【自治トピックス】No.52
週末に久しぶりに福島県の浜通りを歩いた。土曜日にJRの富岡駅でバスの発車を待っていて、外国人の男性がかたことの日本語で1万円札を使えないかと運転手に尋ねた。「お釣りないんですよ。現金ありませんか?」「Suicaは使えないですか?」「Suicaは使えないんです」…困り果てた運転手は、「駅で両替してきてくださいよ」と提案した。出発までには数分時間がある。改札口はすぐそこだから間に合うはずだ。その男性が駅舎の中に入っていくのを眺めながら、私はふと思い出した。富岡駅は昨年夏から無人駅になっていたのである。思わず運転手に「この駅って無人駅じゃなかったですか?」と言うと、運転手は困った顔をして「そうでしたっけ?私もこの路線は久しぶりに乗務するもんですから」と苦笑した。駅舎にはかつて売店と飲食スペースが入る店舗も併設されていたが、それも最近閉店してしまったのだそうだ。運転手も「これじゃあ、ますます駅に人が寄り付かなくなる」と渋い顔をした。富岡駅まで常磐線が運転を再開した当時、ここは〝始発駅〟として多くの旅行客や地元の人たちで賑わっていた。現在は特急停車駅でありながらも、相双地区から東京に向かう人たちにとっては〝通過駅〟の一つでしかなく、いつの間にか昼間でも閑散としている。
さて、問題は1万円札であるが、男性は無人の改札口でどうしたのか。帰りの切符を1万円札で買い、そのお釣りをバスの運賃に充てることにしたそうだ。かくして、たった2人の乗客を乗せて、バスは走り出した。この路線バスも日曜日は運休なのだそうだ。
富岡町で用事を済ませ、帰りの電車に乗るために富岡駅まで戻ってくると、僅差でいわき行きの電車に乗り遅れてしまった。カメラ抱えてフラフラと歩いていて、時間を勘違いしてしまった。仕方なく、バスでいわき駅まで移動しようと思い、駅でバスを待つことにした。すると駅舎の待合スペースでは、白髪交じりの老人が2人、缶チューハイを引っかけていた。楽しそうな談笑が聞こえるが、酒臭い。そのうち、一人は帰ってしまい、残る一人がポツリと誰もいない駅舎で酒を飲んでいた。私は酔っ払いに巻き込まれたくなくて、寒空の下でバスを待っていた。日が傾いてさすがに冷え込んでくると、駅舎に残された老人は、飲み終えた空き缶をレジ袋に入れて、フラフラと駅前広場に向かった。私は目を疑った。タクシーに乗ったのである。駅舎のベンチで缶チューハイで乾杯し、帰りはタクシー。いやはや、なんと優雅な週末か。いや、これは本当に優雅なのか。
富岡駅からいわき駅までのバスは、私一人だけを乗せて出発した。途中、何人か乗客は乗ってきたが、終点までほぼ空気を乗せて走っていた。いわき駅まで着いて気づいたのだが、1日3往復しかない路線バスはJR常磐線より運賃が割高だった。
さて、今週もニュースの切り抜きから始めよう。
「オミクロン株」という変異種の爆誕で、世界的にオミクロン・パニックの状態に陥っているが、少々反応が極端すぎると感じる。第1波のころから変わらないが、国内で感染が確認された段階で、既に潜在的には感染が拡大していると考えていいだろう。今さら水際対策とか言っていても、対応が遅すぎるのではないか。一方で、欧州の事例を見ると、感染者が増加しても死者数が激増しているわけでもない。安易にウイルスが弱毒化していると判断することは危険だが、現状で生活環境の規制を強める必要はないのでは。
特別区長会の山﨑会長も懸念しているが、3回目のワクチン接種に関しても、急がなければならない理由はあるだろうか。今年、ワクチン供給の見通しの甘さからワクチンが足りなくなったばかりだ。既に明らかになっている感染者のうち、重症化の事例が少ないのであれば、予定されたスケジュールで粛々とワクチンを打っていけばいい。
「感染力が強い=重症化リスクが高い」とは限らないのだとしたら、まさに「普通の風邪」として社会が受け入れる余地もできるはずだ。そういう楽観的な判断をするまでの材料もないというのが正直なところだ。
2桁のクラスターは久しぶりに聞いたと思う。群馬県と言えば、昨年のこの記事が思いつく。
昨年、工場で働く外国人を中心としてクラスターが発生し、行政側も対応に苦労していた。今回、国籍が分かっていないことや、変異種の種類も公表されていない。だから、安易にオミクロン株と決めつけることはできない。ただ、集団で働く工場はリスクが高いということを念頭に置いて、予防を強化した方が良いのだろうね。そして、こういうことが起きると、どこからともなくわいてくる「外国人がーっ!」という差別にも気をつけたい。
