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回天大神訓練基地

大分県速見郡日出町。
大神漁港に隣接して昭和20年に建設された大神基地。

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現地には立派な説明板があり、施設の配置図もとても分かり易い。

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魚雷調整場には、魚雷調整プールと建物の基礎が残っており、プール前には回天一型改一の実物大模型が展示されています。

約2000名の隊員を有する大神基地で回天搭乗員数285名の大神突撃隊が開隊されたのは昭和20年4月25日。
同年8月3日に出撃要請を受け、8名の搭乗員及び整備員が回天一型改一8基と共に愛媛県の麦ヶ浦基地に第8特攻戦隊・第21突撃隊所属の第11回天隊として配備され、8月12日に出撃待機命令を受けたものの、出撃する事無く終戦を迎えています。
大神基地の出撃要請はこれが最初で最後であり、出撃による死者が出なかった事に対して戦後に生まれた私は「幸い」と言いたくなってしまう所ですが、戦争に翻弄され続けた時代を生き抜かれた方々には自国の敗戦という現実はとても受け入れ難い事でしょうし、同じ運命を辿る予定だった隊員でも考え方は各々異なり、出撃しなかった事を「幸い」という簡単な言葉で片付けてしまうのは配慮に欠けるのかもしれない。

大神基地は昭和20年8月31日付で米軍に引き渡され、残っていた回天は全て廃棄されました。
大神突撃隊が解隊される8月25日未明には、回天搭乗員だった松尾秀輔少尉(最終階級は海軍中尉)が練兵場で手榴弾を抱いて自決するという悲しい事件が起こっています。
台湾出身の松尾秀輔少尉の両親は台湾に住んでいる為、終戦後は帰る場所が無いと住吉神社の宮司さんに話していたという。

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その住吉神社には、基地の本部に祀られていた回天神社が移されています。

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回天の部品が御神器の神社には、回天一型改一の⅓大模型と93式酸素魚雷エンジンが展示されています。

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境内から眺めた風景。
左は先程の魚雷調整場で、養魚場の奥の緑地は住吉ふれあい公園となっており、かつてここにはスベリがありました。

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神社に向かう細い坂道にも遺構が残っています。
ここは回天に搭載する圧縮酸素を製造していた酸素圧縮ポンプ室だったとの事。

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神社が鎮座する小さな山には幾つもの壕が張り巡っており、こちらは説明板によると回天1基が格納出来る回天格納壕だったと記されているが、現地には発煙筒保管壕とも記されています。

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約120mもの奥行きがある回天格納壕。
終戦直前には爆薬を搭載した戦備回天8基が格納され、前述した麦ヶ浦基地に出航した回天はここに格納されていました。

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格納壕の先は開けていたので反対側に行ってみると、丁度出入り口に民間の倉庫が設けられており、こちらからでは全貌が分かり難い・・・

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反対側からは見えないなぁと思い眺めていたら、偶然にも傍の民家の御主人が出てこられて、「こっちから撮ったらいいですよ」と奥に案内して下さいました!

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格納壕の直ぐ傍にある、現在は倉庫として使われている小さな壕も見学させて頂き、ここは部品を保管していた所だと教えて下さいました。
地元の方が戦争遺産の保存に好意的というのは、本当に有難い事です。

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神社から少し離れた場所にあるアルコール、重油、鉱油などが格納されていた燃料格納壕。

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そこから坂道を上ると、士官浴場だった建物の一部が残っているとの事で行ってみましたが、木々に囲まれた個人宅となっていたので近寄る事が憚られた為、撮影はしていません。

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最後は倉庫壕の写真を。
ここは草木が生い茂っていて、他の遺構とは異なり、内部も荒れていました。

因みに変電所がとても気になったのだけど、どこかの説明板に現在は立入禁止と書かれてあったので諦めたんだが、後日改めてネットで調べると近年訪れたであろう写真がジャンジャン出てくるのよね・・・
私の見間違いだったのか、また近くを訪れた際には訪ねてみようと思います。


最後まで読んで頂き、有難うございます。


【撮影機材】
Canon EOS 6D
Canon EF17-40mm F4L USM
TAMRON 28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD (Model A010)

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