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一を聞いて十を知るには

こんにちは そろそろ花粉症の兆候が出始め、鼻炎薬が手放せなくなりました。この季節は厄介です。

 学生時代は、歳を重ねれば先輩になれた。でも、世の中に出れば、また最年少でスタート。新しい仕事を始める時もルーキーに逆戻り。
 自由でやりたいように生きたかったから、人より早く一人前になって、一人で行動出来るようになりたい、そう思っていた。

 そんな事を考えていた頃に出会った言葉が、「一をもって十を知る」。
 正しくは「一を聞いて十を知る」だとか。物事の一部・一端を聞いただけで、全てを理解できるような、察しの良い賢さを例えたもので、論語に出てくる言葉らしい。
  一を聞いただけで十が分かる人なんて出会ったこともない。けど、全部を聞かずに理解出来る人は結構いる。どうすればいいんだろう。

一を聞いて十を知るには・・・

① 多面的に考える

 例えば、4本の脚が付いているイス。このうち、1本が壊れてしまい3本脚のイスになったとしよう。真正面から見ても、真横から見ても、脚の数は2本しか見えない。
 2本脚のイス・・・物理的に2本脚では立てない構造。イスの脚は3本以上が正しいはずだが、「2本の脚しか見えないイスがある」としか確認出来ていない。
 実際に目に見えているモノが事実。だけど、見る角度によって、見えるモノが違う。事実はひとつじゃない。
 TVドラマで「事実はひとつ」なんていうけど、誤解を受け易いセリフだ。
 事実はひとつじゃない。いろんな貌を持っている、くらいに思っていた方がいい。
 だから、今、見えていることが全てだと思うな、と自分自信に言い聞かせてきた。
 神様じゃあるまいし、たった一つの事柄から、全てを見通せると思うな、とも言ってきた。
 「一を聞いて十を知る」には、いろいろな角度から考えを巡らすことが肝心。

②牛の反芻のように、何度も考える

 牛は、一度食べて胃に送り込んだ草を、胃から口に戻し、また噛んで飲み込む。この行動で、唾液と草を絡め効率良く脂肪酸を吸収している、のだそうだ。それが反芻という行為で、ヤギや羊も同じ仲間らしい。
 牛の反芻は、深く考えるプロセスに似てるな、と思った。
 大概のことは、断片的な情報をつなぎ合わせるような作業で、一度に全ての事実を知り、深く考えることなんて出来ない。
 時間をかけて何度も何度も調べ直して事実を浮き彫りにする。いくつもの新たな発見を重ねながら、考えて、考えて、考え抜く
 そうすることで、次第に事実として筋道が通り、考えが立体的に浮き彫りになっていく。刑事ドラマなら、現場百回とか言って、何度も調べ直す愚直な刑事のようなこと。
 たった一つのことでも、牛の反芻のように、何度も考えを重ねていくことが「一を聞いて十を知る」道につながっていく。

③ 見かけの一致に気をつけて

 4000人に明日は株価が上がると言い、別の場面で別の4000人には明日は株価が下がるという予測する。もちろん、個々人には他の人のことは知らせない。正解した4000人を2つに分けて、次の日も同じように予測する。今度は半分の2000人が正解することになる。そして、その次の日は1000人に・・・。5回連続して予測的中を知った人は125人。
 125人にとっては、5回も連続して当ったという事実がある。
 世の中には、こんなことがたくさんある。
 私は、「見かけの一致」と自分に言い聞かせ警戒してきた。
 何かをやっている時に「やっぱり、みんな同じだ」と思うことがある。特にちょっと不安な事は「何処も同じ」だと安心する。けど、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と同じ。
   自分と同じ=イイね、じゃなく、それでイイのか?
 そう思うことが大事。
 自分の知らないことがたくさんあって、世界の片隅で生きてる凡人の私ごときが、どんな時でも正しい、と思わないことにした。自分と違う他の意見を探すようにした。まぁ、四六時中、あれこれ疑ってかかると疲れるけど。

 「一を聞いて十を知る」のは、私にはムリ。
 でも、多面的に深く深く考えて考え抜く。そういう癖を付けておけば、一を聞いて二くらいにはなる。

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