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中村あきらが経営者としてなぜ「parcy's」を事業としてやっているのか?

今日は「なぜparcy'sを事業として行なっているのか?」ということに答えていきたい。
最近は、以前にも増して「なぜparcy'sなのか?」と聞かれることが多くなった。

また以前よりも、受講生やお客さんだけではなく、投資家や取引先、一緒に働く人などの採用などを通じて文字通り多方面から「なぜparcy'sなのか?」と聞かれることが多いのだ。

以前よりも包括的に、かつ関わる人が増え、お客さんだけではなくスタッフや資金面での応援を含めて、経営者として「なぜparcy'sをやっているのか?」と聞かれているのだと感じる。

なので、今日は経営者中村あきらとして「なぜparcy'sという事業をやっているのか?」を語ろう。

ぼくの経営者としての夢は「世界一の会社をつくり、偉大な経営者になること」

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20代の頃、ぼくは大学で経営学を学んだ。そのころにたくさんの名著を読んだ。
その中でも特に心に響いたのが「ビジョナリー・カンパニー」と「7つの習慣」だった。

7つの習慣では、「自分が死ぬとき、葬式であなたはどんな人だったと周りの人は言っているのか?どんな人が参列して、あなたは何を成し遂げたのか?」と問われることがあった。
またビジョナリーカンパニーでは、「偉大な会社と普通の会社の違いは何か?」と比較された本で、とても面白くて、若い学生のぼくは「いつか偉大な会社をつくりたい」と思った。

そこからぼくの目標は、世界一の会社をつくること。死ぬときに偉大な経営者だったと言われて死にたい。
世界一の会社をつくった証としてノーベル平和賞を受賞したい。

20代のときにその目標をたて、それ以外は捨てようと生きてきた。決断するということは、決めたこと以外を捨てることだからだ。
そこから独立して13年、変わらず世界一の会社をつくることを人生の目標に今も生きている。

家具通販の会社で、組織とお金を通じて経営者としての未熟さを痛感した

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最初の立ち上げた会社は、家具通販会社で、年商5億社員30名まで成長することができた。
しかし、組織をマネジメントすることは、自分でビジネスをすることとは全く違ったことを感じたことを覚えてる。

ただ売上をあげるだけでは、組織は回らない。
ぼく1人だけが頑張っても組織は成長しない。
人が増え、起業家という生き方だけでなく、社員として安定して働く人と一緒に働くということは今までとは全く違っていた。
財務や会計が全くわからず、今自分の会社にいくらあるんだと分からなかった。

そんな風な経験を通じて、会社が資金ショートしてしまい、社員を全員解雇することになってしまった。
ぼくは大きく傷つき、そこからもっと経営について学ぶことが増えた。

特に財務や資金調達、ビジネスモデルなどめちゃくちゃ学んだ。
ただ営業やネットでものを売る以上に、どういう風に人に動いてもらえばいいのか?どういう風にお金の流れをコントロールすればいいのか?安定した仕組みをどう築いていけばいいのか?

勉強すればするほど、最初の会社の時は全くできてなかったことを痛感した。

世界中を周り、世界一の会社が集まるシリコンバレーに移住して、世界中の人々と触れる

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会社を解散して、身軽になったときいい機会だから、世界一を目指すために世界中を回ろう。世界一の都市に住もう。と思った。
それがシリコンバレーへの移住だった。

本や情報でビジネスモデルや会社の仕組みづくりを学びながら、シリコンバレーで世界の流れを体験させてもらった。
世界で見たときに、自分はどこで勝てるのか?どこで世界一になれるんだ?って世界一物価が高い街で必死に考えていた。

たくさんの学びがあったけど、特に大きかったのは以下だ。

・経営は何よりも続けていくことが大切。そのためには自分の情熱があること、マイペースに成長できるブルーオーシャンであること。
・自分は全く世の中にないものをつくる才能はない。挑戦もできない。でも、世の中にすでにあるものを新しい形にすることは得意だ。
・心理学や心を大切にしている人たちは何だかんだずっとつながりがある。

ということだ。
ぼくは世界で見たときに、シリコンバレーのやつらのように世の中にない全く新しいものは作れない。実際に、ビットコインが日本で流行る前にシリコンバレーではめちゃめちゃ流行っててたくさんの有名な経営者や知り合いが、ビットコインは500倍以上になる。と言っていた。実際にそれくらい跳ね上がった。

