なぜ、私たちは学ぶのか?(1)
「私たちはなぜ学ぶのか?」と、子どもたちに質問してみました。
「えっ?そんなこと考えたことがない」
という困惑の表情を浮かべる子どもたちばかり。
それはそうですね。
子どもからすれば突然このような質問をされても、大人でさえ、このことについて考えたことがある人が多くはないのですから、困るのは当然です。
私たち大人もそうだったように、子どもたちは4,5歳になれば幼稚園に通い、7歳になると自分の意思とは関係なく、自動的に小学校に通うことになります。
7歳になった子どもの家の前に、「義務教育電車」という電車が止まって、ピカピカの小学校1年生を次々に電車に乗せて、小学校に運んでいく。
子どもの側からすれば、なぜ小学校に通うのかまったくわからないまま、「義務教育電車」に乗せられて、
「シュッポッポ、シュッポッポ」
と小学校に連れて行かれ、
「はい到着しました。ここで降りてください」
と言われ、教室に入る。
「これが算数の教科書です。これは国語の教科書です」
と言って教科書が渡され、授業が行われる。
そして、宿題も出されるようになる。
そうしてまた進級の時期にると、「義務教育電車」がやってきて、
「シュッポッポ、シュッポッポ」
と子どもたちを次の学年の教室に運んでいく。
「あの!ぼく小学校3年生の勉強の3ケタ×2ケタがよく分らないままなん
だけど・・・」と言っても、
「あなたは今日から5年生の年齢です。5年生の算数の教科書で勉強してください」
と言われ、むずかしそうな教科書を渡される。
「私たちはなぜ学ぶのか?」という最も大切なテーマは置き去りにされ、子どもたちを乗せた「義務教育電車」が決められたプログラムに沿って、中学まで運んでいく。
学ぶための学校に通っているのに、「私たちはなぜ学ぶのか?」の根本的な意味を教えられず、勉強をしなければならない。
「なぜ、学ぶの?」
「なぜ、学校に行くの?」と、
率直な質問をしても、まわりの大人は誰一人答えようとしない。
「義務教育電車」が子どもたちを乗せて、学年枠というプログラム通りの場所に運んでいく。
このような環境にどっぷりつかった子どもは「私たちはなぜ学ぶのか?」という疑問すら、徐々に浮かばなくなり、最後にはあきらめてこの質問に自ら蓋をするようになる。
一方、やる気を出せない子どもを見て、大人は「勉強に対してもっとやる気を出しなさい!」と、叱咤激励する。
しかし、「なぜ、私たちは学ぶのか?」の理由がわからない子どもたちは、やる気エネルギーすら湧いてこない。
「なぜ、私たちは学ぶのか?」と子どもたちに尋ねると、「えっ?そんなこと考えたことない」と困惑の表情を浮かべる子どもの心の中は、程度の差はあるにせよ、上述したような心境ではないでしょうか?
ここで、あなたが小学生の時のことを思い起こしてみてください。
やる気満々で勉強していましたか?
それとも、そこそこレベルの勉強でしたか?
もし、あなたが勉強に対してやる気エネルギーが湧かなかったのであれば、それはなぜですか?
私は時代が変わっても、その理由は同じだと思います。
あなたが小学生の時とあなたのお子さんが小学生の時では時代は違いますが、「私たちはなぜ学ぶのか?」について、自分なりの答えを持っていない限り、本当のやる気など生まれないと思います。
「なぜ、うちの子は勉強に対してやる気が出ないのでしょうか?先生!教えてください!」と、質問されるお母さまがいます。
しかし、よく考えればお母さまはその答えを知っておられるはずです。
自分が小学生だった時のことを考えれば、答えはすぐに出ます。
自分自身の体験としてすぐに分かると思います。自分が小学生の時に感じたのと同じ理由で、わが子もやる気エネルギーに火がつかないのです。
あなたのお子さんは、あなたと同じ理由でやる気が出ないのです。
「なぜ、私たちは学ぶのか?」という本質的なテーマについて、学校でも塾でも学習しません。だからこそ、このテーマについて考える必要があります。
このテーマについて、どこかで学ばない限り、あなたのお子さんのやる気エネルギーは生まれてこないと思います。
ここでは、「なぜ、私たちは学ぶのか?」のテーマについて、みなさんといっしょに深く掘り下げてみたいと思います。
つづく。
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