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僕の、グリン


未熟な異常性は、グリンの中にあった


【ミッド・グリン】


幼い頃から

僕は喘息もちで、少し体を動かすと
息を吸うことが出来なくなり
ひきつけのように倒れ込んでしまい
子供らしいわんぱくさがない子供でした

ただ、それだからといって
他の子が元気に走る姿を見ても
大して羨むこともなく
むしろ自分だけの世界に没頭できたので

好都合だった、ような気がします

テレビ番組『できるかな』を見て
ダンボールで家を作ったり
畳の端を道路に見立て
ミニカーを走らせたり
うちの茶の間と日本間は
さながら自分だけのワンダーランドでした

我が家は、家の1階が店舗になっていて
両親が商売をしていました
なので同居していたバアちゃんに
僕は育てられました

バアちゃんは家事の合間をぬって
折り紙を教えてくれました
僕の体を考慮して、動かなくても遊べる何か
そう考えたのでしょうか

それとも遊びに選択肢などなくて
簡単に手に入って暇を潰せるものなんて
折り紙くらいだったのかもしれません

赤色で、ツル、カブト、ヤッコさん
青色で、ツル、カブト、ヤッコさん
黄色で、ツル、カブト、ヤッコさん
茶色と黒は、口を縦横に開く指人形

バアちゃんもそれほど
折り紙に詳しくないので
種類は大体この4つか5つ

今思えば

よくも飽きずに同じものを
延々と作り続けた物です

ビニールにピシッと詰まった
真新しい折り紙が手に入るのは
1週間に1度くらいでしたから
折った折り紙は、バアちゃんに解かれて
アイロンでシワが伸ばされ
翌日、茶の間のテーブルの上に置いてありました

そんな幼少期の毎日の中で
父親があることに気づくのです

緑色の折り紙だけ
使わずにキレイなまま残されているのでした

まるで新札を長財布に入れるように
緑の折り紙がビニールの中に
びっしりと詰まっているのです

父親は、この子は緑色が嫌いなんだな
その時は、そう軽く考えていたようです

また僕は、お絵描きも好きでした
12色だったか24色だったか覚えてませんが
クーピーのセットを何度も買ってもらいました

大きな円の中に目なの口なのか分からない
稚拙な絵を描いていたのでしょう
カレンダーの裏では飽き足らず
家の壁に落書きもしていたそうです

するとやはり

緑のクーピーだけなくならないのです

緑なしのお絵描きをし続けるので
買い足しているうちに
ひとつのクーピーのケースが
すべて緑色で埋め尽くされる
という現象が起きるのでした

ここまでくると、父親も不思議がり
なぜ緑を使わないのか問うたり
そもそも緑が識別できない
色盲なんじゃないかと
僕の行動を疑ったこともあったようです

でも

僕は識別できなかったわけじゃなくて
緑が、この世で1番好きで
心の底から愛するがゆえに

緑の折り紙がシワくちゃになったり
緑のクーピーがすり減ったりすることを
ひどく恐れていただけなのです

ただただ、大切に扱っていただけなのでした

グリン愛

この行動が明るみとなったあたりから
僕のグリン愛は
体の成長と比例して膨れ上がってゆくのでした

まず、小学生2年生まで
僕は出来る限りグリンに包まれて
暮らしだすのでした

おそらく

別の親のところに生まれていたら
母親は奇声をあげ
専門機関に送られていたことでしょう

幸いなことに
僕の両親は、緑色がそんなに好きなら
緑色のものを買ってやればいい
という方針だったので

毎日がカエルのようでした


そして、小学生にあがる時
ある問題が起きてしまいます

ランドセルが、黒と赤しかなかったのです

きっと、両親は相当探したと思います
でも、緑のランドセルは
見つからなかった

そして、どこから手に入れたのか
未だに不明なのですが
緑のランドセルは見つからなかったけれど
それに近いであろう
青のランドセルを買ってきたのです

これが、僕を狂わせました

グ、グリンじゃない!