コロナ禍真っただ中には、コロナ療養者や住宅を失った人などに一時的に提供してはどうかという声も出た選手村。東京五輪終了後も、人気は高いのだそうな。これでは業者は、他の用途に貸すなんてことはないだろう。首都直下地震がどうの、コロナ禍がどうのと言われていても、都心は衰えを知らない。晴海のある月島地区には将来的に10万人が住み、中央区のまさに中心として栄えるのだ。もちろん、貧困層がそういう地域に入る余地などない。リア充によるリア充のためのリア充の街が完成する。
東京都心では依然として晴海のような人口集中が進んでいるにもかかわらず、政府は相変わらず東京一極集中の是正に取り組んでいるというから不思議だ。東京五輪の開催で、日本全体が東京に資本を投下しているというのに、政府は、ちょっと待て、地方に金を回せと言っている。言っていることとやっていることが真逆で、一貫性がない。
これは当たり前で、道府県の持つ広域行政を政令市に一元化しようというわけだから、道府県の立場が弱くなることは必至だ。逆に都構想のように政令市の持つ広域行政を道府県が一元化しようとすれば、当然、政令市の側が反発する。どちらかを立てれば、どちらかが立たない。ただ、「特別区」のような不安定な特別地方公共団体を残すのであれば、住民に身近な行政も広域行政も一元化して「特別自治市」一本に集約した方が分かりやすいに決まっている。
半年も前の、しかも知事選期間中に公の場で発言したことを、今になって騒ぐこと自体が常軌を逸している。知事の動きなら地元記者が入っていたのではないか。なぜ、そのときに記事にしなかったのか。結局、リニア問題で苦境に立っているJR東海からの働きかけで、自民党があらさがしをしているだけだ。それに地元メディアも結託しているから厄介だ。
いっそ川勝知事は県議会を解散して、県知事選も出直し選を仕掛ければいいのだ。間違いなく勝てるから。
市長が失政を犯したわけではないと思うが、1期目の途中なのに早くも公約を実現していないとか、市政運営が云々とか、いくら何でも早すぎるだろというのが実感。気に入らないからリコールなんてことを許せば、それこそ組織・団体の思うがままになる。保守的な地盤ではありがちなリコールの濫用だ。要するに、リコールできる1年が過ぎたから、辞めさせてやれということでしかない。
兵庫県豊岡市という、いかにも保守的な地域で、タンクトップのマッチョな筋肉をアピールしたポスターを張って、子どもたちに大人気だったとか。さてさて、大阪や東京の市議選ならどうなっていただろうか。田舎だから許されたのか、それとも誰にでも響く魅力があったのか。
まだ26歳だが、いつまでもイデオロギーに毒されず、独自の路線を貫いてほしい。
これはぜひ他の地域でも実現してほしい。例えば、東京都と神奈川県は実質的に同じ生活圏なので、相互乗り入れの相乗効果は高いはずだ。範囲を拡大して、首都圏割のような枠組みにできないだろうか。
事故が増えているので、規制が強化されるのはやむを得ない側面がある。しかし、行政が規制側からキックボードの可能性を否定するのではなくて、そういう文化を育てる立場にも立ってほしい。安全な使い方をすれば、自転車よりもかさ張らず、観光地での街歩きにも活用できるのではないか。
町議会のHPを見たら、町民が傍聴できるのは本会議のみらしい。つまり、一般質問がなければ、町民は何が議論されているのか見えない。要するに、密室で色々と決めたいのではないか。
それにしても、イデオロギーに根差したくだらない不信任やリコールは散発されるのに、こういう町議会に対するリコールはない。日本の民主主義って、そんなものなのか。
これは素晴らしい。議会審議より育児優先。しかも、議員一人が会議を抜けるだけではなくて、議員全員で育児時間を待つのだから、議会全体で育児を支えているようなものだ。かつて議員が子どもを議場に連れて入り、議論になった事例があったが、全会一致でこういう規則をつくれたことは幸いだ。
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