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【都構想】大阪の四つの特別区は〝大阪市の残像〟と闘うことになる

 橋下徹氏のツイートを見て、ああ、やっぱり何も分かっていないのだなと改めて気づかされた。

知事経験からすると広域行政において大阪府と特別区相当の中核市の間で対立はなかった。なぜなら中核市は広域行政の仕事を持っておらず、大阪府と仕事がかぶらないから

 橋下氏は大阪府と中核市との間で対立がない理由はきちんと理解している。ここに書いている通り、中核市は府県行政の仕事をほとんど持っておらず、都道府県と仕事が被らない。ここが理解できているのに、なぜ大阪府と特別区との対立が少ないと言い切れるのだろうか。

 中核市相当の特別区と中核市では、あまりにも自治体の構造が違い過ぎる。維新信者は、権限と財源さえたくさん下ろしておけば対立など起きないと思い込んでいる。そこが大きな間違いなのだ。

中核市レベルの特別区と中核市はイコールではない

 特別区とはどのような自治体なのか、おさらいしておこう。くどいようだが、地方自治法を読んでいただきたい。

第281条の2 都は、特別区の存する区域において、特別区を包括する広域の地方公共団体として、第2条第5項において都道府県が処理するものとされている事務及び特別区に関する連絡調整に関する事務のほか、同条第3項において市町村が処理するものとされている事務のうち、人口が高度に集中する大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から当該区域を通じて都が一体的に処理することが必要であると認められる事務を処理するものとする。
2 特別区は、基礎的な地方公共団体として、前項において特別区の存する区域を通じて都が一体的に処理するものとされているものを除き、一般的に、第2条第3項において市町村が処理するものとされている事務を処理するものとする。

 中核市は、その周辺地域の大都市事務(仮に一つの市であったら市が担ったであろう仕事)を当たり前のように自ら処理している。その周辺地域においては広域行政は都道府県が担っており、政令市のように広域行政が大都市地域でバッティングすることはあまりない。

 特別区は、「都」と大都市事務と財調財源を共有している。ここは中核市との大きな違いだ。大阪の特別区設置協定書ではあらかじめ、大阪府と特別区の事務分担と財調財源の配分割合を決めているが、協定書に書いてあるように、その事務分担や財調財源は毎年度、府と区が協議して決めることになる。そのときの紛争を泥沼化させないために、協議会の下に第三者機関を接地している。

 これがもし、府県事務と市町村事務できれいに分かれていれば、都と区の対立などないし、財源の配分もさほど難しくはないだろう。しかし、実際には大阪府が市が担っていた事務を受け持ち、特別区が政令市が担っていた府県事務も受け持つのである。最近、維新の議員が好んで使う「スーパー特別区」という言葉のゆえんである。

 都区制度を導入すると、大阪府と特別区は毎年度、特別区の需要と財源配分について検証し、都区協議を通じて財政調整交付金の算定ルールを細かく見直す。そのたびに、特別区が自らの需要の実態に合わせた算定ルールの見直しを提案するのと同時に、大阪府の側も区の需要の実態に苦言を呈し、算定ルールの見直しを求めてくるのである。

 大阪の場合、非常にやっかいなのは、府(都)側の財調財源も「見える化」すると言っているので、当然、府と区の協議では府側の需要も議論になるのであろう(これでならなかったら笑えるが…)。

 中核市は、大阪府とこのような都区協議を行う必要はない。お互いの財源配分や事務分担は長期的に固定化されている。都道府県と中核市との関係は、都道府県と中核市レベルの特別区との関係とは大きく異なるのだ。

財政が悪化すれば、大阪府と特別区との紛争は避けられない

 なんども繰り返していることではあるが、都区制度は税収が増えているときには大きな紛争は起きないものだ。逆に税収が右肩下がりの時代には、都区の財源配分を巡って激しい対立が起きる。2000年都区制度改革は、都の財政危機の真っただ中で行われた。都区制度改革で積み残した「主要5課題」を巡る都区の対立は、都区の財政悪化を背景に激しさを極めた。

 大阪はこの数年、維新信者の言うところの「成長」によって税収は右肩上がりとなり、数年の実績をもとに府と特別区の事務分担を分ければ、財源配分の割合を決めるのはさほど難しくはないだろう。なにより、今は特別区側の当事者がいないので、財源配分に異を唱える立場の交渉相手がないのだから、まだ都区協議の実感もわかないのかもしれない。