僕にとって緑は、青ではないのです
父は、緑のことを青い、と
表現する人だったので
きっと、僕に気を遣って

せめて青

そうしたんだと思います

一方、そんな親心を理解できない僕は
ひどい仕打ちを受けた気分になっていました
背負うのも嫌だったのですが
ゴネてもあとの祭りです

買ってしまった以上
これで通学する以外すべもなく
登校したら登校したで
青のランドセルを背負ってるのは
クラスで俺だけで
クラスメイトからバカにされ
抜けものにされてしまったのです

こんなことになるのなら
いっそのこと黒にして欲しかった

みんなと一緒がいい

僕は自分の運命を嘆くことしか
できなかったのです

そして小学2年生の頃には
人目を恐れて
地味な色の巾着袋をバアちゃんに繕ってもらい
それに教科書を詰めて
青いランドセルは押入れの隅に
隠してしまったのです

僕の愛しいグリン

抑制の効かない、快感


【ニュー・グリン】




僕が小学校3年生の頃

兄がガンプラにハマっていて
丁寧に色まで塗って作っていました

※ガンプラ=ガンダムのプラモデル

僕はその現場を見たかったのですが
新聞紙の上で各パーツの塗料を乾かしているため
何かしでかしたら事だということで
兄の部屋に入ることは許されませんでした

兄の部屋には背丈よりも高い本棚があり
本棚の上部分はガラス戸の観音開きで
完成したガンプラが大切に並べられていました

兄は中学校で部活があるため
帰りは夕方過ぎ
それよりも早く帰ってくる僕は
兄の部屋に忍び込み
そのガンプラをガラス越しに覗きに行くのです

な、な、な、なにこれ?


この画像は
初代ガンダムに出てくるモビルスーツ
ゾックです
想像を絶する短足ぐあい
使い勝手の悪い指先
寸胴なフォルム

スタイリッシュなロボットたちの中に
このゾックが
ガラス戸の向こうの聖域に
並んでいるではありませんか

どう考えても、ダサい
すごく嫌い

なのに

な、なにこの、グリン?


僕は度肝を抜くフォルムはもちろんですが
何よりもゾックの色に、衝撃を受けたのでした

当時、プラモデルの塗料は
タミヤ、という会社が有名で
プラモデル店に行くと
専用の棚に、多くの種類の色に
番号がふられて売ってました

そして、ガンプラの組み立て説明書には
カラーリングもきちんと明記してあるので
兄は新しいガンプラを買うたびに
持っていない塗料を、その棚の中から買うのです

兄の学習机は、塗料のほか
ニッパーにセメダイン
そして、2種類の紙やすりが置かれており
僕には、理科の実験台のように見えたのです

そして僕は、このゾックの色は
何グリンなんだろう?

あふれ出した好奇心を
止めることができませんでした

そう、禁足地である
兄の学習机の上に並べられた塗料を
物色しだすのです

塗料をひとつ取っては、ひとつ戻す
僕が触った痕跡が残らないように
丁寧に密やかに

見たことのないこの緑の名前が知りたくて
ひとつひとつ色を確認しました
が、結局この時は見つからなかったのでした

※この緑色はパーツの色だったので
 緑色を塗る必要がなかったのです

そして、ここで
わずかなセメダインの匂いが鼻をついて

あぁぁぁ、気持ちいい


何ここ、素敵
セメダインの誘いに負け
探すことをやめてしまった僕はこの日
ギリギリで部屋を後にしたのでした

そして残念なことに
このグリンが何グリンなのか
この先ずっと、知ることはなかったのです

それからまもなく僕も兄にならって
プラモデルを作り始めました

それは、兄に影響を受けて
兄と一緒に自分も作ってみたかった

ということも理由の1つなのですが

僕はあの兄の作業台が羨ましく
いつか自分も、いつか自分も
そう願っていたからだったのです

そして肝心なことが、もうひとつ

あの見たことのないグリンを
自分だけのコレクションとして
僕の勉強机の上に保管しなければならない、と
と考えたからだったのでした

僕の、グリンのため

な"な"な"?


この画像は、ガンダムの次作アニメ
Ζガンダムの敵モビルスーツ
パラス・アテネです

小学生4年生の時

まだ奥行きのあるブラウン管だったテレビに
突如として現れたこのモビルスーツ

僕はまばたきを忘れてしまいました

黄グリン?


