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新型コロナウイルスのワクチン接種体験記

 新型コロナウイルスのワクチン接種の1回目を7月14日に終えた。初日は特に副反応はなかったが、翌日になって腕の痛みを感じ、夜には発熱も出てきた。ようやく体調が落ち着いたので、体験記を残しておきたいと思う。

情弱ではワクチン競争に勝てない

 新型コロナウイルスの接種券(クーポン券)が自宅に届いたのは6月23日だった。藤沢市では7月末までを高齢者優先接種期間としていたが、基礎疾患のある人は市役所に接種券を請求すれば、一般枠よりも先に送付してもらえた。私は高血圧と高尿酸血症で毎月かかりつけ医に通っていて、毎日投薬しているので、文句なしの基礎疾患持ちである。このときばかりは、若い頃に我慢しないで、不摂生を繰り返した自分に感謝した。

 接種券が届けば、あとはワクチンを打つだけである。テレビや新聞では自治体に供給されるワクチンが不足する見通しが報じられていたので、1日も早く済ませてしまいたかった。だが、そんなに甘くはなかった。自衛隊の大規模接種センターは高齢者の2回目の接種が始まっていて、予約枠は少ない。ネットでは深夜0時に受付が始まると、あっという間に埋まってしまった。藤沢市の公共施設を使った集団接種は6月27日に始まったが、どの会場も予約枠がたった1日、しかも100~200人程度なので、受付が始まると一瞬で予約枠は埋まった。

 受付開始の日、パソコンとにらめっこし、時報と同時に予約サイトにつなげるが、既に満杯。そんなことを何回も繰り返していた。

 藤沢市は基本的に、医療機関での個別接種を優先していた。だが、個別接種の予約枠は7月末までは高齢者を優先している上に、かかりつけの患者が優先されていて、予約が取りにくい状態だ。その矛盾が集団接種会場に集まってしまう。

 状況が好転したのは7月に入ってからである。藤沢市は辻堂駅北口にあるココテラス湘南を会場に集団接種を始めた。週に3~4日、各日千人の予約枠がある。予約枠が大幅に拡大したため、受付開始早々に満員になることはなかった。それでも、その日のうちに受付を終了していたので、狭き門であることには違いない。

 電話ではつながらないことが多いので、必然的にネット予約が中心となるが、普段パソコンやスマホを使い慣れていない人には厳しい。しかも、ネットで市のHPをこまめにチェックしたり、県や市の公式LINEアカウントを登録しておくなど、情報の更新に敏感でなければ、このワクチン獲得競争を勝ち抜くことはできないだろう。

 そもそも、ワクチンを必要とする人が頑張らなければワクチンを接種できないのは、やはり国の無策だと言わざるを得ない。

接種瞬間の痛みはチクリ程度

 当日、午前中に「基礎疾患」の定期的な採血と薬の処方箋をもらいにかかりつけ医を訪れた。念のため「午後にワクチン打ちます」と報告したが、「そうですか」。終了。いつもよりかなり混んでいたので、看護師に「今日、混んでますね」と言うと、小さな声で「ワクチン接種があるんで」と教えてくれた。個別接種はかかりつけの患者さんに限定していて、しかも予約枠はいっぱいらしい。私も5年近く通っているので、お願いすれば予約をねじ込んでいただけたかもしれないが、身近なかかりつけ医は高齢者の患者さんに一人でも多く利用していただきたいと思って、遠慮した。

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 午後、いよいよ集団接種の会場へ。余裕を持って10分前には会場入りした。ココテラス湘南では5階が接種会場、4階が待合スペースとして確保されていた。予約した時間によって交互に、5階か4階に振り分けられる。私は4階だった。受付を済ませると、待合スペースは既に半分くらい埋まっている。30分後の予約の人も既に訪れていて、「5階に上がってください」と指示されている。いや、早すぎ(笑)

 待合スペースには距離を空けた椅子に番号が振ってあって、訪れた順番に座る。まずは予診票の記入。あらかじめネットでダウンロードして、記入することもできるが、記入済だったとしても現場の手間が省けるだけで順番が早まるわけではない。「現在、何らかの病気にかかって、治療(投薬など)を受けていますか」の欄には、記載欄はないが、スタッフからは具体的な薬の名前の記入も求められた。

