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【大阪都構想】四つの保健所で、新型コロナウイルス対策が目詰まりを起こす懸念

 こんなnoteの片隅の記事を読んでくださる方もいるそうで、某新聞のデスクからご連絡をいただいた。私自身は都構想など地方自治の歴史上かつてない愚策だと思うが、ここの記事はそういう賛成・反対という二元論を越えたヲタクっぽい議論をしていきたいと思っている。そして、そういうヲタッキーな興味を持った方はぜひ、11月1日までお付き合いいただきたい。

 今日は、新型コロナウイルス感染症対策と保健所の役割について考えてみたい。

保健所が四つに増えれば安心?

 コロナ対策については、これまでの間、かつてのように府市バラバラでなく、知事と市長の方針を一本化し、「住民の命を守る」ことを最優先に、医療体制の強化や市民の皆さんの生活支援、教育環境の充実などに全力で取り組んできました。
 こうした対応を都構想により強化することが必要と考えています。また、新型コロナウイルス対策において、大きな役割を果たしている保健所は、今は1つですが、4つの特別区に設置されます。
 さらに、感染の収束も見据えた、大阪の再生・成長、住民サービスの充実に向けた長期の視点での将来設計を描くことも重要であり、引き続き、都構想を着実に進めていきたいと考えています。

 大阪市役所の公式HPに10月1日付で松井一郎市長のメッセージが掲載されていた。特別区制度案に対する市民意見の募集を行ったところ、「都構想ではなくコロナ対策に全力を尽くすべき」という意見が多かったことから、市長直々にメッセージを出したということだ。

 今回、特別区設置案では、特別区には中核市並みの事務を移譲することになっていて、その代表的なものが保健所である。東京の特別区にも23区全てに保健所が設置されている。現在の大阪市には保健所が一つしかない。だから、特別区が四つできれば、保健所も四つに増えるということだ。それだけ考えれば、感染症対策は充実するように見える。実際、一つより四つの方がいいに決まっている。

 感染症対策を行う上で、大阪府と大阪市がバラバラではなく、連携しなければならないのは言うまでもないが、これは特別区でも同じことである。特別区が四つあり、保健所も四つある。府と四区がバラバラの考えでは、感染症対策は空中分解する。

 何が言いたいかというと、都構想だから新型コロナウイルス対策がうまく行くようになるというわけではない。

菅義偉氏が指摘した「東京都と23区の連携不足」

 これは、8月1日に菅義偉官房長官(現首相)が日本テレビ系『ウェークアップ!ぷらす』に出演した際の発言である。

東京都と23区の関係を「非常に根詰まりを起こしたということですよね。3月には都内で何人検査をしたのか全く数字があがってきていなかった」
「私自身が厚労次官に指示し、国と東京都と23区の保健所を集めた会を行い、そこから数字が出るようになった」
厚労省に調べさせたところ、案の定、都庁と23区の保健所の連携がうまくいっていなかった。というのは、私はかつて政令市(横浜市)の市議会議員をやっていたので、ピンと来たんですね。政令市や23区の保健所はある意味、都道府県から独立した存在です。だから、23区の保健所も都庁に報告を上げないし、都庁もそれを放置する。小池知事も当初、「23区の保健所対応は国の問題でしょう」と公の場で言っていたほどです。しかし、PCR検査やクラスター対策などの感染症対策は保健所が担いますが、周知の通り、知事には特措法に基づく権限や医療提供体制の確保に関する権限がある。この権限をきちんと生かせば、情報を入手することもできるはずです。

 これは、「文藝春秋digital」での菅氏の寄稿文である。

 菅氏はしばしば東京問題を語る際に、都と23区との連携の問題に苦言を呈している。今考えてみれば、この頃から菅官房長官が安倍首相を出し抜いてテレビなどメディアに顔を出し始めていた。明らかに力関係が逆転したように見えていた。次期首相への布石は打たれていたと考えていい。

 そういう政治的な思惑は置いておいて、この菅氏の指摘自体は間違ってはいない。東京より大阪の方が新型コロナウイルス対策がスムーズに進んでいるように見えるのは、都が23区の23カ所の保健所を相手にしているぎこちなさが背景にあるのではないか。

 東京の保健所は、23区では特別区、多摩地域では八王子市と町田市が各市、それ以外は東京都が担っている。

 特別区の保健所は、区長の管轄下にある。新規感染者の情報は区の保健所から都に上がってくる。新型コロナウイルス感染拡大の第1波では、保健所の業務が逼迫し、症状が出た人のPCR検査が目詰まりを起こした。新型コロナウイルス対策に関わる事務の大半は保健所が担っているが、特別措置法に基づく緊急事態宣言の権限は都道府県知事にある。都知事がいくらコロナ対策を充実させたくても、区長がその気にならなければ、保健所の体制は動かない。