がしかし
僕の知ってる黄グリン色とは明らかに違う
何だろう
何なのだろう

分からない
このグリンが、分からない

あのゾックの時のモヤモヤがよみがえり
それからというもの
それまで以上、プラモデル屋に入りびたり

タミヤの塗料の棚から
ひとつずつ丹念に探しました

アニメを見た時の記憶しかないので
それらしいグリンを探すしかないのです

数種類のグリンの中から
黄グリン色ともうひとつグリン色がありました

それを手に取った時

またもや衝撃が走ったのです
今度は、雷が落ちたような体の震えでした

エメラルド・グリン!?



何度も何度も足しげく通っていたのに
なぜ今までこの色に
目が留まらなかったのだろう

エメラルドグリン
エメラルドグリン
エメラルドグリン

自分のものにしたい
自分のものにしたい
自分のものにしたい

今まで感じたこともなかった魂の共振
体はとても細かい振動で震え続け
のちに覚える射精と同じような
快感に見舞われたのです

そんなグリンに、出逢ってしまった

それからというものの
在庫を切らさないように留意して
僕が作るプラモデルのメインカラーは
すべてエメラルドグリンになってゆくのでした

青いロボットでも
エメラルドグリンへ
サーモンピンクのロボットでも
エメラルドグリンに置き換えてしまうのです

たかが外れたロボットのように
僕の心はエメラルド・グリン一色になるのでした

それにいち早く気づいた兄は
僕の病的な創作活動を
非常に忌み嫌い
親に言いつけてしまいます

これは本当は、赤いモビルスーツなんだ
これは本当は、青いモビルスーツなんだって
なんでエメラルドグリーンになるんだよ

苦虫を噛んだような表情で
僕を家族のさらし者にしたのでした

それに加え

当時、仲が良かった友達ですら
これはおかしいよ、と首を傾げるのです

この僕の行動に

親はこれと言って咎めませんでしたが
セメダインの匂いが原因なんじゃないかと勘ぐり
僕が創作活動で部屋にこもると
何度も何度も
窓がちゃんと開いてるか確認にきました

