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来し方 (3) - インド・バングラディシュ・タイ -序-

 1992年、インド・バングラディシュ・タイの三ヶ国を訪問するワークキャンプに参加した。これは国際飢餓対策機構(JIFH)というNGOが主催するワークキャンプだった。

 その前年、アジア学院でのワークキャンプに衝撃を受け、もっとアジアのことを知りたい、現地に行ってみたいという気持ちが高まり、すかさず参加。行く前からワクワクしていた。

 92年の8月4日から8月21日までの18日間。うちカルカッタ(インド)が約2週間、ダッカ(バングラディシュ)が3日間、残りがバンコク(タイ)というスケジュールだったと思う。成田から出国し、バンコク経由でインドとバングラディシュをめぐる日程だったので旅の入口と出口がバンコクということになる。成田からのバンコクと、ダッカからのバンコクの印象が全然違っているところが今思い返しても面白い。

 インドに行った人はドハマりする人と、もう二度と行きたくないと思う人と二分されるというが、僕はもちろん前者だ。にもかかわらず、それ以来一度も行けてないのは、慙愧の念に堪えない。

 これはひとえに、他にも行ってみたい場所が沢山あったからである。

 まだ一度も行ったことのない場所だらけだけど、死ぬ前にもう一度は訪ねてみたい、と思いつつ三十余年…。

 もう三十年以上前の体験なので細かい記憶はすっかり忘却の彼方だ。

 が、幸いなことにあの頃の僕は筆まめで、出発から帰国までかなり細かくワークキャンプの記録をつけていた。その割には日付が適当でビックリするが。

 旅の記録を細かくとるというのは、当時夢中になって読んでいた蔵前仁一の影響も相当受けていたはずだ。

 はみ出すほどの熱量が推し量れるこのノートは、その後の度重なる人生の流転や引っ越しにもかかわらず生き残った。段ボールに詰められ開封さえされないまましぶとく渡り歩き、そして今目の前で開かれている。万歳。

 こいつをパラパラめくり、時には思い出に浸りつつ、その頃の僕が何を考えていたのか、どんなことを現地で体験してきたのか、を紹介しこうと思う。

 前置きが長くなってしまった。次回はカルカッタ編その1となる。その1と言いつつ、1回で終わるかもしれないが、それは作者の気まぐれもしくは、読んでいただいた方の「好き」数次第である。

 蛇足だが、このノートには、『インドでワシも考えたかった』というタイトルが付いている。言うまでもなく、椎名誠の『インドでワシも考えた』にあやかったタイトルだ。

 この「来し方」では、あの頃の自分が何を考えていたのかを振り返る材料に使用するのだが、羞恥心を克服できたら、個人名を特定できないようにした上で、公開するかもしれない。

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