 究極の二元行政・二重行政だとは思わないだろうか。

 しかも、府と市であれば、お互いが連携し、仕事を役割分担すればいいだけだが、府と4区では5通りの首長の意志を調整する必要がある。東京の23カ所の保健所と比べれば数が少ないが、結局、府と区がバラバラにならないためには、大阪府と4区全てで維新系の首長が取らなければならないということになる。

 ちなみに、現在の大阪府内の保健所は以下の通り。

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 大阪府直轄の保健所が9カ所。保健所設置市が9カ所。計18カ所もある。

 保健所の数を巡っては、かつて吉村洋文知事と太田房江元知事との間で、こんなバトルが繰り広げられた。

 ファクトチェックは上記のメディアで既にされているので、ここでは省くが、保健所体制を脆弱にしてきたのは、自民党府政でも、維新府政でも変わらない。呉越同舟である。だが、大阪の底力は、府直轄の保健所が削減される中でも、手を挙げて、自ら保健所の移譲を受け入れる市が多かったことだろう。この点は東京都は異なる。

 東京都直轄の保健所は6カ所しかない。特別区は23カ所。保健所設置市は2カ所である。

 東京都がいかに公衆衛生行政に興味がないのか分かる。大阪で果敢に保健所を設置している市が大阪市を含めて9カ所もあるのに、財政的に豊かなはずの東京で八王子市と町田市しかないのも、不思議な気がする。東京は圧倒的に23区に資源が集中しているということだが、いわゆる「多摩格差」という問題がここでも垣間見れると言えよう。

石原都政下で保健所体制が弱体化

 少し東京の保健所の歴史に触れておきたい。

 戦後、GHQの指導で「保健所法」が全面的に開催されたのが1947年である。当時、終戦で国内の国民に移動、海外からの引き揚げ復員など、環境衛生の悪化により、結核や食中毒、発疹チフス、コレラ、性病などの伝染病が蔓延していた。翌48年には都内の旧制保健所39カ所に、練馬、砧を加えた41新制保健所が発足した。1975年の地方自治法の改正により、東京23区域にあった53の保健所と11の保健相談所が特別区に移管された。

 保健所が大きな転機を迎えたのは、1994年の保健所法の全面改正による「地域保健法」の制定である。急激な高齢化と出生率の低下、疾病構造の変化、地域住民ニーズの多様化などに対応し、保健所で行っていた母子保健サービスなどを市町村で行うこととし、既に市町村で実施していた老人保健サービスなどと一体となった健康づくり体制を整備することになった。

 保健所は市町村保健サービスを支援するとともに、地域における広域的・専門的・技術的な拠点として機能を強化した。

 都の保健所の総元締めでもある「衛生局」は2002年に「健康局」に衣替え。2004年にはついに福祉局と統合され、「福祉保健局」となってしまった。

 当時、都庁の幹部は「天然痘も根絶されたし、結核でバタバタと人が死ぬ時代でもなくなった」と話していた。保健所と言えば伝染病対策の拠点だったが、もうそんな時代ではないというのが都庁の認識だっただろう。実際、保健所行政は感染症対策から健康づくりへとシフトしていった。

 もう一つの背景として、東京都がバブル経済の崩壊で財政悪化の道をたどり、1998年度の一般会計決算は1千億円の赤字を計上した。減収補塡債の発行や減債基金積み立ての一部見送りなどの財源対策を講じなかった場合の実質な収支は3500億円という巨額の赤字となっていた。石原知事が就任した1999年に都は財政健全化推進プランを策定し、今なら維新の会が大好きな〝身を切る改革〟を断行したのだ。

 都の財政危機は、保健所行政の転換にとってはちょうど良い口実になった。1997年の地域保健法施行時に多摩地域13カ所、特別区39カ所あった保健所は現在では、特別区は各区1カ所計23カ所、多摩・島しょ地域は保健所設置市の2カ所を含めて、8カ所しかない。

 脆弱になった保健所体制を、今回の新型コロナウイルス感染拡大が直撃したのだ。

 方向転換するチャンスはいくつかあったと思う。2002年のSARS、2009年の新型インフルエンザ、2012年のMERS…、いずれも海外で感染が拡大したものの、日本への影響が小さかった感染症だ。これを日本の感染症対策に対する警告と受け止め、保健所を増やすまでには行かなくても、感染症対策に携わることができる人材をもっと確保していれば、新型コロナウイルスとのたたかいも少し違っていたのかもしれない。

 結局、日本の新型コロナウイルス対策は、中国から直接入ってきたウイルスを封じ込めることができたものの、欧州から入ってきたウイルスは全国に拡散し、特に人口密集地域である東京や大阪では保健所体制が逼迫し、PCR検査が目詰まりを起こすことで、コロナ対策が遅れた。今、全国に拡散してしまったウイルスは、ほぼ東京由来と考えていい。第1波では、1区に1カ所保健所がある東京23区でさえ、PCR検査体制は目詰まりを起こし、検査の基準を満たした患者ですら検査を何日も待たなければならなかったのだ。

