから
魚や貝のさばき方を間近で見せてくれたのだ

後から父から聞いた話では
店主は慶應卒らしく
そんな秀才が、この片田舎で
細々と居酒屋なんかをしているのがなぜなのか
あの頃の僕には、そんな違和感を
察することなんてできるわけがなかった

そして、ある時から
両親はこの居酒屋に行かなくなった
つまり僕も、行かなくなったわけだけど

その理由は簡単で
店がつぶれてしまったからだった

あの当時は、店がつぶれても
次の店が営業を始めるまで
看板がそのままだったりするし
小学生の僕がその店の前を通る時は
いつも閉店してて
静かな店構えしか知らないから

この居酒屋がもうないと知るのに
相当時間がかかったことだろう

なんだ、もうあの活ホッキ刺し
食べられないのか、とか
あのおじちゃんともう話ができないのか、と
僕が心を許した友がいなくなったようで
寂しく思った記憶だけは覚えている

それから

半年ほど経過したこの年の暮れに
中川という、あの居酒屋の女将さんが
父の帰省とともに、我が家に現れたのだ

あきらくん、私、社長のところに
しばらくお世話になる事にしたの
ごめんね、よろしくお願いします

中川の女将さんは、僕に向かって
丁寧にお辞儀をしてみせたのだった

普通

自分の家に、家族じゃない人が
突然現れて、しばらくおじゃましますって
驚くだろと思うけど
うちは、そういう一般的な家ではなくて
父の甥っ子を連れてきては一緒に仕事をさせたり
母の妹である叔母をDV夫からかくまったり
よくもこんな荒くれ者ばかり集めたな
と思うような従業員さんたちが
家を追い出されただの、金がないだので