 時間が訪れ、予診票の記入が終わると、いよいよ上の5階へと移動する。再び椅子に座って待機。四つの問診ブースと四つの接種ブースに分かれていた。それぞれのブースはパーテーションで区切られている問診ブースにはアクリル板越しの医師に予診票を渡す。内容は記載事項の確認のみ。こんなの必要か?とも思うが、予診票の記載が完璧であれば、医師から改めて聞くことはないのだろう。数十秒で、次の接種ブースに移動する。

 スタッフに指示された接種ブースに入ると、最初に「利き腕は?」と聞かれる。私は右なので、左に接種する。医師が「アルコールのアレルギーはありませんか?」と聞かれ、「ありません」と答えると、すぐに接種。

 ほんの少しチクリと感じるが、ほとんど針を刺されている感覚はなかった。午前中の採血の方がはるかに痛かった(笑)

 接種した部位に絆創膏を貼って、接種終了。医師に「今日はアルコールはダメですか?」と聞くと、笑顔で「ダメです」と答えた。「今日は休肝日と思ってください。ちょうどよい機会ですから」。

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 接種終了後は、15分間の経過観察を行う待機スペースに誘導される。ここも距離を離した椅子に番号が振ってあり、順番に座っていく。スタッフからは15分後の時間を記した紙を渡される。「上記お時間になりましたらご帰宅ください(体調に変化がなければ)」と記されている。座った椅子の数字の順番通りにスタッフが接種後の注意事項を記した用紙と次回の予診票を渡しながら声をかけてくる。とはいえ、彼は質問してもほとんど答えられない。すぐに近くの正規職員が呼ばれる。

 藤沢市と市医師会による注意事項には、①アナフィラキシーと②注射部位の腫れ、痛み、発熱や全身倦怠感、頭痛や筋肉痛ついて書かれていた。前者は「休憩室で体の痒みや蕁麻疹、気道の狭搾感や呼吸困難、腹痛や吐き気、眼のかすみなどが出現した場合は近くのスタッフに直ちに声をかけて下さい。万が一、帰宅後にこのような症状が出現した場合は直ちに119番で救急車を要請して下さい」と書かれてある。後者に関しては、「比較的高い頻度で出現しますが、数日で自然軽快します」としている。

 私は、最初に針を刺されたチクリという感覚以降、特段変化はなかった。だが、私が待機した15分のうち2人、異変があってスタッフを呼んでいた。そのうち1人は接種部位から出血があったらしい。すぐに看護師がやってきて、対応していた。用紙に記された時間が過ぎると、一人ひとり席を立って出ていく。私も出口の人が減った段階で席を立った。

 接種会場に近いテラスモール湘南で、お茶をしながらしばらく休んだ。じわじわと接種した左腕が重くなっていくのを感じた。これは思い込みかもしれないが、じわじわと身体中に何かが浸透していくのを感じていた。まるで点滴を受けているような感覚だ。この段階では発熱や倦怠感はなかった。1回目は副反応が軽いと聞いていたから、こんな程度なんだろうなと思った。

副反応の本番は2日目から

 マニュアル通りだと、ワクチンの副反応は翌日以降に出る。念のため私は接種会場に近いドラッグストアで市販薬を買った。政府はアセトアミノフェンが含まれた市販薬を推奨している。とりあえず、大正製薬のナロン錠を選んだ。

 帰宅して、日が暮れてから腕の重みが増してきた。腕を動かすと接種部位周辺に痛みが走るようになった。ヘタに揉むと内出血を起こすので触らなかったが、時間が経つにつれて、その症状は強くなった。

 翌15日、午前中は腕の違和感を覚えながら過ごしていたが、午後になって倦怠感が襲ってきた。副反応に備えて用事を入れてなかったから、おとなしく自宅で過ごした。ナロン錠を飲んだら腕の痛みはなくなった。しかし、夜になって念のために体温を計ったら、37.4度まで上がっていた。ナロン錠を飲んで、ミネラルウオーターを飲みまくる。2リットルのペットボトルがすぐに空になった。

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 早朝、起きて体温を計ったら36度台まで下がっていた。市販薬とはいえ、ナロン錠は有能である。これはおすすめしたい。

