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クモニ83 100番台が走っていた頃

 クモニ83 100番台(以降 クモニ83だけにします)は、20mの大型車ながら、湘南顔の両運転台は非常に目を引くスタイルで、私のお気に入りです。似た車輛といえば、軽便鉄道の 井笠鉄道 ホジ1(101)、静岡鉄道駿遠線 キハD20(19)、小私鉄の紀州鉄道 キハ603 (604)、国鉄のキハ02・・・・とちっこい(大好きな)ものばかり 
思い浮かびます。

<クモニ83102  豊橋駅 飯田線ホームにて  1981年 後ろはクハユニ56>

 この時に、豊橋駅の下り側も、陸橋から撮影しています。

<豊橋駅下り側  1981年    右から クモニ83、80系、名鉄パノラマカー、153系>

 しょう―もない写真ですが、実に懐かしい組み合わせです。クモニ83が1輌だけでお昼寝している横で。ライバルのパノラマカーと中京快速
(推定)153系が並んで競争しています。

 当然、クモニ83も飯田線に来る前は、湘南電車80系の長大編成の先頭に立って、東海道本線を走行した車輛でした。日本国鉄電車特集集成   第一分冊(鉄道図書刊行会)に、「湘南電車の生い立ち」という記事が掲載されています。国鉄運輸局管理課の方が80系デビューの翌年の昭和25年に書かれたものの様です。この記事の実施計画に編成と運用という項目が あり、基本編成(10輌)と付属編成(4輌)の配備計画が示されています。付属編成に連結される形でモユニ81(形式は当時、蛇足ながらクモニ83の種車)も一緒に計画されていました。何が言いたいかと言うと、この様なゲテモノ(失礼!)が、改造などの様な後付けで作られたのではなく、正式に計画的に設計されて誕生した事が、大変うれしいのであります。湘南顔のデザインに余ほど自信があったのでしょう。


 高校を卒業して初めての夏休みに旅行した時の写真です。

<飯田駅にて  1977年  クモニ83102>

 飯田線の旧型国電華やかな時代を思わせる駅風景と書きたいですが、何故もう少し歩いて前から正面を撮影しなかったのか、見るたびに情けなくなる写真です。

 これは、旅行から帰った後で、アルバイトして買った一眼レフで初めて 撮影した時の写真です。

<三河大野~本長篠 1977年 前からクモハ42+3扉車+クハユニ56+クモニ83>

 撮影名所の長篠城の鉄橋を目標に、ウキウキして三河大野から歩きながら、出会った車輛を撮影しました。80系転属以前でクモハ42が豊橋機関区にいました。
 クモニ83が反対側ですみません。

 その後も、旧型国電への思いは絶える事無く、飯田線から旧型国電が消える前の年まで、飯田線を訪れ続けました。

<田切駅付近(推定)にて   1982年    クモニ83+クモニ13>

 田切~飯島間の撮影を狙いに訪れた時に、撮影地点へ向かって歩きながら、撮影したと思われる写真です。この日は、3月の晴天で、雪化粧した 中央アルプスがきれいでした。

<山吹駅にて     1982年    クモニ83101+クモニ13>

田切~飯島間撮影の帰りに山吹駅の交換待ちで撮影したと思われます。  この頃は、熱心でした。若かった。

最後にやっと撮影名所が出てきました。

<田切の鉄橋にて   1980年   クモニ83103+クモニ13025+クモハ43013>

あいにくの曇天で、中央アルプスが見えないので何も言う事はありません。

 これらの写真を見てお気づきの様に、80系が *1978年11月から  飯田線に転入していますが、残念ながら本来の形である80系の編成の先頭に立つことは無かった様です。当時は、全く気が付きませんでしたが、是非見たかった編成でした。しかし、80系の最後の活躍の場も飯田線であり、一緒に最後のお勤めを終えた事は、立派な生涯であったと思っています。

*鉄道ピクトリアル1983年5月「飯田線を走った車両」を参考にしました。


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