 東京23区域は、特別区の中で人の流れが完結するわけではない。そこに住んでいる人もいれば、外から働きに来ている人もいるし、外から遊びに来る人もいる。例えば、新型コロナウイルスの新規感染者数がダントツで多かった新宿区は、都内外からたくさんの人が訪れる。その代表的な繁華街は歌舞伎町である。

 歌舞伎町ではホストクラブの集団感染があったが、それは新宿区内にとどまらずに、外へと漏れ出していく。新宿区で感染しても、症状が出るのは他の区である場合が多い。たまたま会社帰りに寄り道した居酒屋に、感染者がいて、ウイルスをもらって世田谷区に帰宅する。数日後に発症すれば、世田谷区の感染者にカウントされる。

 これは非常にやっかいで、保健所が感染ルートをたどるとき、一つの自治体で完結しないと、自治体同士の連携が重要になる。これがもし、「東京市」のように一つの市域なら苦労はしないだろう。

 都区制度を導入して、保健所を増やせば、新型コロナ対策がスムーズになるなど、妄想以外のなにものでもない。政令市であろうが、特別区であろうが、新型コロナウイルス対策は広域行政で一元的に対応し、基礎的自治体(保健所設置市や特別区)との連携を円滑にしなければ、PCR検査体制を拡充できないし、感染拡大地域の集中対策もうまくいかない。都と特別区なら連携がうまくいくなど、東京を見れば幻想だと分かるはずだ。

 東京都知事も23区長も、一人ひとりが政治家であり、それぞれの政治哲学がある。そして、リーダーとしての素質もある人も、ない人もいる。ぶつかって当然だ。

 四つ保健所があれば安心なのではなく、四つ保健所を束ねるリーダーシップなしには、感染症対策などうまくいくはずもない。それは、一つの政令市だろうが、四つの特別区だろうが、同じである。

府県行政と一元化する「特別自治市」

 神奈川県には横浜市、川崎市、相模原市の三つの政令市がある。新型コロナウイルス対策では黒岩祐治神奈川県知事が仕切っていたが、やはり県と政令市との連携は大きな課題だったようだ。

川崎市の福田紀彦市長は会談後「国の財政措置の裏付けがないまま(県が新型コロナ対応で構築した医療体制の)神奈川モデルをやってきた」としたうえで「国の(支援)メニューから外れたから財政措置がされないのは困る」と述べた。知事は「国にもしっかりと(支援を)要望する」と返答したという。

 黒岩知事は、「神奈川モデル」と称して独自の医療体制を構築していたが、これが国の支援メニューから外れていて、財政措置がないものも含まれていた。新型コロナウイルス感染症の感染者は圧倒的に都市部が多く、当然、政令市である3市に集中している。3市は国の支援がなければ、自分で持ち出しをしなければ「神奈川モデル」を支えられない。

 県と横浜市との連携がうまくいかなかったケースは他にもある。

 もう忘れてしまった方も多いかもしれないが、集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」は、横浜港に停泊していた。そこから民間の救急業者が神奈川県内や東京都の病院に患者を移送していた。ところが、その経費がいくらかかったのか未だに把握しておらず、横浜市から業者には未払いの経費があるというのだ。

 当時は混乱していたので、国・県・横浜市との役割分担が不明確なままだったことが要因だが、最終的な責任はクルーズ船が停泊していた地元である横浜市にあることは言うまでもない。

 だが、県と政令市との意思疎通がうまくいかないと、こういう混乱は往々にして起きる。

 では、政令市よりも特別区の方がいいのではと思ってしまうだろう。

 しかし、前段で書いたように、特別区であっても、知事が連携する気がなければ、政令市と同じように齟齬が生じる。

 つまるところ、新型コロナウイルス対策に、政令市も特別区も関係ない。特別措置法で権限が与えられている知事のリーダーシップと調整能力に尽きる。

 ちなみに、前回も書いたが、横浜市は広域行政と基礎的自治体を一元化する「特別自治市」を目指している。

 この場合、府県行政は一元化されているので、新型コロナウイルス対策は国の仕事を除くと、「特別自治市」の範疇で完結することになる。国と横浜市とのシンプルな連携だけで完結する。ただし、横浜市の感染者が市内のみで完結するとは思えないので、医療機関も含めた周辺の市との広域連携は不可欠だろう。

 結局、感染症対策においては、どの統治機構であってもメリットとデメリットがあるということだ。

 もしも保健所が純粋に府県行政であるなら統治機構は関係ない。だが、政令市であれ、特別区であれ、保健所を設置する基礎自治体がある限りにおいては、どちらの統治機構を採用するにせよ、都道府県知事との連携が不可欠である。

 そして、松井一郎大阪市長に求められているのは、都構想ならどうなるという将来の話ではなく、政令市としてのポテンシャルを生かして、現行の保健所体制を充実し、検査体制を拡充することなのだ。仮に特別区に移行するにしても、あと5年は現行の政令市でコロナ禍を乗り切らなければならない。保健所が一つだから不安というなら、その不安を払拭するのは、政令市の市長である松井一郎の仕事ではないだろうか。


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