 体温は下がったが、午前中は倦怠感で寝ていたが、夕方には接種前の体調に戻っていた。腕を動かすと、たまに左腕に痛みを感じるが、苦痛を感じるほどではない。

 新型コロナウイルスに感染した経験があると副反応が強いと聞いたが、1回目のワクチン接種では不安になるほどの副反応はなかった。副反応の出るまでの時間も、収まるまでの時間も含めて、マニュアル通りの副反応だったと思う。

 かかりつけ医による個別接種なら次回の診察の際に副反応について確認ができるが、集団接種の場合、被接種者が個人的に相談窓口やかかりつけ医に相談しないと、行政側が副反応の有無を確認することすらできない。新型コロナウイルスの療養者向けにLINEでのフォローが行われているが、同様に接種を終えた人で希望者はLINEアカウントを登録し、毎朝症状を記録できるような簡易なフォローの仕組みができないものだろうか。

 こうした情報が蓄積し、分析・見える化すれば、ネット上で拡散されるワクチンのデマに対する誤解を解く材料にもなるだろう。

反権力と反ワクチンの親和性

 ファイザー製のワクチンは3週間後に再度、接種しなければならない。私は1回目の接種を終えたばかりだが、ワクチンを接種しない合理的な理由は見つからなかった。若い人は新型コロナウイルスに感染しても重症化しないので、面倒な副反応が嫌なら接種をためらうこともあるだろう。アレルギーや既往症によってワクチンを打てない人もいる。ワクチン接種は強制ではないから、そこは寛容に受け入れたい。だが、ネットでシンプルにデマを信じてしまい、接種を拒否する人の気持ちは理解できない。

 私が接種した翌日、BuzzFeedが衆院議員が発信したワクチンデマについて報じていた。

 一流大学を卒業し、立派な大企業に就職し、30代にして野党第1党の衆院選公認候補者に選ばれた方が、こうもあっさりと反ワクチンの罠にハマるというのは、率直に驚きだった。取材に対するコメントは既に各方面で論破されたものばかりの賞味期限切れの主張ばかりで、説得力がない。衆院選が近づくと、こういう候補者が町場に出てきて、選挙という名のもとに反ワクチンの風を吹かせまくると思うと、背筋がゾッとする。

 一方で、立憲民主党公認ということで、ああ、またリベラル・左派なのかという、既視感も得られた。東京電力福島第一原発の事故で全国に放射性物質が飛散した際にも、放射能に関するデマを振りまいたのは、主にリベラル・左派の方々だった。今、ネットを眺めてみても、反権力のアイデンティティーを持つ方々がワクチンに懐疑的な主張をしているのが分かる。

 自民党のように、コロナ禍の収束をワクチンに頼り過ぎて、供給不足で足元をすくわれるというのも問題だ。だが、リベラル・左派の政治家がやたらとワクチンに対して消極的に見えるのは気のせいなのだろうか。

 私も20代、30代だったら、ワクチン接種を性急に行う政府に対して不信感を持ったかもしれない。反権力のアイデンティティーを意識しているならば、社会全体で同調圧力を作り出して、そこに従わないものを排除するような傾向には抵抗すべきだと思っていた。それこそ全体主義・ファシズムであり、日本を戦争に巻き込んだ思考そのものではないかと。権力が旗を振って、社会がそれに疑問を持たずに突っ走ったら、多くの人が不幸になるのではないか。大本営発表をうのみにすべきではないと。

 分かる。その思考回路は理解できなくもない。今でも私は左巻きの意識でいる。

 しかし、2011年3月11日の東日本大震災、それに伴って起きた原発事故を契機に私は情報との向き合い方を見つめなおすことにした。特にこの5年ほど、Twitterとのかかわり方は気をつけている。SNSは考える力を奪う。脊髄反射ばかり得意になる。お手軽に世界の〝陰謀〟を暴き、正義の味方になれる。多くの人たちが知らない〝驚くべき情報〟を知り、国や人類を滅ぼそうとする何らかの悪と敢然と戦うヒーロー(ヒロイン)になれた気がして、現実社会では得られない承認欲求を満たすことができる。

 リベラル・左派と言われている人たちが放射能の拡散を理由にどれだけ福島を愚弄し、デマを広げたか。福島産の食べ物を忌避し、震災がれきの受け入れに猛反発し、復興の妨げになってきた。その中には、奇形児が生まれるとか、二度と人が住めなくなるとか、今となっては滑稽なデマも含まれていた。

