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小池都知事が辞職するときに起こりそうな事態を想像してみた

 小池知事が長い休養期間を経て、今日公務に復帰した。休養期間中にはあまりにも静かだから、「重病説」も報じられたが、こうして報道陣の前に姿を現すのだから、直ちに命に係わる状態ではないのだろう。

 そもそも、誰が「辞任」などと言い出したのだろうか。

「辞任する」「辞任しない」どちらの報道も根拠なし

 報道機関で最初に取り上げたのは、11月18日早朝に配信されたスポニチアネックスの記事である。

 ところが、この記事には「辞任を含めた進退を検討していることが17日、分かった」という一文しか新たな情報がなく、ほとんどはこれまでの経緯を書いているだけである。普通は「複数の関係者が認めた」といったソースをやんわりとでも提示するはずだ。

 30日の本会議では小池氏の所信表明が予定されており、約1カ月ぶりの公の場となる。出席した場合、自身の体調と進退についてどのような説明と発言があるのか注目される。

 この最後の段落も首をかしげてしまう文章だ。都議会本会議の所信表明は、定例議会開会初日に行われる。ここで「自身の体調と進退」について述べることなど考えられない。

 というのも、第4回定例都議会には「都知事 小池百合子」の署名が入った議案がたくさん上程されているからだ。会議の冒頭に「私、辞めます」と宣言したら、その時点で知事は〝死に体〟となる。つまり、議会審議は死に体である知事が答弁するか、もしくは知事はさっさと辞職して、残された筆頭副知事が代わりに答弁することになる。私が都議会議員なら「ふざけるな」と怒る。

 かといって、この議会は流すわけにもいかない。というのも、来年の東京都職員の給与条例が上程されるからだ。議会審議が年明けに伸びれば、職員の昇給が遅れる可能性もある。公務員には団結権が認められていない。だから、ほとんどの場合、人事委員会の勧告に沿って粛々と給与改定が行われる。政治の都合で勝手に日程を遅らせてはならない案件なのだ。

 したがって、都政をしっかり理解している人であれば、この記事はにわかには信じられない。〝飛ばし記事〟と言ってさしつかえない。

 スポニチがなぜこんな乱暴な記事を配信したのか分からないが、当時、都議会は別の案件で盛り上がって、芸能誌も含めた記者が取材を進めていく中で、たまたま議員か、議員関係者、もしくは都政に精通している職員などから耳打ちされたのではないだろうか。本来なら裏取りをすべき重要な案件であるはずなのに、スポニチの記者は裏取りできないまま記事を配信してしまったのだ。

 こうした「辞任」報道を猛烈に批判したのがAERA.dotである。

 都庁幹部もこう怒る。

 「公人の健康や進退をここまで断定的に報じ、完全にハズしたのは、前代未聞の話です。小池さんの病状の真相は、『オーバーワークによる過労』以外、何でもない。ドクターの判断により入院、自宅静養、テレワークと段階を踏んでの復帰となりました。登庁するとすぐに分刻みのオーバーワークになりかねないので、蓄積した過労をしっかり取っておくべき、という判断です。重体説が14日に報じられ、『困ったものだな』と思っていたら、肺がん説、辞任説や後任候補などエスカレートしていき、驚いた。辞任は100%ありませんよ」

 この都庁幹部がいったい誰なのか分からないが、「辞任は100%ありませんよ」と言い切る根拠はあるのだろうか。小池知事は1期目も「希望の党」の創設にかかわり、国政復帰の意欲を見せている。「都民ファーストの会」も国政政党を設立し、断念はしたものの、いったんは国政進出を考えていた。これで、任期途中で辞任しないと言い切ることの方が難しい。

 この都庁幹部が本気で辞任を否定しているのなら、飛んだパープリンではないか。

 これは私の憶測なので、憶測として読んでいただきたいが、小池知事が2期目の任期を全うするかどうかは五分五分である。都庁幹部や都政担当記者はそのつもりで心構えしていただきたい。

