Twitter今日の一曲2019

Twitter「今日の1曲」連続投稿 2019.08.03 - 09

8月3日(土)
シカゴ出身のミュージシャン、バンドといえば、まず思い出すのは今年デビュー50周年を迎えたシカゴってバンドですが……。今日は彼らの話ではなくてですね(ないのかい)

もちろん他にもシカゴ出身のミュージシャンというのはいるわけです。ソウル/R&B系のアーティストでいえば、アース・ウィンド&ファイアとかチャカ・カーンとかステイプル・シンガーズとかね。

で、今日の1曲はといえば、1970年代に活躍したシカゴ出身の男性ソウル・ヴォーカル・グループの代表的なヒット曲でございます。全米1位を獲得したヒット曲。

1972年のナンバーです。19時ごろに。

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【Oh Girl (1972)】
Chi-Litesはチャイライツじゃなくてシャイライツと読むのが正しいようです。1970年代に活躍したグループの中でシカゴ出身というのは珍しいんじゃないでしょうか。彼らのおそらく最大のヒット曲がこちらです。ちょっと牧歌的なサウンドですかね。https://youtu.be/pjN8huzS2Nc


8月4日(日)
昔のレコードというのは、物理的な収録時間の上限があって、シングル盤だと最長でも8分くらいが限界ですが、ラジオのエアプレイのこともあって、だいたい4分内外に収まるように作られてましたね。

あまり長い曲はシングルバージョンとして、色々と編集されたりもしました。今日の1曲もそんな曲なのですが、もともとジャムセッションのような曲だったので、色々切った貼ったがあったようで。

かなり切り刻んでレコードに収めた経緯があったらしく、そのおかげで曲のタイトルが決まっだそうです。ロックのインストのヒットナンバーなんですが。

1973年のヒットナンバーです。19時ごろに。

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【Frankenstein (1973)】
エドガー・ウィンター・グループのヒット曲で、ロックのインストナンバーとしては珍しい全米チャート1位を記録してます。レコーディングされたモノが長過ぎて、トラックを切り刻んでつなぎ合わせたことからこのタイトルになったそうです。https://youtu.be/65XSHM3jlAY


8月5日(月)
「カントリー・ロード」などで有名なジョン・デンヴァーがまだ無名だった1966年ごろに、自費でレコードを制作して家族や友人に配りました。そのレコードを当時既に活躍していたピーター・ポール&マリー(PPM)も聴いたんだそうで。

その中の1曲をPPMの3人は気に入りまして、翌1967年のアルバムにレコーディングしました。元々のタイトルは “Babe, I Hate to Go” というんですが、別のタイトルに変えて。それが 今日の1曲です。

そのアルバムはヒットしたのですが、この曲は当初そんな注目を集めたわけではありませんでしたが、2年後の1969年になぜかシングルカットされてヒットしました。

全米1位になったPPM最大のヒットナンバーです。19時ごろに。

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【Leaving on a Jet Plane (1969)】
ピーター・ポール&マリーの最大のヒット曲となったこの曲はジョン・デンヴァーの作詞作曲。デンヴァー自身が自費制作したレコードでこれを聞いたPPMの3人が、自分たちのアルバムに吹き込み、さらにシングルカットしてヒットしました。: https://youtu.be/Qc-7SnMnX78


8月6日(火)
ジョン・コルトレーンは一人立ちしてからは求道者のようにひたすら自分の音楽を追求したイメージがありますが、だからといって他のミュージシャンとのコラボがなかったというわけではありません。モンクとかドルフィーとかジョニー・グリフィンとかエリントンとか。ギタリストでもケニー・バレルとか。

そういえば、ウェス・モンゴメリーともステージをやっていたという話ですね。残念ながら音源は残っていないみたいですが、聴いてみたかったな……。で、さて、今日の1曲はそんなコルトレーンとヴォーカリストとのコラボアルバムからの1曲です。

コルトレーンとコラボしたヴォーカリストといえば、1人しかいませんね。黒人の歌手ですが、あまりクセのない、いわゆるクルーナーという分類に入る人です。低音が魅力的な人でした。彼との共演はコルトレーン本人のアイデアだそうです。『バラード』の次のアルバムがこの2人の共演でした。