 考える力を奪ったSNSと反権力の思考が重なると、科学的な知見は往々にして無視される。「御用学者」という用語で科学者を品定めし、科学がもたらした相対的真理よりもイデオロギーを優先するようになる。専門家に平気で石を投げるようになる。

 私は現在の自公政権下でのコロナ対策はポンコツだと思っているが、尾身茂氏をはじめとする「御用学者」を信頼している。この1年半、未知のウイルスに対して国民に正しい対処を教えてくれたのは彼らだ。その一方、テレビなどで活躍する有名コメンテーターや自称専門家たちは不安をあおるばかりで、納得のできる答えを導き出してはくれなかった。

ワクチンデマシンポジウムを観た

 私がワクチンを接種した翌日、7月15日に一般社団法人セーフティインターネット協会が「ワクチンデマシンポジウム」を開催していた。この団体は「インターネットの悪用を抑え自由なインターネット環境を護るために、統計を用いた科学的アプローチ、数値化した効果検証スキームを通して、悪用に対する実効的な対策を立案し実行していく団体」である。

 困ったことに、インターネットというプラットフォームは、多くのユーザーにとっては匿名で有名人に石を投げても怒られない場所という認識になってしまっている。そういう潮流を是正しようという個人や団体は少なくないが、なかなかネットでは大きな声にならないのが残念だ。

 ちょうど副反応が出るようになって、少し不安になりながらYouTubeでシンポジウムを観ていた。

 古田大輔氏(ジャーナリスト/メディアコラボ代表)は、「デマを叩き潰すことが目標ではない。接種率を下げないことだ」と指摘していた。

 SNSを見ていると、「論破」することが気持ちよいものだから、反ワクチンの言論に対してケラケラと笑いながら石を投げて、「はい、論破」と遊んでいる人たちは意外に多い。論破するつもりになっているだけで、向こうからすれば「クソリプが飛んできた」としかならない。これを繰り返しても、相手の理解は得られないし、お互いの理解できない分断が広がる以上の意味はない。

 シンポジウムで痛感したのは、メディアが国や自治体が発表する情報を、横文字を縦にするだけの記事ではなくて、その意味するところを理解して記事を書く必要性だ。「ワクチン接種後に●●人死んだ」の類の不安は、それによって相当緩和されるのではないか。これは新規感染者数や死亡者数の出し方も同じだ。

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 いかんせん、ワクチンを接種した人は全員、ワクチンを接種した後に死ぬ。これは当たり前のことで、ワクチンを打とうが打たまいが、人は死ぬ。だが、厚生労働省は因果関係の有無にかかわらず接種後に死亡した数字を公表しているので、それをそのまま縦文字に変換してしまうと、読者が不安に思うのは当たり前なのだ。

 そもそも、速報を報じる必要はあるのか。過剰に大きな見出しで騒ぐ価値があるのか。

 不思議なことに、マスメディアはワクチンが大嫌いだ。前述したように、「反権力」の病理に取りつかれているからだ。具体的な事実より、「政府は何らかの秘密を隠しているはずだ」から思考が始まる(それ自体は間違っていないから厄介なのだが)。だから、ポジティブな情報よりネガティブな情報に飛びつく。

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 忽那 賢志氏(大阪大学大学院医学系研究科・医学部 感染制御学講座)の資料から。

 日本で承認されているファイザー製とモデルナ製はとても優秀で、発症予防効果は90%台。ちなみに、厚生労働省によるとインフルエンザワクチンの有効率は60%しかないというから、コロナワクチンの効果が絶大であることが分かる。

 要するに、このワクチン、打たなきゃ損なのだ。

 ただし、接種率が低いと本来の〝魔法の杖〟としての効果が出てこない。ウイルスは人間の細胞に入らないと増殖ができない。だから、集団の中で感染を伝播させる相手がいないと、そこで感染は収束する。そのためには、ワクチン接種によって免疫を持つ人たちが圧倒的に多数になることが必要だ。個人がかかる、かからないより、そういう社会的な貢献の意味合いの方が大きいのだと思う。

 これが感染症のド素人が1回目の接種後に落ち着いた結論である。


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