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「人権と、パンデミック対応の行動制限は矛盾しない」と私が考える理由


人権の概念には、「他者の人権(公共の福祉)を守る場合に限り、個人の人権が制限される」という考え方が含まれています。この考え方は、必ずしも常識とはなっていないようです。

「人権があるからロックダウンができない」は本当か?


Twitter上のつぶやき、その他で、次のような趣旨の書き込みを見ることが何回かありました。

「日本国憲法は人権を重んじるので、日本ではパンデミックでも行動制限(ロックダウン)ができないのではないか?」

これは特定の方の発言そのものではありません。この問題を議論するために書き下した設問です。今回の記事では、この設問について、人権概念と照らし合わせて考えてみたいと思います。

お断りしたいこととして、特定の方の意見を批判する意図はありません。また、ロックダウンやその他の人権の制限に賛成し推進したい訳でもありません。「インターネットと人権」について調べている過程で出会った思考のフレームワーク、「考える枠組み」としての「人権」という言葉、概念について考え、伝えたい──それがこの記事の目的です。

[免責事項]
当方は法律の専門家ではありません。この記事を法的な判断や行動の参考にすることは避けて下さい。また専門家からの批判や補足を歓迎します。

日本国憲法を読む

人権とは何でしょうか。日本では、日本国憲法が定める「基本的人権」を思い浮かべる場合が多いと思います。以下、日本国憲法を一部引用します。太字部分は、この後の説明で使う部分です。

日本国憲法   (衆議院Webサイトより)

〔基本的人権〕
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

〔個人の尊重と公共の福祉〕
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

つまり、国民の基本的人権は、濫用してはならなず(十二条)、公共の福祉に反する(十三条)場合には法律により制限される場合もあるわけです。

パンデミック対策のロックダウンは、それが公共の福祉のためであると認められ、法律の下で適切に実行されるのであれば、日本国憲法が定める基本的人権と矛盾しないはずです。

もし「非常事態に対応するために憲法改正が必要である」という文が目の前にあったとするなら、私の意見は「別に、憲法は改正しなくていいんじゃない?」です。これは前述した日本国憲法や、後述する人権の概念を論理的に考えるなら、そのように結論されるからです。

もちろん、具体的な行動制限のための立法、執行にあたっては、正確な事実と科学的知見に基づく民主的な熟議が尽くされている必要があります(もちろん、経済的、社会的な影響も熟考されるべきです)。これは今回の記事の範囲を越えるので論じません。

世界人権宣言を読む──人権はオプションではなく原則

ここで原点に立ち戻って考えてみます。「人権」(Human Rights)について最も基本的な文書はなんでしょうか。

それはもちろん、国際連合(国連)が1948年に採択した「世界人権宣言」です。英語ではUniversal Declaration of Human Rights、略称でUDHRと呼ぶ場合もあります。

分かりやすい訳として、詩人・谷川俊太郎が翻訳し、アムネスティ日本が掲載している「わかりやすい世界人権宣言」のテキストを見てみます。


わかりやすい世界人権宣言 より
谷川俊太郎訳・アムネスティ日本

わたしたちは、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。(第1条より)

わたしたちはみな、意見の違いや、生まれ、男、女、宗教、人種、ことば、皮膚の色の違いによって差別されるべきではありません。(第2条より)

法律はすべての人に平等でなければなりません。法律は差別をみとめてはなりません。(第7条より)

わたしたちには、自由に意見を言う権利があります。(第19条より)

人には、平和のうちに集会を開いたり、仲間を集めて団体を作ったりする自由があります。(第20条より)

私たち全員は平等に、誰にも奪えない人間の尊厳がある。そして差別されない権利があり、表現の自由があり、集会・結社の自由がある──言われてみれば当たり前だけれども、ものすごく大事な話です。そして、次の第29条には、この記事冒頭で記した「人権を制限できるたったひとつの場合」が述べられています。

わかりやすい世界人権宣言
谷川俊太郎訳・アムネスティ日本

第29条 権利と身勝手は違う
わたしたちはみな、すべての人の自由と権利を守り、住み良い世の中を作る為の義務を負っています。
自分の自由と権利は、ほかの人々の自由と権利を守る時にのみ、制限されます。

この部分、繰り返し読みたい文章です。人権が制限される場合が、たった一つだけある。それは、他の人の人権を守る時である──こう言っている訳です。

谷川俊太郎訳は、意訳です。直訳に近いものとして、国際連合広報センターが掲載している日本語訳を見てみます。

世界人権宣言テキスト より   国際連合広報センター Webサイト掲載

第二十九条
1. すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
2. すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
3. これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。