 石原都政4期目も、こうやって憶測報道が流れ、時には都庁内にうわさも流れ、いつもみんな鼻で笑っていたが、ある日突然、本物の辞職報道が飛び込んできた。石原知事が都議会議長に辞表を提出する前夜である。

 火の無いところに煙は立たない。今回の「辞任」報道は、そういう前提で心構えを持ち、密かに準備している関係者がいるということを改めて教えてくれたということだ。

任期途中に知事が辞職すると何が起こるか

 私は25年間の記者生活で任期途中の都知事の辞職には3回も立ち会っているので、もう驚くことは何もない。

 「逮捕」「死亡」といった突然のThe endでなければ、通常、任期途中の辞職では都議会議長に辞表を提出することになる。これは地方自治法に規定がある。

 第百四十五条 普通地方公共団体の長は、退職しようとするときは、その退職しようとする日前、都道府県知事にあつては三十日、市町村長にあつては二十日までに、当該普通地方公共団体の議会の議長に申し出なければならない。但し、議会の同意を得たときは、その期日前に退職することができる。

 したがって、都知事の辞職を最初に知る人物は、都議会議長だということが分かる。議長は忙しい。だから、辞職を届け出る前日、たいていは知事サイドから議長室の秘書担当に議長のスケジュールの確認とアポ取りが行われる。都知事との面会の案件は何かも、その時に告げられる。秘書担当はそれをありのまま議長に伝えるだろう(正確に言えば、議長の秘書担当が最初に知る)。

 議長は通例、会派から代表して選出しているから、おそらく会派の役員クラスには伝えるのではないか。役員たちは慌てふためいて、対応策を協議するだろう。当然、友党にも情報は伝わる。そのうち、他の会派にもうわさが回るだろう。その情報を掴めるかどうかは、記者の腕次第だ(私は他社の報道で知ることばかりだった)。

 その日のうちに都庁の報道課は、都知事が翌日に記者会見を行う旨を知る。会見を開かずに都庁を去った舛添要一氏を除くと、石原知事、猪瀬知事、ともに都庁記者クラブの会見室ではなく、7階の知事フロアで行われた。これで記者クラブにも内々に情報が伝わる。

 翌朝から7階では会場のセッティングが行われる。その頃には、記者会見場の開場時間と会見開始時間がマスコミ各社にも解禁される。

 一介の小さな業界紙の記者は、良い席を陣取るため開場時間に飛び込む。不思議なことに、開場時間に会場に入ったのにテーブルには既に他社の名刺がたくさん張り付けてあって、端っこしか席が空いていない。ほとんどが記者クラブ加盟社の名刺である。こういうズルを平気でやっても知らん顔なのが記者クラブで、知事室や報道課もそれを黙認していた。もっと腹が立つのは、そうやって名刺を張り付けておいて、記者会見が終わるまで誰も座らない席がある。長時間立ちっぱなしの記者もいるのに、ひどいものだ。

 都知事はアポを取った時間に議長室に行き、退職を届け出る。次の知事が決まっていれば、新知事の初登頂の際に引き継ぎが行われるが、たいていは突然辞任するので、引き継ぎは筆頭副知事に対して行われる。この日を境に都庁のトップは「知事の職務代理」である副知事が担う。

 石原知事の辞任後、知事の職務代理を受けたのは猪瀬直樹副知事である。猪瀬氏は石原知事の「後継」として知事選に出馬すると報じられていた。「職務代理」とは知事の職務を代理しているという事務的意味合いしかないが、こともあろうに猪瀬氏は「知事代行」という造語を爆誕させ、あたかも自分が石原知事の「代行」のような顔をして知事の公務を始めた。そうやって都知事選出馬表明までに自分の名前を売ろうとしたのだ。

 政治空白は、こういう悪知恵が入り込む余地をつくる。だから極力避けるべきだ。

 もっとも「知事代行」なる肩書きは猪瀬氏の自作自演だから、都庁マンたちは表向きは「知事代行」とお呼びしながら、裏では腹で笑っていた。彼を追いかけるマスメディアの記者たちもしかりだ。そうやって〝裸の王様〟を自ら演じていたからこそ、いざというときに誰も守ってくれなかったのだということを、本人は自覚しているのだろうか。

