年の瀬の今の時期が一番落ち着く。クリスマスが終わって、大みそかを迎えるまでのイベント空白期。つい昨日まで巷にはジングルベルが鳴り響き、恋人たちはなぜかホテルでセックスし、普段は険悪な家族もクリスマスケーキの前では仲の良い振りをする。駅前ではホールケーキの山が連なり、24日の夜にもなると安売りが始まる。日本人にとってバカバカしいまでのお祭り騒ぎ。ところが、26日になると、まるでけろっと忘れたように日常を取り戻す。残されたのは、必要もないのに買って、余りを腹が膨れるまで食ったホールケーキ分のカロリーである。それも年末のジム通いで消費してしまうのだろうか。クリスマスが終わった繁華街はまるで腑抜けで、お正月までの期間を消化試合として無駄に過ごそうとする人たちが気怠そうに闊歩している。しかも、今日は寒い。大掃除をする気にもなれない。それでも、目的を失った人たちの怠惰なモラトリアムが一年で最も落ち着くのだ。ああ、オワタ、オワタ、今年がオワタと、心が晴れていく気分になる。
そんなわけで、今週もニュースの切り抜きを見てみよう。
クリスマスムードを嘲笑うかのように、東京でオミクロン株の市中感染が確認された。一人いたら、他にもいるのはデルタ株で学んだはずだ。遅かれ早かれ、日本の新型ウイルスもオミクロン株に置き換わる。今はただ水際作戦でスピードを抑えているだけだ。
尾身茂会長は非常に明快だった。「帰省旅行」も「忘年会・新年会」も、基本的な感染防止対策を行った上でゴーサインを出している。お役所用語では「慎重に検討」は「やらない」という意味だが、尾身会長は自粛を呼びかけていない。
その上で、3回目のワクチン接種が「最も重要」と述べている。つまり、サクサクと3回目のワクチンを打とうということだ。
尾身会長の〝大本営発表〟で自体は十分飲み込むことができるが、ここはやはり西浦博先生に登場していただこう。
まずはワクチン接種について。
尾身会長と同様、一刻も早く3回目のワクチン接種を行えというのが結論だ。
では、忘年会や新年会、帰省などはどうか。
慎重に言葉を選んでいます。問題は「政治や国民の合意形成」だと指摘している。国民一人ひとりがリスクの高い行動を見直すことが大切だという指摘だと私は受け止めた。自粛しろとか、ステイホームしろとか、強力な規制を求めているわけではない。
クリスマスが終わり、学校の冬休みが始まったので、繁華街が非常に混雑している。あまりの密状態に、思わずウッと足を止めることもある。それでもほとんどの人たちはマスクを着用している。その律義さは日本人らしいし、これからも続けていただきたい。ただ、わざわざ換気の悪いフロアで密集しながら酒を飲んで、大声で騒ぐ行為がどういう結果を生むのか、デルタ株のまん延で気づいたはずだ。
西浦氏のインタビューでも話されていることだが、これまでより感染力が強く、重症化リスクが低いとしても、一定の比率以上の感染者が出れば、数として重症患者も増えるし、病床が埋まることは事実だ。つまり、1000人の感染者のうち10人が重症化するとして、その倍の2000人の感染者のうち10人だけ重症化したとしても、重症化の割合が半分でも病床を埋める数は同じということだ。だから、感染拡大のピークをできるだけ遅らせ、カーブを緩やかにすることは、これまでと変わらない。
もう一つ、神戸大学の岩田健太郎先生の見解も紹介しておこう。
岩田先生もやはり、3回目のワクチン接種を急げという見解だ。つまり、いくら検査を拡充しても、検査した本人が安心するだけで、オミクロン予防にはつながらないということ。
私も、この見解に賛同したい。
笑っちゃいけないが、失笑せざるを得ない。日本がいくら水際作戦とか言っていても、米軍基地からダダ漏れでは何の意味もない。それにしても、米軍は沖縄で重要な選挙が近づくと〝やらかす〟傾向にある。まるでオール沖縄を援護射撃するかのように事件が起きる。コロナ対策は本来、玉城知事にとってのアキレスけんであるはずだが、こういうことが頻発すると、また米軍基地に沖縄県民の不満が向くのは時間の問題だ。
非常に無難な選挙結果。小池百合子都知事直々に応援に入ったことで、細谷元都議には注目が集まったが、投票率4割弱程度の選挙で共産系候補に8千票も獲られては勝てるはずもない。
つうか、なんで都知事がお出ましになったのかね。
気がついたら東京都だけが全国に置いてきぼりにされていたというみっともない案件。ここまできて、性別欄を廃止しますと言い切ることができないのは、いったい誰がブレーキをかけているのだろうか。
ウイルス対策で手洗いが重要になっていることは理解できる。しかし、手洗いというのは、行政がとやかく言う問題なのか。社会のルールというより、個人個人の行動の規範でしかない。条例を制定すれば、手洗いが普及するというものでもなかろう。議員提案の条例にはありがちだが、啓発的な条例が実際に機能することは非常にまれである。
埼玉県では議員提案で、エスカレーターで立ち止まることを求める条例が制定されたが、やはり掛け声に終わっている。
埼玉県だけポスターを張っても、マナーが良くなるはずもない。そもそも「県」の仕事なのかも疑問だ。しかも、この条例には結果責任が伴わない。ずっと啓発していればよいお気楽な条例だ。
議員提案は悪くない。どんどんやるべきだ。一方で、地方自治体の権限には限界がある。財政的な裏付けも必要だ。啓発条例を山ほど積み重ねても、なかなか住民生活の向上というわけにはいかないのではないか。
首都高の老朽化問題は、地味ではあるけれど非常に大きな課題。単に金がかかるというのではなくて、そもそも無茶な場所に高速道路を引っ張ったがゆえに、大規模改修が非常に難しいのだ。空港バスに乗ると分かるが、ビルとビルの狭間を縫うように首都高の高架が立っている。これらのインフラは何十年にもわたってだましだまし補修をしながら維持してきたが、いよいよ限界が近づいている。
大規模改修による迂回ルートは簡単には確保できない。東京外郭環状道路が全通し、いわゆる三環状がそろえば、都心の通過交通をなくすことができる。だが、外環道が東名以南まで伸びるには、あと何十年かかるか分からない。川や公園の直上を通る高架道路など、この際、思い切って廃止してしまえばいいではないか。道路優先社会からの転換まで考えなければ、延々と大規模改修にカネと時間を投資することになる。
差別的発言自体は即刻断罪されるべきなのだが、市議会議員の発言に対して、本人ではなく市が賠償責任を負うという超絶変化球が面白い。地方自治体は、執行機関と議会との二元代表制に基づいているが、執行機関は議会を指導したり、教育したりする権限はない。双方は独立した機関だ。この判決が確定すれば、全国の自治体は議員の発言をチェックして、ダメ出ししなければならなくなる。
全国どこの自治体にも、多かれ少なかれ、こういう失言野郎がいる。昔はそれで笑って許してもらえたが、今はネット中継を通じて拡散されてしまうからやっかいだ。9期も務めたのだから、そろそろ身を引いていただいてはいかがだろうか。
首長の独断で進んだ条例で、たかが明石市で制定されたからどうということでもない。ただ、地方からこうやって風穴を開けると、全国に波及することを、私たちは様々な事案から学んでいる。だから、地方自治は面白い。
そもそも、こういう条例こそ、議員提出議案として出てこないのだろうか。議会がもっと頑張ってほしい。
地方自治は可能性の宝庫。そういうダイナミズムを理解できる保守政治家が減ってしまったことが残念だ。