 だが、人口減少が間近に迫っているからには、東京も大阪も早晩、少子高齢化による社会保障経費の増加や財政危機に直面し、都(府)と特別区との事務権限や財源を巡る紛争は避けられないだろう。

広域自治体なのに基礎自治体であるかのように振る舞う

 東京で行われている現行の都区制度は、戦時中の「東京都制」を地方自治法に引き継いだものだ。戦後、特別区は基礎的な地方公共団体だったが、1952年の地方自治法改正により都の内部団体とされ、特別区の存する区域はあたかもそこに一つの東京市が成り立っているような、都による一体的統制の下に置かれた。

 2000年都区制度改革では、戦後半世紀に及び23区の存する区域における基礎的な地方公共団体は都であるとしてきた法の位置づけを改め、それぞれの特別区がこの地域における基礎的な地方公共団体となった。

 前述した地方自治法の条文は、このときに整理された都と特別区の関係である。

 2000年都区制度改革は、東京都は広域自治体、特別区は基礎自治体という分かりやすい整理だったはずなのだ。

 ところが、都は依然として23区の存する地域を一つの市と捉え、都がこの地域の主体であるかのように振る舞っている。特別区制度調査会の第2次報告(2007年)はこれを「大東京市の残像」だと指摘している。

 だから、上記の記事でも書いたように、広域自治体としての東京都の知事が、なぜか基礎自治体であるはずの「東京市」の代わりに勝手になってしまうのである。

 誰がお前に、「東京市長」を頼んだのか?

 そう質問して、法的に答えられる人など都庁官僚ですらいないだろう。

 だって、実態としてはそうなってるよね、という程度の答弁しか返ってこない。

 これは、大阪も同じになるであろう。

 基礎自治体たる四つの特別区は、言ってみれば大阪市を正当に引き継ぐ後継者である。政令市たる大阪市の権限と財源を、広域行政は府、住民に身近な事務は特別区とはっきり分けたはずだ。だが、おそらく都構想実現後も府知事の座に君臨する吉村洋文は、都区制度移行後、あたかも自らが正当な後継者のごとく「大阪市長」として振る舞うだろう。

 大阪市を廃止すると、大阪府は大阪市の残像を飲み込み、旧大阪市域(特別区の存する地域)においてあたかも大阪市であるかのように統治を始める。実はそれこそが、都区制度のダイナミズムでもあり、都道府県のリーダーが都区制度を喜んで採用しようとする最大の狙いなのだ。

 そのとき、四つの特別区の区長と議員、住民は事の重大さに気づくのだ。

 特別区は、大阪市の正当な後継者でありながら、府が飲み込んだ大阪市の残像と闘うことになるのだと。

四つの特別区ではなく、四つの中核市を目指す

 今、大阪市廃止・特別区設置に賛成・反対の二元論で戦っている人たちにとってはお笑いかもしれないが、私は本当に広域行政を一元化し、住民に身近なサービスを充実させたいと思うなら、都区制度を使うのではなく、大阪市域に四つの中核市を持てばいいのではないかと言っているのだ。

 橋下氏が冒頭のTwitterで主張しているように、大阪府と中核市との対立はほとんど起きない。大阪府と中核市との関係なら、維新信者がよく二重行政の例として挙げる高層タワー2本もあり得ない。今回の区割りで人口の格差は是正され、それぞれ中核市の要件を満たしている。

 財政的な格差は、財政調整交付金ではなく、地方交付税のみで措置する。おそらく、それでも財政格差は出るかもしれないが、それは府が広域自治体として、財政的に脆弱な地域にどのような投資ができるかにかかっているのではないだろうか。

 同時に、四つの中核市は大阪市域における中核市連合を結成し、国民健康保険や介護保険など統一的に処理すべき事務を調整する。都市計画は、四つの中核市が統一した都市計画を立案する。そして、四つの中核市の市長から一人を連合長として選出する。

 大阪の成長戦略は、四つの〝スーパー中核市〟にかかっている。

 残念ながら、特別区を一般市に格上げする法律はない。反対派が主張している通り、この改革は一方通行だ。

 ならば、住民投票は「反対」である。

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