世界人権宣言 第29条の2より、「一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する」。これは、先に挙げた日本国憲法十三条とも共通する考え方です。他人の人権を守るための法律だけが、人権を制限できる訳です。

国際人権規約を見る

世界人権宣言は、人権という世界共通の概念、理念を文書化したものでした。その後、国連は人権概念に基づき法的拘束力をもつ国際条約を採択します。それが「国際人権規約」(International Bill of Human Rights)です。

国際人権規約は複数の条約から成り立っていますが、以下に挙げる社会権規約、自由権規約については1966年に採択、1976年に発効。日本は1979年に批准しています。

まず、「社会権規約」を見てみます。正式には「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」、A規約ともいいます。英文では International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights (ICESCR)です。

社会権規約(ICESCR)より 外務省Webサイト掲載

第四条
 この規約の締約国は、この規約に合致するものとして国により確保される権利の享受に関し、その権利の性質と両立しており、かつ、民主的社会における一般的福祉を増進することを目的としている場合に限り、法律で定める制限のみをその権利に課すことができることを認める。

人権を制限できる場合は、社会の福祉向上の目的に限り、その制限は法律で定めなければならない──これは先に挙げた世界人権宣言 第29条2の考え方と共通しています。

次に、「自由権規約」(正式には「市民的及び政治的権利に関する国際規約」、B規約ともいう)を見てみます。英文ではInternational Covenant on Civil and Political Rights (ICCPR)です。

自由権規約 (ICCPR)より   外務省Webサイト掲載 

第十二条
1 合法的にいずれかの国の領域内にいるすべての者は、当該領域内において、移動の自由及び居住の自由についての権利を有する。
2 すべての者は、いずれの国(自国を含む。)からも自由に離れることができる。
3 1及び2の権利は、いかなる制限も受けない。ただし、その制限が、法律で定められ、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり、かつ、この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は、この限りでない
4 何人も、自国に戻る権利を恣意的に奪われない。

この第十二条の1、2では移動の自由は人権として尊重されなければならないことを記していますが、第十二条 3では、公衆の健康のための移動の制限は「この限りではない」とはっきり述べています。これはまさにパンデミック対策を想定した条文のように見えます。

世界人権宣言は「思考のフレームワーク」

人権概念の背後には、アリストテレスいらいの哲学、倫理学の伝統があり、18世紀のアメリカ独立宣言やフランス人権宣言も反映しています。哲学、倫理学、社会思想の伝統を引き継ぎ、一つの文書の形に結実させたものが世界人権宣言です。この文書は今も人権という問題を論じる上での基本的なフレームワーク、思考の枠組みとして機能しています。人権について理解するということは、「世界人権宣言に記された言葉を哲学の流儀に従って厳密に読み、厳密に論理的に考え、実践すること」だといっていいでしょう。

次のように考えてみましょう。世界人権宣言前文には「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利」と記されています。つまり人権とは「すべての人の平等で奪えない権利」を指す言葉です。そうであるなら、定義により人権とは人が作るあらゆるルールの最上位に存在する概念であるはずです。なぜなら、人権とはすべての人の譲れず奪えない権利なのですから、あらゆるルールに対して上位になければ論理的に成り立たない訳です。そうであるなら、やむを得ず人権を制限する場合のルールもまた、最上位のルールである人権概念の中に含まれていなければなりません。それを定めたルールが、例えば先に挙げた世界人権宣言(UDHR)の第29条であり、国際人権規約のうち社会権規約(ICESCR)の第4条、自由権規約(ICCPR)の第12条である、ということになります。

「世界人権宣言」は、「その背後にある思考のフレームワークを読み取れる」という観点から、とてもよくできたテキストです。全部で30条と短めのテキストですが、この中に「すべての人の権利」が網羅されています。これは哲学、倫理学のフレームワークを援用して抽象化した記述になっていることが背景にあると考えています。

世界人権宣言に興味を持たれた方は、下記の「わかりやすい世界人権宣言」にまず目を通すといいと思います。

わかりやすい世界人権宣言 谷川俊太郎訳、アムネスティ日本
https://www.amnesty.or.jp/lp/udhr/

よりオリジナルに近い形で見たい場合は、国連のサイトに日本語訳があります。

国際連合広報センター 世界人権宣言テキスト
https://www.unic.or.jp/activities/humanrights/document/bill_of_rights/universal_declaration/

(記事冒頭の画像は、 https://pixabay.com/es/illustrations/derecho-derechos-humanos-humano-597119/ 掲載のフリー素材より)

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