 小池知事が突然辞任するにしても、その後に生じる政治空白には注意が必要だ。知事が辞任しても、知事の側近はすぐに辞任する必要はない。むしろ、世の中の興味が都知事選に向かっているときに「後継」の知事が初登庁するまでの地固めを進めることができる。

 都知事の最後の仕事は、第一本庁舎正面玄関前での退庁セレモニーである。職員や議員たちに囲まれながら、東京消防庁音楽隊の生演奏に見送られて、都知事が都庁を去るのである。石原知事は「ロッキーのテーマ」だった。知事辞職の理由は「国政進出」だったので、これから戦いに出陣していくという意味合いもあったのだろう。猪瀬知事は、不祥事で辞職するということもあって、音楽演奏などのセレモニーはなかった。副知事や局長など都幹部が見送りに出たが、ささやかなものだった。これは舛添知事も同じ。口を真一文字に結んだまま、何人かの都幹部に見送られて都庁を去った。

 プロ野球やJリーグでは任期途中で監督が解任されることはよくある。現在日本シリーズで戦っているオリックス・バファローズも、監督の更迭は当たり前のように行われている。優勝しても、明日は地獄かもしれない。

 プロスポーツの監督と同様、都知事も辞め方によって惜しまれる人もいれば、石を投げられて追われるように去っていく人もいる。これはこれで、その人となりが分かる。小池知事はどんな去り際を見せてくれるのだろうか。

ポピュリズムの賞味期限は短い

 小池知事が任期途中に辞職するのだとしたら、それは体調不良ではなく、国政転身だろう。そして、その背景には都政に対するモチベーションもあると思う。

 というのも、小池知事は1期目にあまりにもポピュリズムを発揮しすぎて、2期目に入って強力な発信力を利用するモチーフを失っているからだ。延期された東京五輪が終わり、残るは後始末しかない。無観客による膨大な赤字や、残された都有施設の維持、五輪後の東京のまちづくり、いずれをとっても頭が痛くなる課題(レガシー)ばかりだ。コロナ禍が今一度盛り上がれば、また都知事としての発信が増えるかもしれないが、ワクチンの効能が思いのほか日本人には高いことが分かってきている。そうなると岸田首相の独壇場だ。これでは出番がない。

 気がついている人は気がついていると思うが、五輪後の東京に明るい展望などない。人口は減り、経済は停滞し、都心で猛然と進んでいる大規模開発計画はことごとく破綻する。

 ポピュリズムの賞味期限は短い。大阪維新を見れば分かる。府知事も市長もコロコロと交代する。改革に政治生命をかけると言えば聞こえはいいが、負けるたびに辞めてしまうのだから、こんなに無責任なことはない。だが、だからこそ、維新という政党の賞味期限は長続きしている。

 小池知事も、このまま何年も知事でいても政治家としての突破口は見えてこない。つまり、首相になんぞなれるわけがない。知事としての賞味期限が切れないうちに、次のステップに飛び出す必要がある。

 以前、ここの連載でも書いたが、石原知事の賞味期限は2期目の前半までである。2期目の後半は、権力の中心が都議会に移って、庁内での求心力を失ってしまった。石原知事は民主党にすり寄ったり、新党結成に携わったりで、現実逃避ばかりしていた。東国原都知事阻止のために嫌々4期目に担ぎ出され、挙句の果ての任期途中での辞任である。

 小池知事だって、このまま何となく都知事であり続ければ、都民の人気だけはあっても、周りにいいように利用されるだけではないか。議会は既に自公主導に軸足を移しつつある。1期目のようにはいかない。

 そう考えれば、小池知事の任期途中での辞任はあり得るし、その方が小池百合子という政治家の行く末も明るくなると思う。

 私は、小池都政は石原的都政の劣化版だと認識している。信者の多くはそういう考え方を受け入れられないだろうが、2期目の後半に入れば、そのことを思い知らされることになるだろう。

 だから小池知事には、辞めるなら今がチャンスだとアドバイスしたい。







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