そこで、僕はまた気づくのです
あのランドセルの時と同様

人と違うことをすると、目立つ

見たまま、色を塗り
精度の高いものを完成させなければ
異常者として扱われるのだ

そこで僕は、当時大好きだった
百式というモビルスーツと
Lガイムというアニメのロボット
ヌーベルディザードを完璧にコピーし

兄をも唸らせる
プラモデルを完成させたのでした

もうこれからは
人はずれた行動は慎むべきだ

僕でありグリンであった僕は
この先ずっと
前面に出ることはなくなったのです

さよなら、僕のグリン

人生とは、魂の伏線を回収すること


【アップル・グリン】


僕は42歳になりました

同僚で仲が良かったゆうこさんは
本業の他に
メイクアップやエステティシャン
という裏の顔をもった人物でした

僕も料理家や催眠療法士として
裏の顔をもって活動していた頃で
彼女だけは僕の活動に
深い理解を示してくれていました

そんなこともあって
彼女が得意とする、パーソナルカラー診断
というものを受けてみることにしたのです

パーソナルカラーとは文字通り
自分の顔にあった色を診断するツールです

ゆうこさんはシックなwinter


まず、春夏秋冬
四季の中で
どれに属するのかを診断してゆきます

そしてその季節の中に該当する色で
1番自分の顔を引き立てる色は何色なのかを
探り当ててゆくのです

実際のやり方は、色のついた布を
顔の近くに当てがった時
顔がどのように変化するのかを観てゆきます

僕が彼女と約束した場所は
市内のマンションにある
個人経営のエステの一室で
美容室のような
大きな鏡のある席に促されました

そこでゆうこさんが
何色もの布を
僕の顎の下あたりに
当てがっていくのです

ここで驚いたことがあるのですが
自分の季節以外の色を当てがうと
顔が不思議とくすんでしまうのです

同じ顔なのに、すごく残念な顔になる
ただでさえ残念な顔なのに
ますます残念に思えるのです

反対に、自分の季節に合う色を当てがうと
僕の顔はパーッと明るく華やぐのです
艶が出て、口角が自然と上向きになる

それでも、オーランドブルームには
なれなかったけど

我々が感じ取っている色の世界は
光の屈折の仕方を認識しているだけです

つまり、我々の体もその光の屈折の中で
見えている色にすぎないのです

そう考えると色が意識に与える影響は
当たり前のことでありながら
計り知れない力をももっているのです

実際、自分に合った色の近くにいるだけで
こんなにも元気に見えるのですから

元気になりすぎて
真剣を持ってみました


診断の結果、僕は春の所属でした

すごく嬉しかった
だって僕は、4月生まれなのだから

そして、ゆうこさんは、その春の中から
自分に最もふさわしい色を探してゆきました

アイスブルー
サーモンピンク
オフホワイト

いくつか候補が上がる中
何度も何度も見くらべてくれて

ついに僕のパーソナルカラーを
決定してくれたのです

ゆうこさん:
山ちゃん、あなたのパーソナルカラーは


アップル・グリンよ


ゆうこさんのその声は
僕がずっとずっと昔に
燃やし尽くしてしまった灰の山から
鮮やかな春の息吹を
呼び覚ましてくれたのです

グリン

グリン

アップル・グリン!


人目を気にし、目立つことはしまいと決め
グリンとしての運命を封じた
あの日の呪いが

一気に解き放たれた瞬間


アップル・グリン


アップル・グリンの布を当てがわれ
今までにない艶のある自分の顔を見て
閉ざされたエネルギーが
自分の中から解き放たれるのを
身体が破裂するくらいに感じたのです

しましまグリン


自分にグリンを許可してからというもの

ある日
風呂場の床のタイルが剥がれたので
接着剤を買いに
ホームセンターに行った時のことです

会計の列に並び
いざ自分の番になった時
なぜかレジのおばちゃんが何度も何度も
僕を見るのです

会計が済み、お釣りをもらった時

レジのおばちゃん:
緑が、すごく似合いますね

思わず言わずにいられなかった
というような表情で言うのです

嬉しさのあまり、Facebookにつぶやいた


また、家の近所にできた
イオン系の小さいスーパーに
足りないものを買い足しに行った時のことです

またもやレジのおばちゃんが
おやまぁ、と言わんばかりの顔をして

こんなに似合うシャツ
よく見つけましたね

と、グリンにゆかりのない人たちが
僕が着ているグリンをほめるのです

これは、ただの偶然なのでしょうか

ねぇ教えてよ
僕の、グリン

プレシャスオパールがお守りだった


催眠療法の講師として各地に出向いていた頃
ちょうどあれは神保町でした

あの日は単独講師としては
関東で初めてだったので
縁かつぎで
グリンのネクタイをしてゆきました

すると

そのネクタイ、パーソナルカラーですか?

と、主催者が聞いてきたのです

偶然にも主催者も黄グリンのシャツを着ていて
これが僕のパーソナルカラーなんです
というではありませんか

彼は経験上
グリンの服装をする人を見かけないので
もしかしたら
と思って尋ねてみたというのです

愛しきアップル・グリン

今の僕は、あの時のように
何もかもがグリンにならないけど

君のこと、愛しているよ

僕の暮らしのグリン


すべてがグリンでしかなかった
あの日の拒絶を受け入れて

長らく30年
僕の中のグリンは

統合され

平均を得て

今では暮らしの至るところに
色を添えているのでした

僕の中のグリン
そして、僕は、グリン

グリン、ありがとう

今年のグリン、届きました



あとがき:
自分の記憶を漂いながら
緑という共通の思い出を引き寄せてみました
文字おこしをしていると
不思議なことに次々と記憶がよみがえってきます

でも、これは妄想かもしれない
注目を浴びたくて
都合よく作り替えた記憶かもしれない

子どもの頃の記憶はとても身勝手です
いや、すべての記憶自体、身勝手と言っていい

なので、この話は
発達障害の子どもを綴った
フィクションだと思ってほしいのです

実際に、物語にするため
相当脚色しています

現実がもっともっと過酷だったため
僕のグリンのためにも
このくらいのファンタジーにしておいた方が
大切にできるというものです

自分をさらけだすのは恥ずかしいものです
書いたはいいのですが
投稿を迷っているところ

後押しをされるように
noter、sakuさんの記事に偶然出会って

投稿してもいいかな、そう思えたのでした
ありがとうございます

じゃーねー



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