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「世界人助け指数」を見て考えたこと

  イギリスの慈善団体「チャリティーズ・エイド・ファンデーション」(略称:CAF)は、様々な寄付活動を行っており、その一環で「世界人助け指数(WGI)」を公表している。
 チャリティーズ・エイド・ファンデーションは、1924年創業で、100年の歴史を持つ老舗だ。イギリス社会福祉評議会が母体となって始まり、のちに慈善援助基金時代を経て、1974年に独立団体となり、現在の「チャリティーズ・エイド・ファンデーション」となった。
 主として、英国、米国、カナダで活動しており、英国で4番目に大きい慈善団体だ。2022年の寄付等の収入総額は2,000億円超で、その9割超をいずれかの団体に寄付している。寄付額を経常利益相当と仮定すると、日本企業のトップ100にランキング出来るレベルだ。
 しっかりした団体のようだけど、そこが公表しているランキングでは、日本はとても低い位置にある。 なんでだろう。

世界人助け指数(World Giving Index)

 CAFが公表している「World Giving Index 2022」によると、1位はインドネシア、2位がケニアで、3位がアメリカだ。そして、日本は118位。調査対象は119か国なので、なんと、まぁ。ちなみにインドネシアは5年連続で1位だとか。

  どういうこと?

 この調査は、アメリカのギャラップ社(市場調査会社)が114国12万人超の人々への電話アンケート調査結果を基礎にしているようだ。調査項目は次の3点。

   Helping a stranger(見知らぬ人を助ける)
   Donating money(お金を寄付する)
   Volunteering time(ボランティアをする)

例えば、「寄付」って何?

 確かに「お金を寄付する」って習慣は、あんまりないような気がする。
日本赤十字には、献血だけでなく寄付したことがあるけど、あとは・・・街中でユニセフが寄付を募ってるのを見かければ、寄付するけど。
 けれど、「寄付する気持ち」は、コンビニのレジ横の募金箱か、神社仏閣のお賽銭も同じようなもの。でも、これらは「寄付」に当たらないそうだ。
 「寄付(donating money)」の日本での定義は、自らの意思で金銭等を無償提供することらしい。Web上では、「公共的な慈善目的」の場合だけ寄付が寄付になる、的な解説している人もいた。でも、個人的な気持ちでは、「お賽銭」も自らの意思で金銭等を無償提供してると思うのだが。「お賽銭」の場合は、願い事や感謝の意を金銭で表しているので、どちらかと言えば「献金」に近いって、理屈らしいが・・・。どうなんだろう。
   お賽銭 offering money
   献金  offeringとか、contribution of money
   お布施 offeringとか、alms
   初穂料 ceremony fee
   玉串料 cash offering made on the occasion of one's visit to a shrine
 そもそも、キリスト教にもイスラム教にも、「お賽銭」や「お布施」「初穂料」「玉串料」はない。キリスト教では、お賽銭はないけど、礼拝中に献金箱が回って来るって聞いたけど、きっと、宗教によって様々な作法があって、各国にはそれぞれの文化風習があって、「寄付」の考え方も違うはず。単に英語を日本語にするだけでも、同じものがなければ、似たような行為を代用して考えるしかない。
 そもそも、僅かばかりの「お賽銭」で、願い事が叶ったらラッキーで、自助努力が基本。最後の一押しを「お賽銭」に託す感じだけどな。ホントの願いごとや感謝は、お布施や初穂料、玉串料だろうと、思ってしまう。
 そう考え始めると、この調査は難しいんだな。
 募金(fundraising)は、基金をつくるとか、資金調達的な意味合いが強くなるので、確かに募金は違うのか・・・。
 だけど、コンビニに募金したお金は、いずれかの団体に寄付されている。これって、コンビニの寄付活動に乗っかっているってことで、言ってみれば「募金的寄付」じゃないか。
  とまぁ、モヤモヤから、言葉遊びになってしまった。

結果だけが独り歩きする

 「お金を寄付しているか」って問いだけでも、あれこれ考えてしまう。
  たぶん、「Helping a stranger」も、「Volunteering time」の項目にも、いろいろな事情があるはず。
 文化風習も違う国々の人々の、行動調査は難しい。
 難しいから、「無理やりやろうとすると、調査主体が決めたルールで調査せざるを得ない」というのも、理解できる。
 でも、調査された国々(人々)にとっては、一定の基準で切り離された部分を残しながらの調査は、当然のことながら、モヤモヤする。
 各国の人助けの度合いを調査研究する中で、相互比較をすることがあってもいいし、一定基準を設けて数量調査するのもいい。
 けれど、それは、総合的な調査研究の一部であり、調査の偏りやバラツキを補正する考察や補助調査が不可欠だろう。それらを含めて総合的に調査研究するなら、理解出来るし、納得できるのだが・・・。
 毎年のように特定領域の数量調査だけを繰り返すというのは、どんな意味があるんだろう。それとも、総合的な調査研究もやっていて、どこかに調査研究結果が公表されているのだろうか。そこには、各国の文化風習の違いに依拠した「寄付(的行為」が示されていて、イギリス的な「寄付」との違いや類似点なんかが書いてあるんだろうな。一度読んでみたいな。
 
 この種の調査で困るのは、プロセスをすっ飛ばして、結果だけが独り歩きすること。私だって、118位じゃなければ・・・27位とかだったら、「そうなんだ」と何も考えもせずに信じてたかも知れない。
 「あれこれ言ってるけど、結局、日本は118位だから、もっと人助けすべき」とか、「118位は怪しくとも、最後から二番目はなぁ・・・」とか。結果だけ見れば、そうなる。 そして、話を伝え聞いた人の一部の人たちが、誤解・曲解して、更に違う方向に・・・。
 
 情報化社会の特性だから仕方ないのかも知れないけど、厄介だな。

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