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でき太くん三澤のひとりごと その47

投稿 その47


今回は「好き嫌い」について書いてみたいと思います。

私は「干しぶどう」が嫌いでした。

嫌いになった原因は、小学校の給食です。
給食で出たぶどうパンを食べたとき、その食感が気持ちわるく、もどしてしまったのです。

パンを噛んでいると、突然あらわれるあのなんとも言えない食感。
これが私には合わなかったようです。

さらに追い討ちをかけるように、そのときは「給食を残してはいけない週間」となっており、残ったぶどうバンのぶどうのみを先割れスプーンでほじくりだし、噛まずに原型のまま牛乳で流し込みました。

なんともいえない食感と、イヤイヤ牛乳で流し込んだという経験によって、私は、成人するくらいまでずっと「干しぶどうが嫌いな人」となったのでした。


あるとき、この干しぶどうが入ったクッキーをとても美味しそうに食べる後輩がいました。
北海道の有名なお土産のバターサンドです。

このバターサンドを、実に美味しそうに食べるのです。
一口で一気に食べるのがもったいないようで、それほど大きくもないバターサンドを何口にもわけて食べている。

「そんなにおいしいの?」

気になった私は、そのバターサンドを手にしてみました。

「え、三澤さん。それ干しぶどう入っていますよ。食べられるのですか?」

と、私が嫌いなことをしっている後輩が声をかけてくれました。

「いや、嫌いだけど、そこまでおいしそうに食べているのを見ると、食べてみたくなるよね」

「え、でも嫌いなら無理して食べないほうがよいですよ。私がその分食べますからー」

そんなことを言われると、天邪鬼な私は益々食べたくなります。

こうして私は、それこそ何十年ぶりに干しぶどうの入ったバターサンドを口にしてみました。

体は感覚を覚えているもので、バターサンドを口に入れた途端、あの小学校のときの思い出がよみがえってきました。

「ブニュー、ブニュー」

「なんで生でおいしいぶどうを、あえて干す必要あるのかな」という感じです。

でもつぎの瞬間、食感にはまだ慣れてないけど、「おいしい」と感じる自分がいました。

「???まさか、自分が???」

ずっと干しぶどうが嫌いな人として生きてきた私は、このときはじめて干しぶどうデビューしたのです。

このおいしいと思った感覚が嘘でないか確認するために、私はバターサンドをもう一つおかわりしました。

それでも、やはりおいしい。
2つめは、干しぶどうさんの食感にもなれ、バターサンドをじっくり味わう自分がいます。

私の好き嫌いは、このバターサンドで解消されたのです。

このときもうひとつ感じたことは「好き嫌い」は、自分の思い込みや、まわりの人の思い込みによって作られていることが多いのではないかなということです。

もし小学校のとき、おいしいと思わなかった干しぶどうを何度かチャレンジしていたら、もっと早い時期に干しぶどう嫌いを克服することができていたかも。

一度もどしてしまったからといって「嫌い」と決めつけてしまうのは、ちょっと早いのかも。

子どもがはじめてニンジンを食べたときに、かまずに口から出してしまったのを見て、「あ、この子ニンジンきらいなのかな」と思ってしまったり。

ちょっとむずかしい問題が出て、なかなか答えがでないときに、その教科を嫌いと思ってしまったり。

食べてもいないのに、食材の見た目だけで嫌い、きっとおいしくないと決めつけてしまったり。

私はこのバターサンドの経験から、自分が「嫌い」と思っていることには少しずつ挑戦するようにしています。

以前は「干しマンゴー」も、干しぶどうと同じ「干し」つながりで嫌いでしたが、今では好物です。


干しぶどうが嫌いだったころ、「好き嫌いを克服すると人生が豊かになるよ」とアドバイスしてくれる方がいました。
その当時は「詭弁だな。嫌いなものは嫌いなんじゃ!」と心の中で思っておりましたが、今はその通りだなと思います。

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