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行く末(1) - 男性学を紐解く -1-

来し方行く末を考察していく、とのがこれから試みようとしていることで、その道標として『男性学」を据えてみようということを、「まえがきのような…」で書いた。

 そこで、ここでは男性学とは何か、について考察していきたい。

 ジェーン・スーの対談集『私がオバさんになったよ』で田中俊之という男性学の研究者を知ったことが、興味を持つきっかけだった。そこで、田中の著作である『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』を読み進めながら、男性学とはなんぞや、とか、男の生き方のアレコレをみていく。

 『男がつらいよ』はKADOKAWA新書として2015年5月に初版が出た。著者曰く、男性学は1980年代後半に議論が始まり30年近い歴史があるそうだが、その割には知名度がない。

 女性が女性の生き方や感じ方、身体にまつわるあれこれについて書いた本は山ほどある。フェミニズムも人口に膾炙した言葉だし、誰もがフェミニスト論客の一人や二人を思い浮かべることができるだろう。

 それに比して、男性学は惨憺たる有様だが、広がらないのはそもそも、男性が男性自身についての研究を忌避するというのが根本的な理由ではないか、と僕は考えている。

 話はそれるが、高村薫の小説が好きで昔からよく読んでいる。女性作家だが、主人公をはじめ、登場人物の殆どが男性で、誰もがその懐に暗澹たる何かを抱えている。そのあまりにしょうもない内面の描き方がとことんドライなところが大好きだ。しかし、読んでいていつも思うのは、誰もかれも、あまりにも自分のことを掘り下げて考えすぎている、ということだ。

 一般的に男性はまずもってこんなにも自分自身のことを考えたりしないし、行動原理はもっと単純で刹那的だ。そして、やったことの振り返りもしない。

 これは裏を返せば、一般的に女性はこれだけ自分自身のことを常日頃から考えながら生きているということなのだろうか。
 女性が女性について書いたエッセイなどを読むたびに、実は同じことを思う。

 つまり、女性というのは日々自分が女であるということを意識しないと生きていけないものなのだろうか、と。このあたりは、この先もっと掘り下げて行きたい。

 閑話休題。

『男がつらいよ』のそでにはこうある。[かつて男性の人生は「卒業→就職→結婚→定年」という一本道を通るもので、この道を歩けること自体が一種のステータスにもなっていた。しかし「普通」と思っていた人生を実現できない男性が増えている。]

 やばい、うっかり普通の人生を歩むところだった。表紙に辿り着く前に、もしかしたら自分には当てはまらないのではないか、という懸念が頭をもたげてきたが、いやそんなことはなかろう。

 高度成長期の終焉とともに生まれ、昭和の薫りをたっぷりと嗅いで育ち、バブル経済の恩恵をホンのチョットだけ受け、気合と根性であとはどうにでもなると言われて生きてきた世代の末端構成員だ。

 いや、むしろこの本に当てはまるような人たちに対して、オルタナティブな生き方を実践してきた一つの例として貴重なサンプルを提供できるかもしれないではないか。

 ということで、しばらくはこの本を、たどって行く。まずは「はじめに」からだ。

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