1963年のアルバムでした。19時ごろに。

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【Lush Life (1963)】
コルトレーンが『バラード』の次に吹き込んだジョニー・ハートマンとのアルバムから、ビリー・ストレイホーンのこの曲を。当初レコーディング予定に入っていなかったのですが、ナット・キング・コールの歌を聴いて急遽やることになったのだとか。https://youtu.be/0izjSUqCcSQ


8月7日(水)
メル・トーメという男性歌手がいまして、ものすごく歌の上手い人で、実はドラムも上手くて、しかも作曲もできて(あの「ザ・クリスマス・ソング」の作者です)という才人でした。

トーメは、まだ10代だった1943年ごろには、メル・トーンズという男女のコーラス・グループを結成していました。アーティ・ショーのレコードにヴォーカルとして参加もしています。トーメはこのグループのリード・シンガーでありアレンジャーでした。

今日の1曲はアーティ・ショーのレコードでも歌った曲を、後にメル・トーンズが再結成した時に再レコーディング(今で言うセルフカバー?)したナンバーです。

1959年のアルバムから。19時ごろに。

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【What Is This Thing Called Love (1959)】
メルトーンズはメル・トーメを中心に1943年に結成された男女混声ののコーラスグループ。アーティー・ショーと共にレコーディングしたコール・ポーターのスタンダードナンバーを、59年の再結成時にリヴァイヴァルしたのがこちら。 https://youtu.be/88DlBgS28sc


8月8日(木)
エリック・クラプトンという人は1960年代にはいくつかのバンドを渡り歩いていました。ジョン・メイオールのブルーズ・ブレイカーズとかクリームとか。他にもありましたが。今で言う自分探ししてたんでしょうか(笑)

そんな風に渡り歩きながら、彼がよく演奏していたブルーズ・ナンバーがありました。それが 今日の1曲です。ブルーズ・ブレイカーズ時代のモノが個人的には好きなのでそちらでお送りします。

クラプトンのオリジナルではなくて、アメリカのブルーズ・ピアニストが最初にレコーディングした曲です。インストルメンタルの曲ですね。

1966年のブルーズ・ブレイカーズの有名なアルバムから。19時ごろに。

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【Steppin’ Out (1966)】
オリジナルはメンフィス・スリムというアメリカのブルーズ・ピアニストが1959年にリリースしたインスト曲で、エリック・クラプトンは60年代にこの曲を好んで演奏していました。今日はジョン・メイオールのブルーズ・ブレイカーズでの演奏をどうぞ。https://youtu.be/Mmh0AcrKczc


8月9日(金)
親子で音楽をやっている、なんていうのはよくある話で、親子でプロの音楽家というのもまあ、そんなに珍しい話ではありません。じゃあ、親子で(別々に)全米ヒットチャートのNo.1になった曲を書いた、というのはどうでしょう?

さすがにそんな事例はとても少ないのですが、おそらくその最初の事例となったのが 今日の1曲です。母親は1950年代にあの大スターのNo.1ヒットを書き(共作)、息子は1971年のあのグループの大ヒットを書きました。

息子の方の書いた 今日の1曲は1971年の年間チャートでも1位になりました。ナンセンスな歌詞の歌で、レコーディングしたグループのメンバーは必ずしも気に入っていたわけでもないようですが、結果的には大成功したわけですね。

このグループにとっては初のNo.1ヒットでもありました。19時ごろに。

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【Joy to the World (1971)】
スリー・ドッグ・ナイト初の全米No.1ソングとなったこの曲は、自身もフォーク・シンガーであるホイト・アクストンの作ですが、彼の母親のメイ・アクストンはプレスリーの初のNo.1ソングである「ハートブレイク・ホテル」の共作者でした。 https://youtu.be/ARqu_ipnBnw

好きな音楽を紹介したり、演奏したり、音楽をテーマにした笑えるショートフィクションを書いています。ジャムセッションが好きなので、そのネタが多いです。