ぼくはそれにトライすることはできなかった。その後も今日本でやっと言われ出してるブロックチェーンの事業もやろうとしたが、やはり続かなかった。どんなに上手くいくとわかっていても、世の中に全くないものは自分は事業としてやっても続かない。形にすることはできないと悟った。

そこから、やっぱり実際に続いている心理学の分野で自分は世界一の事業をつくっていくしかないんだと思ったことを覚えてる。

世界中の優秀な女性が集まる会社にしたら、世界一になれる!と思った。

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情熱を傾けられて、事業として続けられるものは、心理学の分野しかいない。そして、心理学を人生の軸に置いている人とは一緒に働いていくことができる。

さらに、ぼくの特性として「女性に愛される」というのがあった。女性にモテるというわけではない、普通に生きてて「女性に愛される」んだよね。愛されるというのは、事業をしながらたくさんの場面で、ぼくは女性に支えられ、女性に助けられてるんだ。女性からしたら「何かこの人、大丈夫かな?ほっとけない」という気持ちにさせるだって 笑

社員がいた時の事業でも、女性社員は仕事ができて伸びていった。女性を育てる才能も自分に感じていた。
こういう経験から、ぼくが経営者として世界一になれるとしたら、世界中の優秀な女性が集まる会社にしたらいいんだという着想におちたんだ。

そこでじゃあ全部のエネルギーを注ごうと決めたのが、女性のためのパートナーシップカウンセリング&トレーニング「parcy's」の事業だ。
世界中の優秀な女性が集まる会社になったら世界一になれる。あとは、前の会社の失敗で、「誰と仕事をするか?」はとても重要な要素だった。女性は女性でも、誰かを喜ばせたいと心から思える女性が世界中から集まってくる会社ができたら、ぼくは幸せだって思ったんだよね。

あとは、やっぱり大きくなったときに「parcy's」はインパクトがあるし、大手や他の会社は絶対に参入してこないって自負があった。つまり、かなりブルーオーシャンでマイペースに成長することができた。

ぼくの中で、parcy'sはたくさんの女性のパートナーシップを救うことを担いつつ、経営者としては「一緒に働く女性」を引き寄せてくれるツールでもあるんだよね。

parcy'sをやりながら、そこから派生していくたくさんの女性と商品で、世界中の女性たちが働きたくなる会社をつくることがこの会社の大きな目標なんだ。

parcy'sは、「働く女性に「幸せな家族」を届け、日本の人口を幸せに増加させる」ことを目指している

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そんなぼくの想いで始まったparcy'sは、ぼくだけの想いだけではなく、たくさんの働く人や関係者の想いで今は成長している。
ぼくの中での想いは「世界中の優秀な女性が働く会社にしたい」というものだが、parcy'sはぼく1人の想いを超えて、たくさんの人たちにとっても自分ごとになっている。

ぼくたちがparcy'sという事業を通じて、つくっていきたい世界は、
『働く女性に「幸せな家族」を届け、日本の人口を幸せに増加させたい』ということだ。

parcy'sには、たくさんの悩めるキャリア女性たちが訪れる。その根底となる想いは、自分の自己実現を見つけたい、パートナーシップをうまくいかせたいという願いだ。

日本は、女性の社会進出によって女性たちの多くが迷っていることをこの事業を通じて感じている。
仕事と家族の両立、自分の自己実現、自分の自己肯定感など考えることはいっぱいだ。それゆえに日本では、晩婚化が進み、未婚化、少子化、離婚率の上昇、果てはそんな家族環境から、孤独死や自殺などに至っているケースも多い。子供が生まれず、自分を認められなく、自分の家族像に迷い、別れ、悩んでいる人々ばかりだ。

ぼくはそんな日本を変えたい。
parcy'sで女性の自己実現をサポートすることで、幸せなパートナーシップ、幸せな結婚生活、幸せな子育てをもたらすことができる。

そのためにparcy'sアカデミーのような、人生の転機となる環境をつくり、自己実現をサポートしていきたい。

たくさんの女性たちが自分らしい仕事をしながら、幸せなママになり、幸せな子育てをして、自己肯定感が高い子どもたちが育っていく。そしたら日本の人口もどんどん増えて、さらに豊かになっていく。

その鍵は、女性のパートナーシップと自己実現なのだ。
ぼくたちはそんな社会をつくっていきたいと思っている。

parcy'sを通じて、たくさんの女性たちが幸せになることを願ってる。その先には、幸せな家族、幸せなパートナー、幸せな子どもたち、そして豊かな日本があることを願がっているよ。

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