普段から色んな人が
気づけばそばにいて
みんな僕に優しかった、だから

中川の女将さんが、今日から住みますよと言われても
僕は、まったく動じることもなかった

むしろ、父や母に恩がある分
僕に優しく接してくれるので
友達のいない寂しがり屋の僕には
心の広い友達ができて、大歓迎でしかなかった

中川の女将さんが来たのは
年の瀬まっただ中だったので
ばあちゃんと叔母2人は
あわただしくおせち料理を仕込み
父と兄と僕は、大掃除に明け暮れていた

母は、中川の女将さんを
自分の宗教に引き込めると踏んだのか上機嫌で
自分の衣装箪笥から
外着用のワンピースを出して
中川の女将さんに着せていた

深いグリーンのサテン生地だろうか
光沢のあるワンピースで
肩と腰にフリルが付いていてる

僕はその女将を見て
お母さんて、ガンダムが好きだったのか
これはゲルググ
量産型ゲルググじゃないか
と、深く感心したものだった


女将の住む6畳長方形の日本間は
ふすまを開くと、リビングと一体になる仕組みで
部屋の四隅まで見渡せた

その頃の僕は自分の部屋がなく
冬休みということもあり
いつもリビングでテレビを見ていたので
中川の女将さんがいる日本間が丸見えだった

そこには彼女の荷物があるのだが
中くらいの肩下げ鞄がひとつしかない
僕が登校時に肩からぶら下げる
巾着より物が入らないような鞄だ

残りの物は、函館の宿舎なんだろうか
小学生でもそのくらい察しがつく
年明け、また仕事がはじまれば
父とともに函館の住まいに戻り
また飯炊きの仕事をするのだと

そして、もうひとつ

女将のゲルググ姿を見た時
母はその深緑のワンピースを
彼女にプレゼントしたんだと分かった

母は、物に執着しないのに
たくさん物を買う人で
使わないものまで買うから
使う人が現れたら、いつもホイホイあげていた

そうやって、与える側になる優越感を
満たしていたのかもしれない

母は、確かに喜んでいた

社長、奥さん、行ってきます

中川の女将さんは、その深緑のワンピースを着て
母からもらった毛のコートを腕にかけて
深くお辞儀をしたまま言った

今日はみんなで宴会みたいになるから
あまり食べ過ぎないで帰ってきてね

母は彼女にそう言った

その時の母は、すごく楽しそうだった

父はというと、椅子の上に立って
白熱球を雑巾で拭いてばかりでその作業を止めず
彼女のあいさつに返答もしなかったので
僕だけが、すこし悲しくなった

中川の女将さんは、そんな父の態度を
気にする素振りもなく
丁寧に礼を言った後

夜には戻ります

と、顔を上げた時
今までの女将には
想像もつかないほどの笑顔だったのを
今も鮮明に覚えている


そういえば、あの頃
狩野という男は
ほとんど毎日うちに来ていた

僕がいるのも気にせず
闇金融に金を借りまくる嫁の話しや
ワンマンな上司の愚痴を、延々話していた

いつの間にか、宗教上でも母の右手となって
清めの儀式をするようになり

夕飯時になっても帰らないことが多く
彼の功績を労い
母と僕と狩野の3人で
よく向かいの居酒屋に行った

消防士の狩野は酔っぱらうと
この地域が防災がどれだけ無頓着なのか
幼い僕に演説めいた話をした

そして、なぜだろう

大人になってからおたふく風邪になり
自分が子供を作れない身体だったことも
僕に嘆いてみせていた

不思議なことに狩野は
家族のようにうちに入り浸っているのに
彼の奥さんを
僕は1度も見ることはなかったのだった


奥さん、その神さま?の話
聞かせてもらってもいいですか

そんなある日
僕と母と、狩野で
またいつものように居酒屋に行くと
申し訳なさそうに、女将が話しかけてきた

そして、こっそり話をする

うちの旦那、また借金しちゃって
もう返せる額じゃないのに
タクシーの運転手する、とか言ってるんです

社長、今函館で仕事って
言ってたじゃないですか

私を、飯場で働かせてもらえないかしら
旦那に内緒で

小学生の僕には何も分からないと
この大人たちは、自分が小学生だった頃を忘れ
大人の事情をあれやこれやと話しだしたのだった

父は、母からこのことを聞かされ
不義理にもできず

ある日、夜逃げ同然で
函館に連れて行ったのだった


おはようございます

初冬の朝、登校通路の途中にある
粗末なアパートの前で
偶然、ゴミ出しをしていた
あの居酒屋の店主をみつけて
僕は嬉しくなって挨拶をした

店主はこっちをしばらくじっと見て
父の息子だと気づいたのか

やぁ、と力なく右手を上げた

おかみさんは?

僕は大好きだった女将さんのことも聞いた

あぁ

いなくなったんだ、と
店主は、吐き捨てるように言った

その横顔は、コマ送りの後姿になり
それ以降、彼を見ることがなくなった


ほらやっぱり
帰ってこなかっただろ

テレビから除夜の鐘が鳴った
大みそかの0時過ぎ
窓の向こうからは、港町ならでは
除夜の鐘の代わりに
船の汽笛が街中に鳴り響いていた

ばあちゃんは、早々に部屋に戻り

荒くれ者たちは、喰えるだけ喰って
飲めるだけ飲んで、どこぞへ散り散り
兄は自分の部屋にこもって
起きているのは分かっているが
何をしているのかはまったく分からず

父と母と俺の3人は
喰い散らかった残骸のリビングで
各々の横になって年を越した

まぁ、仕方がないじゃない
あれだけ、店主に暴力ふるわれていたんだから

逃げたくもなるわ

母は、宗教に誘えなくて当てが外れた
と思ったのか
それとも
こんな結果になるんだろうなと
はじめから知っていたのか
さほど悔しくもないわ
くらいな、冷めた言い方だった

そして母は続ける

これからふたり、まっとうな仕事はおろか
病院にすら、かかれないのよ
どうするのかしら

狩野も相当借金あったとかで
前に俺に泣きついてきてたたろう

父は、分かってるのか?風に言う

それもこれも全部
中川さんには全部言ったじゃない
それでも結果、こうなったんだから

仕方がないのよ

母は、そう言いながら立ち上がると
ガチャガチャとテレビのチャンネルを回した

面白いのないわね

怨怨と火力を上げたストーブの火に
半袖短パンの僕は

その話のやり取りを聞きながら
ふすまの開いた隣の日本間を振り返った

日本間に差し掛かる電気の灯りの影に
あの小さな肩下げ鞄が
父と母に対して、申し訳なさそうに佇んでいる

おかみさんと、狩野さん
一緒に、いなくなったの?

僕は父と母に聞いてみた

しかし、2人とも寝たふりをして
答えてはくれなかったが

不思議なオーラが
この家には漂っていた


もしかしたら、父と母の心の奥底に

できることならば

できることならば
狩野と中川の女将のように
世捨て人になってもいいほどの人に出会い

この世から存在を抹消されたとしても
2人で生きてゆきたい

なんていう、激しくも生々しい愛を
心の底に押し隠して
彼らに託してしまっていたんじゃないか

ほどなくして船の汽笛が、鳴り止む

僕たちは新しい年を迎えたのだ

僕は、父と母の間に潜り込んで
正月の朝を迎えた

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